ガキが木場を去ってゆくショット、あまりにも良すぎる。ラストの、フリーズフレームとはまた別の持続も堪らない。加害者意識には晩年の成瀬作品も思い出す。
たとえば日本映画なら大島渚『悦楽』が65年。肉体の時代は70年代と教科書には書いてあるが60年代にもその感覚はある。説話とポルノの比重が両者の差だろう。いちばんグッときたショットは、水槽のアップ→スタ>>続きを読む
それまで話には上っていた公私ともにパートナーであるらしい男が彼の前にようやく姿を現すと、カットバックが続くなか男が画面外に目をやり、彼も応じてふたり物陰へ……の流れが今どき珍しいほどスマートだった。ギ>>続きを読む
この人はチャート式アンビエント映画の感があってキツい(特に音楽)。全然ダメ。
「もう一周してもらえませんか?」で泣けた。なんで理解されてしまうんだろう、あんな経験したことないのに。罪悪感というのでもない。99%売春してると示してからお婆ちゃんからの愛情でしかない留守電。エグい脚>>続きを読む
主人公は『アフリカの光』のように待機と遅延を強いられていると評したのは瀬々敬久(笑)。いやいや、本当にそう思う。瑞々しいんだが虚ろでもあるヘンな感触。
ホテルロビーでの金銭授受シーンで、ヒロインがふと天井を仰ぐとシャンデリアを赤い鳥が周っており、続くカットでぶわっと外へ飛んでゆく。こういう演出はアニメにのみ許されると思った。
フラッシュバックの導入と>>続きを読む
フォード初のスコープ。端が余り気味か、ただタイロンが横臥する人の横に居るショットは横長なのに奥にも人が抜けて新鮮。物語は、いおうとすればいくらでも悪くいえる。国家は犠牲の上に成り立つのかよ、結局家族か>>続きを読む
金子冬実さんのアフタートークが滅法面白い。12世紀イベリア半島におけるセクトの跋扈を90年代におけるイスラーム主義者の台頭と並置したうえで、Al-mohager(1994)がイチャモンをつけられて公開>>続きを読む
監督脚本は『バッド・ティーチャー』のライター。プロデュースには主演JLも名を連ねる。キャメロンディアス→JLのラインは想定していなかったが場合によっては結構あり得る。やっぱりこの人巧いし仕事の作法に好>>続きを読む
画面右へ進む船での入国が、画面左へ進む列車の移動で閉じられる。主人公は単独ショットではほぼずっと画面左を向いていたがこれは……。
カラー版未見。モノクロのライティングではないので全篇ハイキー気味になり実写、特に人の肌はのっぺりしてしまう(逆に重油みたいな海面とかVFXは見応えあるが)。浜辺美波と出会った夜の玄関先での移動撮影、声>>続きを読む
作家の主題は一貫して記憶と記録の均衡にあるが、ひとつのイメージを異なる角度から捉えなおすために、作劇上、複数の主体が帰納法的に導入される。しかしこの主体たちがどうにもホモジニアスな存在にしか見えない。>>続きを読む
今では失われたような清新さがここにはあって、ボーゼイギだけが共存に成功しえた情熱と技巧がここにはある。窓、夜、雪、光。
メリハリのなさ、一貫した被害者意識が3時間続くと人はここまで萎えると知った。爆発からの逃走という活劇的瞬間も外すし、ただ才能ないのだろう。ただ、死んだんオカンちゃうやろな!?と電話→「本当に気の毒だよ>>続きを読む
パーマー姓、『ツイン・ピークス』風の物語、おまけに〈顔〉への執着。リンチmeetsフッテージものと考えれば良いのか。いや、映ってるんだか映ってないんだか分からんがとにかく何か映ってしまっているんじゃな>>続きを読む
ロージ『シシリーの黒い霧』と同一主題。謎が謎を呼び袋小路からは誰も抜け出せないという背筋も凍る底知れなさがあちらの魅力だとすると、こちらはデカくはっきり筆文字のように行く。国家と犠牲が作家のテーマと分>>続きを読む
仮に一切の外部情報を捨て忠実に画面だけを見ると、ほっとんど会話する2人以上の人間しか撮っていない。でもその切り返しの間が実に心地いいのだ。差し込む夕日の柔らかさように私の眼もとろけてゆく。
30年ぶり>>続きを読む
帰りのエレベーターでお姉さんが「いつも周りの男がデカいから気づかなかったけど北斗あんなにデカいんだね」と言っていて「マジそうっすよね」と心で答えた。素だから気づく良さ。あらすじを読んだ段階ではこんなん>>続きを読む
郊外、水辺、レイプされた後神へ祈る、リベンジの行為主体は被害者自身、武器はロープ、ピストル、ナイフ、モーターボート、加害者は男、男、男、ナヨナヨした男。ラスト・ショットはモーターボートのエンジンの取っ>>続きを読む