モノクロで描かれる物語で、その特性を把握しつくしてここまで美しい映像に仕上げてる作品があるだろうか。
それは有名な安寿が湖に身を投じるシーンは勿論のこと、ラストの海や、森の中、ふとした風景の切り取り>>続きを読む
コメディとトラジディは表裏一体。
そのことは恋愛においても当てはまる。
この作品ではそういった男と女の関係において、普段は見えない、生き物としての本質みたいなものが、満月によって表層化してしまい、>>続きを読む
夫がいて、子どもも養って、いつまで好きで始めた仕事を続けられるか。40代後半の女性が、職種は違えどこういったことで悩まなくてはいけないのはどこの国でも同じなのだろうか。
主人公ジワンはまさにそんな役>>続きを読む
1981年5月、ミッテランが大統領に就任することが決まった日から始まる物語。
街の人々はそのことに歓喜して大騒ぎをしているのだが、話しが進んでいくと主人公である母・エリザベートは夫が他所で愛人を作っ>>続きを読む
韓国の歴史の中で、最も重く暗い事件の一つ『光州事件』を描いた作品。
カーチェイス、緊張感あふれる逃亡シーンなどを織り混ぜ、エンターテイメント性に満ちた物語に仕上げてある。
韓国軍が光州市民に銃を向け>>続きを読む
バンクシーの挑戦的で冒険心に満ちた作品群 … が持つ勢いには及ばない、映像作品。
この映像を劇場で観た後、その不完全燃焼感によって「さあ、帰って『Exit Through The Giftshop >>続きを読む
時代錯誤的なところが… 無いわけではない。
しかし、そのあたりのことを、作中で娘のあや子に台詞として言わせているのが、興味深い。
「わたし、結婚と、その人を好きかどうかってことは、別でいいと思って>>続きを読む
探偵映画… の顔をして、観るものをケムに巻く、反体制作品。
なにに対してアンチしているか?
それは相変わらず、既存の大衆映画作品に。
「真実」は「偽り」に、「偽り」は「真実」に。
それは映しだす者の>>続きを読む
謎の多い映画だと思う。
その謎は、自ずと観ているものに熟考するように仕向け、その先に待っている解釈はそれぞれの見方に委ねられる。
作曲家/指揮者として頂点まで昇り詰め、いつの間にか絶対的権力になり>>続きを読む
ミエヴィルの『マリアの本』の方は、女性らしい目線で描かれている。 切ない境遇に直面した少女マリーを静かに、でもそっと温かい眼差しで捉えていることが分かる。
そして、ゴダールの『こんにちは、マリア』の>>続きを読む
… 長年、言いづらかったことなのだけれど。
ゴダール・ファンの方々のお怒りを買うかもしれないが、勇気を出して呟こう。
この作品って、あの有名な、三人で踊り出すシーンに尽きるような気がする。
冒険>>続きを読む
主演のブレンダン・フレイザーが、272キロもの巨体を抱えた主人公を演じるために特殊メイクをして… という触れ込みが先行して、鑑賞前に一抹の不安はあった。
突飛な設定で、過剰な演出が施された大仰な作品な>>続きを読む
1969年、まさに北アイルランド紛争が起きた時のベルファストという街で起きたこと、それを9歳の少年バディの目線で見たままに綴られるストーリー。
それが、痛ましい暴力ばかりを映し出したり、悲しい一面ば>>続きを読む
見逃していたこちらを。
実際にあった灯台守2人の間に起きた事件らしく、モノクロで描かれていることも相まって、独特のダークさと不思議さを漂わせる。
どことなく、南米作品に通じるマジックリアリズム臭を感>>続きを読む
まず、冒頭の「バナナの皮で思いっきり転ぶ」、という、よしもと新喜劇でも今はやらないツカミに、思わず「あ〜、この感じの映画かあ」と、苦笑したのだが… 。
それが、このセンゲドルジ・ジャンチブドルジとい>>続きを読む
先日まで連日通いつめたシャンタル・アケルマン映画祭。
例えば、ゴダールからの影響なんかはけっこう知られたところなんだろうけれど、アケルマン自身が影響受けた一作に、この『レイジング・ブル』を上げていて>>続きを読む
数あるゴダール作品の中で、未見のものをと思い、この作品を。
音楽のブツ切り感、作中突然カメラ目線になったり… 等々のアバンギャルドな演出はゴダール節だが、アンナ・カリーナの可憐さとセット&ファッショ>>続きを読む
川島雄三作品だと、『幕末太陽傳』とこの作品が好きだ。ベタだろうけど。
悪人しか出てこない… と表現される映画でありながら、ここで描かれる人々の姿も、紛うことなき人間そのものと言えるのではないか。>>続きを読む
