櫻さんの映画レビュー・感想・評価 - 3ページ目

アンテナ(2003年製作の映画)

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彼ら彼女らにとって家族とは、音をたてて壊れていく世界のミニチュア。そして、愛おしさをひとさじ溶かした懐かしい写真だった。少年は不思議なまなざしで遠くを見つめ、幼な子の甘い匂いを漂わせたまま、身体だけ大>>続きを読む

本気のしるし 劇場版(2020年製作の映画)

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英題が『The Real Thing』であるのすこぶる言い得て妙だな。ほんとうのことが明かされるまでの長い旅のようだった。わからないと言いたいのに、この肌の生々しい感触を知っていると思った。曖昧と無難>>続きを読む

百万円と苦虫女(2008年製作の映画)

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わたしはここにいる。これを読んでいるかもしれないあなたは、いまどこにいますか。誰ひとり欠けることなく、すきとおった朝一番の日光のなかで、毎日あたらしい気持ちでいられていればいいと勝手に思っていること。>>続きを読む

この世界の片隅に(2016年製作の映画)

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ぼーっとしてなんにもかわらないまま、ふつうにまともに生きていくのだけでも、わたしたちには難儀だ。生きていること、それ自体は流動的なものだし、普遍的なこともかすかにかわりつつある。動きすぎても、考えすぎ>>続きを読む

タレンタイム〜優しい歌(2009年製作の映画)

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きみがいなくならなければいけない世界なら、それは世界のほうがどうかしているんだよ。と自ら去ってしまいそうなその命にむかって、届くあてのない声をおくり続けている。わたしが見つけられるひとでも、一生かかっ>>続きを読む

東京物語(1953年製作の映画)

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もしもひとが生まれて死んでいくまで、大切に思った存在すべてを忘れずに、自分の手からはなさずにいられたなら、ひとは死ぬまで何ひとつ失くさないで死んでいける動物になれたかもしれない。ひとにもものにも寿命が>>続きを読む

佐々木、イン、マイマイン(2020年製作の映画)

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指先と喉の奥がつんとした。泣きたいような気がしながら、きみの魂を見つめていた。わたしはきみのことをそっくり表したような詩を知っているよ。きみみたいに絵を描くひとだった。きみは明るい光のもとにいたがって>>続きを読む

風たちの午後(1980年製作の映画)

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できるだけちいさくなって、息をひそめて眺めていること。


目を閉じると、微笑みながらあなたが立っていて、それを見たわたしは天国にきてしまったみたいに笑っている。横にならんで立つと、あなたにちかい肩だ
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ドライブ・マイ・カー(2021年製作の映画)

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わたしが見ていなかったのはわたしだったし、あの時のあなたでもあった。

ふたりはきっと、記憶のなかに置いてきた自分に会いにいったのだと思う。海をこえて、北へ北へむかう。そして、それぞれがその時の自分と
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ハッピーアワー(2015年製作の映画)

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ひとが生きている様を見ていたい。わたしがなぜ映画を観るのかも同等の理由からだった。細胞や血液はこうしているうちにも絶えずあたらしくなりやがて古くなって捨てられていくように、今ある感情も何を考えているの>>続きを読む

ポゼッション(1981年製作の映画)

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ほんとうに恐ろしいのは、きみのことが理解し得ないということだった。こんなに近いきみのことがわからない。きみはわたしを見ないで、きみの中ではげしく蠢いている悪魔と向き合っていたから。

ひとは目覚めてか
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カウチ・イン・ニューヨーク(1996年製作の映画)

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この世を哀しみのベール越しに見つめているのが常だから、心はいつも誰にも見つけられていない湖のようにしんとしている。そこに映る世界は、いつもゆれていてさわがしく、けしてしあわせそうではない。この世界が存>>続きを読む

1999年の夏休み(1988年製作の映画)

