グーニーズは空をこそ飛ばないが、冒険の始まりである犯罪者のアジトのある断崖へ自転車を飛ばし、暖炉の下からみるみる階下へと潜り込み、罠に落とされ、ウォータースライダーも経て、最終的には海賊船の浮かぶ洞穴>>続きを読む
木村カエラは間違いなく今作のモリー・リングウォルドの立ち居振る舞いに影響を受けていると思うんだけど、インタビューか何かで言及してるものがあれば読んでみたい。
80年代のアメリカ青春映画におけるプロムに>>続きを読む
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最も心を揺さぶられるのは、アンセル・エルゴートの見事すぎる疾走。
カーチェイスや作戦会議中、音楽を聴くときなど、終始下半身が完全に固定され、抑制された運動に身を委ねていた男が、我慢の限界を超えたときに>>続きを読む
ハーレイ・ジョエル・オスメントの顔面の表皮を剥ぎ取ったようなレプリカの眼孔に、本人の青い目玉が後ろから回り込むだけで、限りなく生を得た本物の顔面に近付いて見えてしまう。説話としての残酷さや冷たさにも甚>>続きを読む
エンディングのトロッコ、二人の共同作業が目に見える直進運動として映るという見せ方は良いから、装置の動きそのものをもっと近くで見たかったなー。
十年前、十代中盤に見たときと比べて、彼らへの没入度が断然低>>続きを読む
音楽のない一つのシークエンス内でも至る所で役者がリズムをとっているように見える箇所がある。嫌がるジジを家へ送り届けたルイ・ジュールダンが、外階段を降りる直前にハットを小気味好く被る瞬間や、海辺の小屋の>>続きを読む
首が飛ぶスローモーションのショットで、ガラス板を用いて切り離された身体の動きを一部始終見ることができるというアイディアに感服。切り口を見せながら縦に回る生首のイメージは、どんな映画においても偉大。最後>>続きを読む
エクササイズバイクに跨るガタイの良いアメリカ女と小柄な中国男のアホみたいに迫力のある上下運動→丸ごと崩落の流れに爆笑。
騒乱のピークにはヒロインが既に家のソファで寝ているという奇妙さも面白い。
橋でのスパイ交換のシークエンスにおいて、サスペンスは電話機一つで繰り広げられる(電話機がクロースアップされることはなかったと思うが)。『ミュンヘン』の電話爆弾のスリルを喚起させられる印象的な演出。
各>>続きを読む
夕焼けに照らされたジョーイの横顔に、これまで出会った人々との思い出が重なる、ように見える。ジョーイが彼らのことを思い出している、ように見える。
クロースアップされたジョーイの顔に感情が浮かんでいる、よ>>続きを読む
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あれだけ人食い鮫全体への積年の恨みを「原爆」のキーワードを引き合いに出しつつ語って聞かせたへべれけの漁師が、仲間たちの想いに報いることもなく、ボンベに手を払われるなどしてなし崩し的に捕食されていくさま>>続きを読む
何度見ても、リリアン・ギッシュの柔らかく縮れた髪の毛の揺れから目が離せなくなる。
一見してロンドンらしさのないくたびれた街並みと路地裏の薄暗さ。
緑の回廊のような狭いアーチの中を、見失った息子を探し彷徨う母親に絡みつく蔦のとらえ方。彼女を視姦するようにとりつくカメラが心霊写真的におさめる、サブリミナルといってもおかしくないほど瞬間的に映り込む赤>>続きを読む
スピルバーグのフィルモグラフィーにおいて、レオナルド・ディカプリオのようにエキセントリックな演技を得意とする役者が主役に置かれているものは、想像以上に少ない。逮捕される寸前、印刷所のシークエンスにおけ>>続きを読む
オリジナル版の『E.T.』は未見だが、CGで作られたE.T.と交互に入れ替わるのはこのヴァージョンの特徴?