こちらも、今年の『シャンタル・アケルマン映画祭』にて鑑賞。
これは、ある意味永遠に解けることのない、男と女の、視点の違い… 感じ方の違い …感覚の違い… から湧きおこってしまう、不信感とか不安感をサ>>続きを読む
所謂、昭和の名作… と言われるものを、10代後半に先輩の誰某からおススメされて観たものの、本当に自分は理解できたのだろうか、、
みたいな作品はいろいろあれど、この作品もまさにそういうものだったので、観>>続きを読む
これは確かに、それまでのアケルマン作品の中でも異色な雰囲気に満ちている。
底抜けに明るく、キラキラしていて、登場人物それぞれが恋し愛し合うことの喜びを、ある種躁状態で楽しんでいるかのよう。
でも、そ>>続きを読む
当時18歳だったアケルマンの処女作で、本人はあまり考えることなく勢いで作った、と曰っているらしい。
…のだが、若さによる勢いに頼った作品とは言い切れない、普遍性みたいなものがもうこの作品から見受けられ>>続きを読む
ブリュッセルでのとある一夜を映し出したこの作品は、まるで他人同士の会話を喫茶店で盗み聞きしているような、知らない恋人同士の愛の語らいを小窓から覗いているような…。
と書きながら、私は例えばジャームッ>>続きを読む
アケルマンがかつて20代前半の数年を過ごしたニューヨークの風景を映しながら、そこにその当時母親から届いた手紙を淡々と読んでいく彼女自身の声が重なる。
しかしその声の淡々さが、逆に観る者の胸の深いところ>>続きを読む
繋がりそうで繋がらなかったり、一瞬の接点だけでその後二度と関わりなかったり… みたいな登場人物それぞれの日々の悲喜交々を映し出す群像劇。
人生に意味なんて無い。
それと同じようにアートにだって意味>>続きを読む
主役のギアを含め、登場人物の何人かのシャツがズボンからはみ出す具合のだらしなさが気になった。
その、だらしなさが、すべての人間が本質的に持っている不完全さを象徴しているようで。
時にだらしなく、不>>続きを読む
たしかに、この作品はスピルバーグ自身の若かりし頃とその家族を描いた自伝的物語だ。
しかし、そこにはこの現代を生きる私たちの目から見ても、考えこんでしまうようなメッセージが織り込まれていると感じた。>>続きを読む
政治的な理由で、二つに分け隔てられた音楽家の人生。
一つは故郷に残ってその土地の仲間たちと音楽を創造し、またもう一方は慣れぬ土地で出会った同志たちとゼロからそれに勤しむ。
そしてその二つが邂逅した時>>続きを読む
ボウイから、この混沌の現世を生きている私たちに対するメッセージ。
「この星からお別れするその時まで、冒険者でいることを恐れるな」と。
… そして久しぶりに聴くトム少佐から管制室に向けたメッセージは>>続きを読む
この作品が劇場公開されて観た時、なんとも言えない気持ちで劇場を後にしたのを覚えている。
今回、A24 絡みの作品をもう一度観直してみるかと思い立ち、観てみたのだが…。
やはり初めて観た時と同じ感情>>続きを読む
お金を多く蓄えた人、要領のいい人、生産性の高い人、お上の望むものを望むように差し出せる人…… だけが優れた人、というわけではないはずなのに(それができなかった人、できなくなってしまった人が劣っている人>>続きを読む
ブラック・ユーモアの味つけがふんだんに塗されてはいるが、しかしその実、長年社会の中で信じこまれてきた倫理観、人が人を裁くとき稀に表層してしまう危うさを、考え直させりもする。
サッシャ・ギトリの演出が>>続きを読む
作中、何度か出演者の口から語られること。
女形というのは、現実の女性を真似よう、なるべく近づけよう…と演じられたものではなく、男性の目から見て女性らしい仕草、佇まいを積み上げて表現されたもので、ゆえに>>続きを読む
世の中、いつの間にやら家系ラーメンが街中で見かけるラーメン屋さんの主流になってしまい、あの懐かしの、透き通った東京醤油ラーメンが恋しい身としては寂しい限り。
… まあ、家系ラーメンもたまには良いのだけ>>続きを読む
二つの「孤独な心」が出会ったとき、そしてこの人は自分と似たような孤独を隠していたんだと気づいて共鳴できたとき、お互いにとって北極圏の凍てつく厳しい冬から守ってくれる毛布のような存在になれる。
それと>>続きを読む
あまりにも切ないプロット… と言っても、これが前作『おみおくりの作法 』と同じく、実話を元にした作品なのだとか。
何組かの養子縁組の候補となる夫婦と会って、我が子を託す親を決めるとき、なぜ最も不器用>>続きを読む