シートンさんの映画レビュー・感想・評価 - 2ページ目

シートン

シートン

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ラ・ジュテ(1962年製作の映画)

4.2

静止画の連続が、世界観の奇怪さと奇妙な反復を演出している。

動画は動画が流れていく時間を観るものに感じさせてしまう。静止画であればこそ時間を超越した物語が可能になっているのだ。

それゆえに唯一、ム
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「A」(1998年製作の映画)

4.4

https://note.com/tabine_sora/n/ndf6e434a4401


荒木はなぜオウム裁判が始まっても、家に帰らず、謝罪もしないのか。そのことが淡々と描かれている。

それは端
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ショーイング・アップ(2023年製作の映画)

2.9

日常のなかにある、性別、人種、世代の違い、そして精神疾患からくるすれ違い(キャストのジェンダーや人種のバランスへの配慮がそれを必然的に前景化させる)。

あるいは、そんなに大それたものでなくても、重要
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麦秋(1951年製作の映画)

4.7

中盤になって明かされる戦死した次男と病死した矢部の妻、その空洞
戦争が平凡な日常の中に、ふっと暗い影を残していることが『東京物語』をはじめとして、小津の映画のなかでは描かれる

しかし、全編に漂うユー
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ゴッドファーザー(1972年製作の映画)

4.0

大胆さと冷静さ。
最後のドンとマイケルの二人だけの会話が美しく、そして無駄がない。

ドンが衰え、また良き祖父になっていく変化、マイケルが成長し、冷厳なゴッドファーザーになっていく変化、その2つの変化
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ラ・ポワント・クールト(1955年製作の映画)

4.2

https://note.com/tabine_sora/n/n32f62c744be8


映像と科白と物語に遊びがあってとにかく観ていてたのしい

7人の子供たちを育てるシングルマザーの存在がその
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アイズ ワイド シャット(1999年製作の映画)

4.3

屋内シーンはどこを切り取ってもキューブリック。セットと構図だけで、これだけスタイルを確立しているのが素晴らしい

ひとつひとつのシーンが夢か現実かはどうでもよくて、キューブリックが最後の作品で、偶然性
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バルカン超特急(1938年製作の映画)

3.6

老婦人がいなくなりながらも、その痕跡が次々と見つかっていくシーンや、いろいろな事情で偽証する乗客たちの造形は見事

が、クライマックスのアクションシーンや、スパイだったという結末に、突飛な感じがしてし
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A2 完全版(2015年製作の映画)

3.9

いまは5年前より悪い時代になっている、と森達也は言った。それからさらに20年経った

オウム排斥運動が、いかに醜悪で、あるいは不徹底であるか、ということをオウム反対派のさまざまな事例を通して描き出す。
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(2023年製作の映画)

4.5

性、暴力、名誉、あらゆる欲望の生々しさ。斬られて落とされる首の生々しさ。男色の生々しさ

かくまでに痛快に、それを露出させた上で、すべてを蹴飛ばす北野武。恐るべし

ジャン=リュック・ゴダール 反逆の映画作家(シネアスト)(2022年製作の映画)

3.7

ゴダールという生き方
僕は政治運動の時期とそこからの転換期にもっと興味がある。
68年を通過した人物を扱うとき、その運動にコミットしていた時期のことは、なんとなく、過ぎたことのようにあっさりと扱われて
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雨月物語(1953年製作の映画)

4.1

一貫して音楽が素晴らしい。
映画の世界観と音楽が調和して相互作用している。早坂文雄という音楽家を知った

福田村事件(2023年製作の映画)

3.7

日本の歴史的な差別意識を扱った映画を制作し、それが多くの人に観られているというひとつの大きなムーブメントを作っている製作陣は見事だと思う。

その上で、事件のなかにジャーナリズムと思想弾圧の問題を重ね
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エドワード・ヤンの恋愛時代 4K レストア版(1994年製作の映画)

4.0

登場人物たちは、やや類型的で動作がいちいち芝居じみている。
しかしそれぞれが抱えた矛盾や葛藤が丁寧に描き出され、物語の最終日の朝に迎える別れと再出発は、切なく美しい。一方で、再起を期す若者たちとは対照
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ドラゴン・タトゥーの女(2011年製作の映画)

4.3

ひとりで生きることの哀しみ、いや、サイバー空間でひとりで生きてゆけてしまうことの哀しみ。
友達とは彼女にとってどんな存在をいうのだろう。たぶん彼女に友達ができることはもうない。

一方で、中年の白人男
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ゴーン・ガール(2014年製作の映画)

