レース映画と思いきやさにあらず。その正体は時代の流れにつぶされる古き良き(とアメリカ人は思っている)アメリカンスピリットの興亡を描いた西部劇であった。
毎度音にこだわるジェームズ・マンゴールドだけあ>>続きを読む
各キャラクターの描写はあまりにも表面的で、面倒になったら深掘りする前にさっさと殺してしまう。
間違ってもこれを西部劇と呼んではいけない。西部劇とは時代や場所の設定で”作る”ものではなく、演出の力によっ>>続きを読む
ジェームズ・マンゴールドという人は「役者の顔の撮影と音楽にだけ凝って、全体のつながりに関しては知らん顔」という致命的な悪癖をもつ本当にどうしようもない監督なのだが、今作は音楽を題材にしているだけあって>>続きを読む
スタローン×デニーロと思いきや実質スタローンのみだった件。
ロッキーというダメ男からキャリアが始まったスタローンだけに今回の純粋だけど覇気のない中年男役もとても様になっていて、スタローン好きとしてはな>>続きを読む
あんなにややこのごとく愛しくてしょうがなかった作品が、すっかりいびつに成長してしまった。テンポも崩れ、明瞭さは失せた。しかし引き換えに狂気じみた寛大さを得た。これが引き起こすものは何か?すずさんの物語>>続きを読む
90年代ハリウッドの懐かしき”乱雑さ”と”ロマン”を致死量まで追い求めた、最低最強の娯楽ヴァカ映画。最初から最後までうんざりするほどの既視感とたまんなくなる愛おしさでいっぱいです。
「なんか戦車借りれたからノリで撮りました」的な感じで作ったのかもしれないがそうだとしても全く許す気になれない。意味不明。ふざけんな。
戦車は出てきてもただ走って建造物を壊すのみ。しかもそのシーンも尺の>>続きを読む
あらゆる点において追跡者の鑑たるREV-9やそれに対抗する”情に厚い肝っ玉母ちゃん+推しへの感情が強すぎる女サイボーグ+安心と信頼の最古参勢”による筋肉式女子会など、各俳優たちによるキャラクター造形や>>続きを読む
絶対に真似してはいけないロードショー。昨今問題となっているタレント吹替と同レベルで鑑賞の妨げにしかなっていない編集には昔だから許されるとかいう次元を遥かに超えていた。ただ縦字幕はかなり見やすくてよかっ>>続きを読む
ロメロ版にあったジワジワとした恐怖感や社会批判をゴッソリ削り取り、身軽になったのはいいがつながりがなくなった分無駄な要素が多くなっているのはいただけない。あと音楽が粘っこさに定評があるプログレだという>>続きを読む
「大国アメリカも俺たちの手の中にあったのさ」と嘯く爺様たちの身の上話を延々聞き続ける210分間。同じ長尺ギャングものの「ゴッドファーザー」や「ワンス・アポンアタイム・イン・アメリカ」ではきっちり閉ま>>続きを読む
この映画の主役はテキサスそのもの。そこはまるで西部開拓時代からずっと取り残されたかのように、最上の破壊とカタルシスを与えてくれる銃がものをいう極限空間。その中で生きる人間の、なんというはかなさと美しさ>>続きを読む
今を自由かつ確実に歩いている細野さんの姿があまりにも非現実的に輝いており、リアルな経路をたどる意味が全く見いだせていない(製作陣も途中でそのことに気づいたのか、星野源氏による経歴解説は途中でブツ切れて>>続きを読む
このレビューはネタバレを含みます
この映画自体には何の価値もない。これまで映画のお約束とされた、観た者を特定の感情に誘導する装置がまったくない。あるのは独自性のない使い古しのオマージュと、とても現実的そうな中に紛れているちょっとした破>>続きを読む
明日は華よと銃を持ち、キミは華よとそれに立ち向かう。それを愉しむ見えない兄弟。
「信じる」ということがどれほど恐ろしく、また素晴らしいことなのかを延々思い知らされる。この世に一方的な意味しか持たないも>>続きを読む
セピア色の写真に閉じ込められた楽しいひと時。現実をよく知る大人にもうなっていたとわかっているからこそ、明日もわからぬ子どもであり続けたいと願い続ける。
このレビューはネタバレを含みます
ヘンリー・フォンダという古き良きアメリカへの愛が深すぎるヤンデレ大往生物語。彼をつけ狙うハーモニカは彼に殺された人々と、彼に捨てられたハーモニカの怨霊であり、彼を死ぬほど愛したレオーネその人である。
老いらくのゆる~い西部劇の中にある若者というニューシネマ的成分が実に見事に働いている。
演出神ドン・シーゲルの奥義たる鏡を用いた空間の強引な拡張と、撮影神ブルース・サーティースによる決闘前の朝の美しさ>>続きを読む
「姿隠して血隠さず」「銃投げ渡しからの連射」などといった後世に語り継がれる神演出と、「ゆるい、長い、どうでもいい」ストーリーの二項対立という、西部劇「そういうとこやぞ」展覧会。
現実的な理不尽をおとぎ話たる西部劇に持ち込むという離れ業によって、ヒーローはよりカッコよく見えるようになりましたとさ。
駅馬車が太陽ならこちらは月。いずれ欠けてなくなるとわかっているからこそ、今ある光は切なくも美しく輝くのだ。
酸いも甘いも苦いも全部乗せた西部劇=荒野に生きる人間ドラマの真骨頂。
陳腐と紙一重の普遍性は、80年経った現代でも遜色なく輝き続ける。
嘘なんかじゃありゃしない
まして本当なんかじゃありゃしない。
僕の中でセルジオレオーネの偉大さが増強された瞬間である。
というかマカロニにレオーネとニューシネマパラダイスは味を壊してしまうのでやめようね!
自分の推しを史上最強のファムファタールにするぞ計画。
そのためにありったけのフィルムノワールをぶち込む男の姿に苦笑するべきかはたまた喝采を送るべきか。
これからは獲得したテクニックを窓から放り投げるインテリジェンスが必要となる。
-- ロバート・フリップ --
そりゃあんた堀勝之祐に「お前は元気にな~~~~~る!」といわれちゃ瀕死の人間も復活しますわ。
あと山ちゃんのクッソやる気のないDJボイスすき。
現代の世界観をあえて見せないことで、いつでもあそこに帰ってこれ、いつでも同じ感動を受けられる。そこはまさに映画を愛する人が帰ってこれる魂のふる里。
恋は盲目とはまさにこのこと。旅は確かに終わった。しかしこんな奥行きの無い世界にいったい誰が住めるのだ?
登場人物への姿勢は常に同じなのに、全く正反対の感触が均一に存在しているという事実。
”虚無”も時には”漠然”と、さらにそれは”幻想”と置き換えられる。そしてそれがザラザラしたフィルターにかけられる。相対するものも配分が同じなら争いは起こらず0になる。
このレビューはネタバレを含みます
WIREによって美術館は地球の端と端。もう窓ガラスを割ることも、ダイヤルを回すことも、言葉の亡霊になることも不要。勝ち得たものと引き換えに夜の眠りへ舟を漕げば、ボクはキミになり、キミの始まりの日へと帰>>続きを読む
荒野にいないペキンパー
モリコーネのいないレオーネ
乾いた暴力はそのままに、どうしようもない笑いと親近感に襲われる。