フランシス・マクドーマンド演じるミルドレッドに比べれば、 私たちはあまりにも情けなく小さな人間である。声を上げる勇気もなければ、重荷を背負っていく覚悟もない。映画の舞台がもし、田舎街ではなく、国全体だ>>続きを読む
ぼくが、いちばん好きな邦画。
これから他の邦画がこれを超えることは、多分ない。こんな豊かさを演出できるとは思わない。何故なら皆仕事が上手過ぎるからだ。
河瀬直美のメタ映画。映画哲学が散りばめられています。この映画を見る前に、伊藤亜紗のベストセラーを読んでいたので、尚更楽しめました。自宅で見るなら、通常版で見た後に音声ガイド付きでラジオドラマのように楽>>続きを読む
今年のクリスマスに際して、再見しました。どうやら、この映画のクリスマスも25日が月曜日みたいです。
群像劇としては、デプレシャン映画は人数が多いものが多い。今回も家族がクリスマスに実家に集う話なので、>>続きを読む
デプレシャンの恋愛劇は、基本気狂いな人間しか出てこないんですけど、これについては常連のマチューもなかなか変態です。
全体としては、精神病院の滑稽な活劇シーンと末期癌患者の見舞いシーンが交互になっている>>続きを読む
男女両方とも可愛くないので、個人的には嫌いですが、時代のメロドラマ的には斬新だったんでしょうか。
イカサマ現代劇として、とても感動的ではあったかもしれない。
お茶目なファスビンダーの妄想殺人ゲーム。設定は、大暴露大会といった趣です。アンナカリーナは、またもや類稀なる美貌を理由にゲスト出演してます。
ニュージャーマンシネマ、中でもファスビンダーが数奇極まりない悲劇ばかり撮るのは、彼らが超人たちであるからだと思うことにしました。映画への憧れと、芸術的志向が自分の身を滅ぼすという、数奇な人生を辿った人>>続きを読む
バカバカしさの中に隠れている後ろめたさを掘り起こしていく映画。夢と題するのに違和感なく、イメージを反復していくのが楽しい。つまりは映像的に面白いモチーフが多いのだが、普通に意味不明な登場人物たち、不随>>続きを読む
「なんで不可解で心地良いんでしょう」とつい言いたくなる映画。もはや、キアロスタミのように映像の見方を観客に選択させるというよりは完全に委ねているかのようなものである。しかしそれは、ある意味アートという>>続きを読む
彼の作品には、時間の交錯や夢や記憶を表現していることが多いが、これはある種の非決定を全体を通して表現していて、何か時間や運命というものの不確定要素、或いは前世という言葉を借りて説明できそうな何かを映画>>続きを読む
アピチャッポン・ウィーラセタクン『真昼の不思議な物体』の次の作品にあたる長編第二作目。
男女の心の機微を描いていた、ことは間違いないが、何でもないような映像の中に見出すドラマというよりは、その風景に溶>>続きを読む
タイのマルチアーティスト、アピチャッポン・ウィーラセタクン監督長編第一作。
タイに生きる知らない誰かにストーリーを創造してもらうという新感覚のドキュメンタリー。
ある意味フィクション性を含有しつつ、そ>>続きを読む
昨今は恋愛群像劇の映画で頭角を現してきた超個人主義的な作家、今泉力哉の新作。
前作『知らない、ふたり』では「好きとは何か」というテーマのそれまでの映画より一歩先の考察を描いていたが、今作は「死生観」で>>続きを読む
日本ではそこまで大したニュースにしなかったNSAによる世界規模の通信傍受が公になった事件について、内部告発者であるエドワード・スノーデンとその告発の一部始終を辿ったドキュメンタリー。
事実を並べるだ>>続きを読む