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なにも知らなかった頃を、誰もが通りすぎてきたあの頃を、幾度も巻き戻していつまでも鮮明な昨日として焼きつける。記憶の中の夏は、いつも陽光の下で眩く、水面に映る像のようにゆれていた。大人になれなかった少年>>続きを読む

私の夜はあなたの昼より美しい(1989年製作の映画)

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たったひとりで震えていたあの子を、何も告げずに見つけてくれたのはあなただった。つよい引力にひきつけられるように、互いの奥底へと潜っていく。

耳心地よく流麗なフランス語よ。口をついて出てくる呪文のよう
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幼な子われらに生まれ(2017年製作の映画)

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血縁と血縁がなくとも一緒に過ごした時間を天秤にかけても、きっと意味がない。その差異自体が原因ではないのだから。崩れかけているものは、一度壊してつくり直すしかない。力づくで支えてなんとか持ちこたえようと>>続きを読む

ベロニカ・フォスのあこがれ(1982年製作の映画)

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どれほどの命が自らのタイミングで終わりを迎えられるのだろう。生きているうちは光のもとに在らねばならないということを、眩いばかりの光が幕開けと同時に知らせる。この作品のなかで生きているひとたちは皆、光に>>続きを読む

ウェンディ&ルーシー(2008年製作の映画)

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ウェンディが身を置きたい場所に思うように辿り着けないのは、車が動かなくなったからではないし、もちろん彼女自身のせいでもない。それは、利便性と資本主義のもとでまわる世界の縫い目から、理不尽に振り落とされ>>続きを読む

リバー・オブ・グラス(1994年製作の映画)

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世界のはじっこと果ては同じであるかのように、どこまで行ってもどこにも行けないままの逃避行。退屈をしのぐために何者かになりたくても、その一線をこえたところで何もかもうまくいくとはかぎらない。何をしても、>>続きを読む

オールド・ジョイ(2006年製作の映画)

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旧友同士であるふたりの間には、終始気まずさが漂う。車内で会話していても、言葉が上滑りしていくよう。互いが身を置く環境の相違と時の流れの残酷さから生まれた心の溝。過去が眩く思えるのも、悲しみは使い古され>>続きを読む

日常対話(2016年製作の映画)

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とおくてちかいひと。わたしにとっての母はそういうひとだ。仲が悪いわけではない。むしろ一緒に出かけたりもするし、出先で会ったひとに友だちみたいに仲がいいんですねとよく言われる。けれども、わたしは母の過去>>続きを読む

ホットギミック ガールミーツボーイ(2019年製作の映画)

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これはきみがきみを確立するまでの物語だった。ゆらぎながら、ぶつかりながら、傷つきながら、自分の身体がどういう仕組みなのか、どうカーブしているのか、どこまでが自分なのかを知る。つよい言葉ややさしそうに聞>>続きを読む

HANA-BI(1997年製作の映画)

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ひとの心の両端には、それぞれ火が燃えている。引き金をひけばすべて破壊してしまう残酷さと、静けさの中にあるやさしさはどちらも、ひとりの人間のうちに存在するものだ。容赦なく暴力をふるうその手と、別の誰かを>>続きを読む

ウェイトレス 〜おいしい人生のつくりかた(2006年製作の映画)

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人生に似た映画というのは存在するけれど、人生は映画ではない。夢見てきたことがばらばらに割れてできたのが現在だとしても、それが急に好転して、まるで魔法にかかったようにひとつひとつくっついて元の通りになる>>続きを読む

ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌ・ディエルマン/ブリュッセル1080、コルメス3番街のジャンヌ・ディエルマン(1975年製作の映画)

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瞳孔に淡々と映るのは、ひとがすこしずつ己の均衡を崩し、制御のきかない状態まできてしまうまでの"普通の日常"。それはあくまで、彼女にとって毎日同じような朝から夜までのルーティン。しかし、寡黙な彼女がかつ>>続きを読む

