たむランボー怒りの脱出さんの映画レビュー・感想・評価 - 106ページ目

たむランボー怒りの脱出

たむランボー怒りの脱出

天使のはらわた 赤い眩暈(1988年製作の映画)

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このレビューはネタバレを含みます

物の形状が変化するときのエロさ(ブラインドシャッターなど)。
石井隆特有の這うようなカメラ。

彼の最新作『GONIN サーガ』のラストは、この映画(監督デビュー作)のセルフオマージュであることに気づ
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13回の新月のある年に(1978年製作の映画)

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性転換によって男の体から女の体になった主人公。
しかし彼女は売春活動をするときは、男の服装に着替える。
「そのほうが落ち着く」のだという。

ファスビンダーの伴侶であったアルミン・マイヤーの自殺を受け
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ピョンヤン・ダイアリー 1994-1997(1997年製作の映画)

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ピョンヤン映画祭があることを初めて知った。

現地の案内役(北朝鮮人)に向けてきわどい質問を連発する監督の姿勢には「おう…」と思いながら、心のなかで拍手していた。

小人の饗宴(1970年製作の映画)

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小人だけの世界。

しかし彼らが収容されている施設のベッドは、ふつうの人間の背丈に合わせたものだ。
「セックスはベッドで」という、ある種の常識にしたがって、小人の男女はベッドに上ろうとするが、背丈が足
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岸辺の旅(2015年製作の映画)

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たしかにセリフは多い気がする。

とはいえ、この映画にはまだ不鮮明で、「わからない」部分が至るところに残されている。
そこは相変わらず黒沢清という感じだった。

すでに話題になっているけど、電球がひと
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世界女族物語(1962年製作の映画)

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世界中の女性の生活や習俗を紹介する。

特に面白かったのは、
・顔の皮膚を全部剥がして美肌に再生させる。
・らくだの糞を顔に塗りたくって美肌に。
・日本の西洋風マナー教室(スパゲッティの食べ方)
・日
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GONIN サーガ(2015年製作の映画)

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石井隆作品のヒロイン・名美は、いつも写真のなかにいる。

この映画での名美(土屋アンナ)は、スクリーンを破ることが復讐の合図である。
この場面は「写真のなかにいた」名美を思えば、示唆的だと受け取った。
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食人族(1981年製作の映画)

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リズ・オルトラーニによるテーマ曲の美しい旋律が有名だが、この映画にはそれとは正反対の、下品で不気味な曲もまた印象的なのだ。

『食人族』の音楽の二面性は、イタリアン・ホラーに内包された「上品」と「下品
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ふしだらな女(1927年製作の映画)

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ヒッチコックの初期作。昼メロという感じ。

正面の切り返しショットがあるが、小津よりも先なのかな。
それか、正面切り返しは当時としては珍しくないのだろうか。

台所戦争(1949年製作の映画)

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アカデミー賞受賞作品。

攻撃はあえて受ける。
このプロレス的礼儀がトムとジェリーのあいだで共有されている。

わらの犬(1971年製作の映画)

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たしかに素早いモンタージュがよく使われる。
しかし、テンポよく連続していく幾つものカットのなかに、「素早さ」とは相反する力をもったカットが少しだけ紛れ込んでいる。

それこそがペキンパーお得意のスロー
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GONIN2(1996年製作の映画)

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いくつもの欲望が混ざりあう場。
無数の銃弾が飛び交う場。

本来静かで平和な場を、不穏な視線の交錯を契機に地獄へと変容させる。

フランケンシュタインの逆襲(1957年製作の映画)

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上品と下劣の調和。

人物の動きによって、あるいは逆に動きを規定するかのように常に変化しつづける見事な音楽。(とりわけ階段での殺人)

フランケンシュタインのけなげさ。かわいい。

我輩はカモである(1933年製作の映画)

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なぜハーポはあらゆるものを切断するのか。
切断ギャグが持ちネタなのか。

ハンナだけど、生きていく!/ハンナはいつも、アイされたい(2007年製作の映画)

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映画のなかで、人がカメラの前で遊ぶ場面が好き。

「マンブルコア派」という、アメリカ映画の新しい波の系統に属する作品らしい。
カメラの前で物語の筋に関係のない「遊び」が演じられるのは、ヌーヴェル・ヴァ
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未亡人アパート 娘もよろしく(1982年製作の映画)

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母の分身として、また無自覚にも母の理想を投影されている娘。
母は娘が「きっと期待に答えてくれる」と思っている。