3.9

常軌を逸しているのは、エイミーでもダンでもないのではないか、つまり教え子に手を出す浮気男よりも、狂言誘拐に偽装殺人をこなす女よりも。

エイミーとダンの人となりが、家族構成や生い立ちから、瞬間の心理描
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けんかえれじい(1966年製作の映画)

3.7

のどかで可笑みを含んだアクション。
その中に鋭く差し込まれる、隠喩的なカット、政治と時代への目配せ

ザ・キラー(2023年製作の映画)

4.6

管理しようとしても制御できない脈拍、
それに左右されるなと言いつつ突き動かされてしまう感情、
そうして計画通りにと言いつつ即興的にならざるを得ない仕事、
その偶然性と現実性が人間味のなさそうでいて、わ
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サタデー・ナイト・フィーバー(1977年製作の映画)

3.9

弱い者に、「重荷」を押し付けあって傷つけあってしまう青春とか若さというものが、哀しく描かれていて、胸に迫るものがあった。

けれども、トニーにその荷を押し付けられた仲間やガールフレンドは、どうなるのだ
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晩春(1949年製作の映画)

3.9

登場人物を絞り込むことで丁寧に描かれる細やかな感情と関係の揺らぎ。深く満たされた恩愛と、甘くほのかな禁忌の香り

es [エス](2001年製作の映画)

3.6

ロールプレイングという構造に取り込まれることの恐ろしさ。
その構造を認識し、操作していると考えている者どももまたその構造に取り込まれていくということ。この映画がハッピーエンドであるとしても、その先にま
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ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌ・ディエルマン/ブリュッセル1080、コルメス3番街のジャンヌ・ディエルマン(1975年製作の映画)

4.4

退屈。退屈極まりない。
だが、退屈さを感じたとき、この映画の人物の絶望に引き込まれている。日常のあらゆる出来事は脈絡がないが、それが必然性として爆発する瞬間がある

ヒッチコックの映画術(2022年製作の映画)

2.4

ねむい。ヒッチコックを代弁するかのような、妙に現代に寄せた中途半端な語りが好きになれない。
映画の技巧について知りたければヒッチコックとトリュフォーの本を読んでおけばいい

女は女である(1961年製作の映画)

4.2

意味とか意図とかそういう一貫性をぶち壊す欲望とユーモアと自己言及
とにかくたのしい

くるりのえいが(2023年製作の映画)

3.7

音楽がゼロから創られていくさまを、体験することができる。創作の現場の緊張と弛緩。
もっくんが、長らく帰っていなかった息子のように、遠慮がちにくるりという家で過ごしている様子も、興味深く感じる

殺しの烙印(1967年製作の映画)

3.8

イマージュ、オマージュ、モンタージュ
人間性を捨てた殺し屋は何のために闘うのか。最後に情に絆され、名誉欲に囚われ、死んでゆく者ども。ヒューマニティーの零度。その地平にある美学と道義。その揺らぎからくる
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ガッジョ・ディーロ(1997年製作の映画)

4.0

情熱と情欲、エキゾチシズム
文化を記録することは収奪なのか、いや彼は父親の形見を辿ってきただけだった。
動機は関係ない、ならば女をひとり形見として

ZAPPA(2020年製作の映画)

4.6

音楽の制作それ自体ではなく、その現前を目的とすること。それゆえの作曲作業と同等に追求される、偏執的なまでのツアーとリハーサル。
インディペンデントであること、自由であること、その自由のために、戦略とし
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ソーシャル・ネットワーク(2010年製作の映画)

4.0

ねじくれた精神。自分自身と和解できるか。
真相はいつもフィンチャーの描く都市の闇に消えていく

長江哀歌(ちょうこうエレジー)(2006年製作の映画)

4.2

別れるために会い、会うために別れる。されど、再び逢えぬかなしみ。モンスーン的な叙情と諦念というものがあると思う
川の流れが押し流していくもの、その無常さ

世界(2004年製作の映画)

3.9

小さく完結した世界。卑俗で混沌とした世界。犠牲の上に立つ絢爛たる世界。しかしそこで生きていくほかない世界。

土砂降り(1957年製作の映画)

4.1

人生を規定する抗いえない物語性、歴史性。その構造としての社会性。家庭という制度から離れたとき、ひとが見せる表情の豊かさよ

友だちのうちはどこ?(1987年製作の映画)

4.2

日常のなかのロードムービー、生活のなかにある旅
テクノロジーが変容させていった、人と人との関係性

無防備都市(1945年製作の映画)

3.4

ヒューマニズムと勇気の美しい物語。しかし、ナチス映画はプロパガンダである、というのと同じ意味においてプロパガンダである