17歳の瞳に映る世界(2020年製作の映画)

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この瞬間を見るために、わたしはこの映画を観たのだと思うことがときどきある。皮膚が粟立つような衝撃やすべてがひっくり返る派手な展開よりも、ズームしたカメラが写す、寡黙だからこそ多くを語るちいさな一瞬に心>>続きを読む

ジュリアン(1999年製作の映画)

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そうだった。人は胎内で見た夢をすっかり忘却して生まれてくるのだった。

これは直線上にすすむ物語ではなく、円をえがく日常。おはようとさようならのくりかえし。光の粒子の雨が降りそそぎ、この世界のうつくし
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Tribe Called Discord:Documentary of GEZAN(2019年製作の映画)

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どうしても同じところでこらえきれないくて泣いてしまう。世界はひとつにはなれないが、ならないままでよかったと思う。地球で生きるすべての人が手を繋いだところで、ひとつになったところで、平和はおとずれないの>>続きを読む

花様年華(2000年製作の映画)

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永遠にかわる一瞬を積み重ね、あえて幕開きに間に合わせず、ふたりは終わらない夢を見る。言葉を交わすよりも階段ですれ違う数秒が雄弁に互いの心象を物語っていたし、常にまなざしは真実の心のうちが溶けていたよう>>続きを読む

ダウン・バイ・ロー(1986年製作の映画)

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ひとりが好きなひとがすきだ。どこにいても誰といてもひとりでいる、みたいなひと。淋しそうなひととは違う。どこにでもひとりで行けて、たぶん誰とも居られるけれど、心の余白がいつもある、必要以上の荷物も思い出>>続きを読む

ストレンジャー・ザン・パラダイス(1984年製作の映画)

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どこに行っても、どこかに行きたい。ぽつりぽつりと言葉を交わしながら、どこに来てもかわらないことを知る。まるで日常は行ったり来たりを繰り返すことであるように、なんにもないことがつらなって映画になる。真っ>>続きを読む

人魚伝説(1984年製作の映画)

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燃して燃して、燃やし尽くしてもまだ足らない。恐いものも失うものも何ひとつないのだと、ごうごうと燃える目が画面を破壊するくらい強くこちらを見つめている。口喧嘩ばかりでも幸福だった日々を、愛する夫を、奪わ>>続きを読む

アメリカン・ユートピア(2020年製作の映画)

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さいこう!かっけー!みたいな簡易な言葉しか浮かばないくらい興奮しきりだった。これをブロードウェイで生で観られたならそりゃあもっと興奮したし楽しかっただろうけれど、映画館の暗闇で、スクリーンの四角い光の>>続きを読む

アンビリーバブル・トゥルース(1989年製作の映画)

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朝、目覚ましの音とともに起きて、またひとつ諦める。ほんとうに大切なものは自分の奥底に鍵をかけてしまっておかなければ、やけにはやいこの世界のまわる速度にふり落とされてしまうから、わたしのほんとうは誰にも>>続きを読む

女の中にいる他人(1966年製作の映画)

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本作において誰が犯人か(表情見てれば誰がやったかわかるし)ということよりも、人間の脆さや弱さとかいちばん近しい他人としての夫婦がどう共に生きていくべきかの方を注視していた方がいいのではなかろうか。たと>>続きを読む

箪笥<たんす>(2003年製作の映画)

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いとおしいという音がする。あの日からずっと聞こえてくる。わたしはいつか失くしてしまうものをこそ愛してしまうから、手のひらにはあの時の風が吹いたままだ。愛は永遠に残るけれど、愛の向く存在は消えてしまうか>>続きを読む

世界の質量(2015年製作の映画)

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終始ぞくりとする。見えること、聴くこと、触れること。その行為にどこまで自分を委ねられるか。世界の方を信じているのか、あるいは自分を信じているか。見えているものが全てではないが、わたしはここにしかいない>>続きを読む