この映画のタイトル「娘もよろしく」とは、未亡人(娘の母)の欲求不満が、その“も”の一文
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リアル 完全なる首長竜の日(2013年製作の映画)

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黒沢清の映画において、車窓はまさしくスクリーンなのだな。
明らかに車の運動と連動していない窓の外の風景の不気味さ(スクリーン・プロセス)。
もし窓を開けたらどうなるのか、想像すると恐ろしい感じがする。
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ゲームの規則(1939年製作の映画)

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右へ左へ動き回るカメラ。
奥へ手前へ動き回る人々。
台詞の躁的な応酬。
楽しい悲劇。

ブラッディフリーウェイ(1981年製作の映画)

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チェコのホラー。吸血スポーツカーの話。
運転手の足の毛細血管から血を吸う(らしい)。

というのも、肝心の吸血スポーツカーの実体が一向にはっきりせず、もはや存在するかどうかも定かではないままに物語が展
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裸のキッス(1964年製作の映画)

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冒頭の異常な勢いにガツンとやられた。

フラーの大傑作『ショック集団』と同じく、真っ白な壁と影が印象的。

宗方姉妹(1950年製作の映画)

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冒頭の京大のシーンでは、この時期の小津にしては珍しくハイ・ポジションのカメラがみられる(講堂の構造のせいだと思うが)。

小津映画の対話は円滑で簡素なキャッチボールであるが、この映画では山村聰が唯一そ
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ルック・オブ・サイレンス(2014年製作の映画)

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かつての虐殺を自慢げに語る加害者たち。
カメラが神父だとすれば、それは懺悔になるのかもしれない。

公的視線としてのカメラに、神父との一対一的な関係を期待する。
公的視線であることを踏まえて、加害者た
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海炭市叙景(2010年製作の映画)

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このレビューはネタバレを含みます

はじめに示されるのは結露した窓。
そのほか、この映画で目立つ物は灰色のものばかり(雨雲、霧、煙)。

気体という最も曖昧で捉えにくい対象を「重み」のあるように写すのは近藤龍人のフィルム。

ほとんどが
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蒲田行進曲(1982年製作の映画)

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不意をつかれるラストなのに「この幕引きしか考えられない」と思わせてくれるのはどうしてか。

ロスト・イン・トランスレーション(2003年製作の映画)

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このレビューはネタバレを含みます

ラスト、スカーレット・ヨハンソンの鼻声気味の“Bye...”という声にやられた。

寂しいけど元気がでる。

ナイトクローラー(2014年製作の映画)

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おもしろい出来事の「最初の目撃者になりたい」、というのがパパラッチの主人公の欲望であったが、最後になってくると出来事の「創造者になりたい」という目標に変わっていく。

こんなに狂った面白いハリウッド映
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スタンド・バイ・ミー(1986年製作の映画)

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このレビューはネタバレを含みます

兄に深い尊敬を抱きながらも、同時に劣等感を感じているゴーディ。
また、彼は父からも愛情を与えてもらえない。

しかし、死んでしまった兄には一生勝つことができない。
ゴーディが兄に(間接的にではあれ)勝
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四季~ユートピアノ(1979年製作の映画)

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画についての説明・補足のためのナレーションでは決してない。

想像力を膨らませ、映画をより豊かにする主人公エイコの言葉。

声も耳に心地よい。

間違えられた男(1956年製作の映画)

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このレビューはネタバレを含みます

主人公を絶望の淵に追い込むのは、顔や筆跡などの「イメージ」が真犯人と似ているという事実。

主人公は必死に抗弁するが、警察は「言葉は信用できない」といって聞く耳をもたない。
この手の物語は、自分の言葉
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さくらももこワールド ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌(1992年製作の映画)

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歌をきっかけに始まる空想。

空想世界でのまる子は常に何かに乗って移動している。
夢から覚めると、呆然と立つまる子の姿。

このトリップ感あふれる映画は、文字通り空想世界でまる子が旅(=トリップ)をす
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裁かるゝジャンヌ(1928年製作の映画)

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ドライヤーは際立って「顔」だけを強調する。
同じく「顔」を扱う作家ジョン・カサヴェテスと異なるのは、「顔」の主体であるところのジャンヌの“人間性”のある動きを徹底的に排除しているところ。

カサヴェテ
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さよなら、人類(2014年製作の映画)

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空間をパッチワークのようにつなげていく。

断絶されているが、統一されてもいる。
この映画の登場人物も、そういった感じを抱いている。