(緻密な映画だなと思った。計算が行き届いている、とも思う。それでふと"コングレス"で作られる未来の映画はこのようなものなのかもしれないという考えが頭をよぎった。)
ゲリラ戦における自爆作戦や、精神主>>続きを読む
日本語圏の、フランス語を理解しない鑑賞者であるわたしは、字幕を追う必要があり、映像への集中がそがれるのであった。映像の愉楽の海に身を沈めることによって、はじめて言語優位の世界から離れることができるのだ>>続きを読む
紋切り型を決してゆるさない厳しさこそが、この監督の映画を見る喜びである。観客も映画に集中し、深く深く入っていく必要がある。そうしてようやく、後半に用意された、主人公たちのすさまじいダイアローグの流れに>>続きを読む
ちょっとこわい映画。ロボットにグリーフケアができるようになったら、人間の役割はどのように変化するだろう、と考え込んでしまった。
ひさしぶりにDVDで見直す。見終わってぐったり疲れたが、一晩寝て非常に明るい気持ちなった。
脚本家、脚色担当者(松本清張)らは、鬼塚球磨子に対して、非常にやさしい。そしてわたしもそのやさしさの理由に>>続きを読む
インド映画の場合、アクション映画の主人公の動機付けに対しても躊躇がないのであった。銀行をはっきりと悪役にするのである。大衆とは米国の銀行がつぶれるところがみたい人たちである、と寸分の疑いもない。
最近>>続きを読む
かれらはかつて"新大陸"をこんな風に見ていたのかと、その無頓着さに吐き気がした。
才気走っている、というのは褒めるときに使うのだったか。荒っぽくても、とにかく表現したいものがあるとゆうタイプの映画。お膳立て通りに、”アメリカ合衆国”をめぐる政治劇と受け取って、それらしい感想文を書く>>続きを読む
見る度に新しい発見があり、何度見ても感銘を受けてしまう映画。親密さとかけがえのなさは深く関連していること。それは普遍的な価値であり続けていること。
ことばにすればひどく陳腐な主題である。しかしその>>続きを読む
音楽映画における、音楽自体の価値をどのように表現するか、という問題について、ほとんど完璧な演出がなされていて舌を巻いたし、わたしたちにとってポップソングとはどのようなものなのか、(誰がなんと言おうとそ>>続きを読む
カラックス「汚れた血」がわたしの人生にはじめて現れたときに感じた強度、─もちろんまったく異なった質なのだけれど、─を思い出した。シネコンの片隅のロードショー、くだらない日本語の副題が添えられており、見>>続きを読む
主人公の疾走するシーンがあり、それは思ったよりも尺が短くて、長まわしではなく、いくつかのカメラでつないであり、これは、そつのない、上品な人々が作った映画なのだと、判断した。あるいは、あれくらいが、”い>>続きを読む
「リアリティのダンス」の記憶の薄れないうちに「NO」を見ることになり、ナラティブの問題についていろいろと考えてしまったのであった。魔術的リアリズムを駆使して誰にも奪うことのできない個人の尊厳をあらわし>>続きを読む
このレビューはネタバレを含みます
「バベットの晩餐会」「赤い薔薇ソースの伝説」の系譜を刷新する台所の魔術を描く映画。非常に残念なのは、保守的な社会におもねっているのか、それともインドの女性のリアリティに寄り添っているのか、トーンダウン>>続きを読む
デジタルリマスター版。1954年を生きる人々による、1945年以前に体験したことを再現した映画であるとするなら、『アクト・オブ・キリング』と似ているといえなくはないだろう。(2014/6/14)
ギャレス・エドワーズ監督「GODZILLA ゴジラ」は知的な映画だった。評論家の腕前が問われるいくつかのトピックスについてまとまったものがでるなら是非読んでみたい。なぜホワイトハウスが登場しないのか、>>続きを読む
ラテンアメリカの大地を這うような旅を続ける主人公の内側で、やがて宗主国の言語であるスペイン語が内包する思想がダイナミックに窯変していったことが伺える一本。インド世界における英語のよう(かもしれない)。>>続きを読む