『偶然と想像』の3番目の話「もう一度」からはフィッツジェラルドの「乗継きのための三時間」が連想された。「もう一度」はフィッツジェラルド作品のオチの部分は話の中間点に過ぎないから全く違う味わいなのだが
原作を読んでたから、ここが改変されてるのかとか、ここは007への目配せねとか、興味を抱けたけど、ただそれだけ。すべてが凡庸で盛り上がりに欠けるリアルさを重視してる今どきのつまらない作品
チャリティーコンサートつまりイケてる連中の行われる音楽がR&Bやヒップホップで、大統領の集会つまりイケてない連中なために流されるのがハードロックというところに、オマエはディカプリオやティモシー・シャラ>>続きを読む
前作の選挙の部分の繰り返しだなあと感じてるところで、平井議員の運動員が映画を一生懸命妨害してくれてシャキッとした。平井議員サイドがなにもしなければ、何もない映画だったのに
古い人間をデータ重視のコンピュータ野郎が駆逐しようとする。しかしなんだかんだあって古い人間が勝つという紋切型のお話なんだけど、泣ける。こういう映画が心地よくなる歳になっちまった。
モーテルのテレビで流れてるイーストウッドの映画は『奴らを高く吊るせ』かなあ。
主人公の音声分析官が音に敏感で、普通の町の雑音でもストレスが溜まり耳栓をするシーンの音の作り方が素晴らしかった。部屋のちょっとした物音の鳴り方も映画館で聴く価値がある。逃げ出す時のサスペンスや最後明か>>続きを読む