自転車に乗った少年たちとパトカーのまさかのチェイス・アクションと、その終わりで空へ飛び立つ寸>>続きを読む
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レースの峠でドライバーの精神へ迫り来る悪魔的な存在として、主人公が乗り越えるべくものとして、「死のカーブ」なる謎めいた象徴が登場。やっと突き止めた真犯人の正体に人種問題が絡むくだりに入ると、イーストウ>>続きを読む
開け放しのドアの向こうへ消えた幼いセリーの壁面に映し出された影が、肉体的な成長を伴い、再びドアの向こうから姿を現したときにはウーピー・ゴールドバーグが顔を出す。スピルバーグのフィルモグラフィーを鑑みる>>続きを読む
冒頭。何層もの「黒」が重ねられ、稲妻の白い閃光が画面を何度も切り裂く。船内にひしめき合う黒人たちの肉塊の表象に視覚的快楽を見出してしまう我々観客は、つくづく共犯となり、倫理観を問われ続ける。体を突き刺>>続きを読む
ホークスの映画で女が車を運転するとロクなことにならない(笑)。混ぜ薬の混在した水のタンクが画面に居続け、最後の最後に研究員たちにだばだばと捨てられ自分だけ退場し、残された登場人物たちが画面ところ狭しと>>続きを読む
一見浜辺で愛し合う男女が肩を並べて歩いているように見える幸福なシーンも、スクリーンいっぱいに迫る高波の遠近法が二人の後景を覆い、今にも飲みこまんとするとき、見せかけのショットとしての陰影を帯び始める。>>続きを読む
無音のアニメーションへ当て振りをする男とそれを聞く女を、反射する窓越しにとらえた空虚な幸福のショットが印象深い。男のナレーションが高ぶるにつれ、サブリミナル的に、それまでは半透明に反射していただけだっ>>続きを読む
フックのかつらが取れた瞬間、全身に戦慄が走るほどの恐怖を感じた。ピーター同様、フックも明らかに老いていたともとれるわけで、かつその哀れな姿が現れた瞬間に周りを囲む子供たちの声援がピタッと止んでしまうの>>続きを読む
容疑者が机の中に隠れてからのシークエンスの長さ!絶え間ない会話の応酬とショットの至る所に配置された仕掛けの数々が息詰まる緊張感を持続させ、ちょっと信じがたいものが生まれている恐ろしい作品。窓からの身投>>続きを読む
イーストウッドのマゾヒスティックな欲望が見え隠れする監督デビュー作。召使が襲われる際の手持ちのカメラワークと、直角なパン・フォーカスを積極的に用いたシンプルなサスペンス描写が続く。あらゆる悲劇の瞬間は>>続きを読む
飛び立った機体を山間の中腹で監視するあの小さな小屋と監視人の存在が、離発着を繰り返す物語の中心地の空間的構造を器用に押し広げており、ホークス的な「行ったり来たり」の良さの演出に巧妙に効いている。無線機>>続きを読む
バコールとバンドマンたちの、フィックスされたショットの中でぎゅうぎゅうに詰めこまれた、有機的なかけ合いに惚れ惚れ。ホークスの諸作品に共通して、据え置きのピアノを中心とした登場人物たちのやりとりはいつも>>続きを読む
スピルバーグがロケ地点の実際の天候による画面の色調の変化や、それによる感傷的な表現技法を意識して作ったものは、数あるフィルモグラフィーの中でも極端に少ないといえる。『続・激突! カージャック』と今作こ>>続きを読む
山崎裕太と奥菜恵が、過去に共演したドラマ作品のロケ地を再訪し、同じ台本の読みを繰り返すことで作品の位相を丁寧に換骨奪胎させながら、撮影当時のことを回想していくという形式の対象介入型ドキュメンタリー。再>>続きを読む
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序盤の闇の深度を援用したショット一つひとつの強度や、墜落する軍用機の外に映る拡大されていくロンドン郊外の風景など興味深いものが続いただけに、中盤以降のアクションとサスペンスの冗長かつ伸縮不在な硬さがど>>続きを読む
寒々とした「おろしや」の海原の暗さや、土地や文化様式が変わるごとに画面の明暗が器用に変貌するさまなど、光の感応にこだわりが見える素朴な日本映画。海に投げ捨てられた、死体の納められた樽の上下する様に目を>>続きを読む
登山を始めてからのサスペンス描写。文字通り宙吊り状態が続く野蛮なロケーションの中で、イーストウッドを突き落とさんとするように見える何者かの手、ナイフでロープを切る何者かの手が怪しく迫る。登山家それぞれ>>続きを読む
水の波紋がTレックスの登場を告げる前作のあの仕掛けが、今回は泥につけられた恐竜の足跡の窪みにできた水たまりに登場。一か所だけでなく、画面の至るところに散逸する。
一つのシークエンスで目が追いつかないほ>>続きを読む
牙象狩りに夢中になり生の極限を見極めようとする眼光がいよいよ深まる中、不穏にむせ始めるイーストウッドの摩耗の身ぶり。猿が脚本の最終稿を散らかして暴れ回り、周囲のスタッフが爆笑して茶を濁す一連のシークエ>>続きを読む
扉を穿つ弾痕の突発に目を奪われる。霧に覆われた田舎道に、画面奥からぬらりと現れる車のライトの明滅や、脅しのために路地裏でリンチを受けたハンフリー・ボガード越しに映り込む街路の濡れた光沢。毒を飲んだ死体>>続きを読む
映画がティム・ロビンスの潜む密室における攻防劇に変貌してからの、幾重にも複雑に連なる怒涛のシークエンス。『ジュラシック・パーク』におけるあの厨房のスリルに満ちた潜伏サスペンスの、進化系として楽しんだ。>>続きを読む
決闘に決着がつく直前、距離の離れた戦闘機同士の、互いの視線の切り返しに心を打たれる。『ハドソン川の奇跡』で描かれた、死線をくぐって操縦桿を握る男の、視点や手、顔の動作だけに現れる感情の猛り、経験と時間>>続きを読む