小津の娘を結婚させちゃった笑
被写界深度の深い長屋の光景、狭く奥深く、穴のような家。静的な夫と動的な妻。家の外さえも「外部」の広さを失う。階段を上がったり降りたり(垂直運動)シーンがない一方、奥への>>続きを読む
原作の『海上花列伝』は全編呉語白話文(蘇州語)で書かれた小説であり、張愛玲による英語と中国語に翻訳された。
対話が圧倒的に多いこの小説を映画化するには、最も難しいのは言語の部分だろう。蘇州語を話せる俳>>続きを読む
「余は快楽をかきたてる技を知る
汝の膝に顔をうずめ 過ぎ去った日を追憶する」ーーボードレール『バルコニー』
肉体を売る女は肉体の秘密を知りたい。
肉体の門が開いたら、生きるために本当の人間になること>>続きを読む
戦争時期の犬儒派。
戦争と国の形而上学。
キャラクター駆動、配役の現実多元化。
人間、動物、神、人間の切換え。自反精神に真実の記録と意識の流れが詰め込まれた。
動物とされてきた人間がいきなり人>>続きを読む
いま、ここ、一回だけの絶叫。初上映当時の64分間内に生きていた作品。今私たちが観ているのはただの複製された残骸にすぎないだろう。
今のあらゆる上映はこの反映画の映画化、反スペクタクルのスペクタクル化で>>続きを読む
定期的に観たくなるキムギドク。
湖、霧、湿気
人間、鳥、犬、魚
刺す、切る、引っ張る、放つ
情欲の一方通行。
オアシスから始まり、オアシスで終わる。
男の子宮回帰症。
一人称と覗き目線というのがもうネット空間に吸い込まれ、電子ゲームやポルノヴィデオに応用されてる。ただ臨場感の構築や覗き魔の模擬を試みる一方、エロティックと「私たち」、両者の中で必ず誰かが欠席している。>>続きを読む
“It is like a movie made by an alien who has never seen a movie but has had movies thoroughly explai>>続きを読む
このレビューはネタバレを含みます
吉田は初期から鏡像段階理論を使いこなしたな。
2回の死亡(虚構記号と実存身体)。
不条理な実存主義叙事から政治的スリラーへ。
60年代の作品だけど、テクストもシニフィエも前衛的で、80、90年代>>続きを読む
『石の詩』は反映画的な静止画で厳粛・消沈な空気感を作り上げた一方、本作は労働画面の重複で目的性を消してしまうような姿勢を見せたー加えて、人間が機械に溶け込むような音声言語(妖魅)ー工業化社会におけるD>>続きを読む
映画のために構想された映画。
(ストリンドベリ『ストロング』)
最初七分間の映像詩から、全編は絶え間なく観客の潜在意識に潜んでいる恐怖と不安を具体化してスクリーンに投射していた。無意識のうちに映像>>続きを読む
紳士(覗き魔)庵野秀明
三次元空間にエヴァ的な視覚趣味を詰め込んだ。
カメラの幽霊化、ノマド化。LCLの中の碇シンジのように、2000年代携帯電話メッセージのように都市の上空で漂ってる。
情動な>>続きを読む
「すると今度は、赤い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、人々が互に殺し合うようになるために、地上から平和を奪い取ることを許され、また、大きなつるぎを与えられた。」(『ヨハネの黙示録6:4』)>>続きを読む
“He was like a lump of meat, the size of a rat, with a baby’s head.
His limbs were mashed together >>続きを読む
ブンミおじさんへの手紙二回も書く。
ブンミおじさんのために映画も撮る。
長回し症候群、歴史の蒸し暑さ。
身体と魂のアンビバレンス、黄昏、鬼、馬の消えた樹林、扇風機同調の摩擦音、埃に隠れた半分の夢。
めまい
相変わらず)アンディっぽいカメラワークの酷さ
でも貴重な記録だから、アンダーグラウンドだから、
何もかも許してしまう
政治的モンタージュは存在しない。(本能を除けば、)モンタージュ自体が政治そのものである。かもしれない。
Thesis+Antithesis=Synthesis
主人公のない、群像でもない。
影の>>続きを読む
Ideologyなのかidiotologyなのか笑
フロイト、マルクス、ラカンとの対話ーー
イデオロギー≠ 虚偽意識(マルクスとの区別)、
性もイデオロギーの構造内容に属する(フロイトとの区別)、>>続きを読む
形而上的な思考法についてのドキュメンタリー。
(ヘルツォークのnature-passionよりも抽象的、ポップ的な思考法。)
視野に侵入するロールシャッハ・テストと映画に侵入するジジェク。
「ド>>続きを読む
西欧アヴァンギャルド映画形式のもとで、フロイドの精神分析を経由して東洋伝統文化のなかの「貞節」、「贖い」などの東方意識への応答。
印象派の重畳効果とシーンの分割は一種独特な剥離と異化、狂った人間の眼>>続きを読む
パゾリーニの映画言語が純粋すぎて、原始と言って良い。
神託の輪廻(人生は始まった所で終わるのだ)
愉快な妥協(人性の暗黒面の放逐)
倫理叙事と“目”で話す、現代へ延伸された時間軸。観客を時代ととも>>続きを読む
「個人的批判」ではなく、「主人公の情緒」か。
敏感で残酷なカメラ目線。
音声と画面の分離、手持ちカメラの眩暈でもたらされた疎外感と幻想感。
とにかく観客を圧迫してゆく、それで「強制的に」キャラの>>続きを読む
『ホワイトホール』の姉妹編。
Space Odyssey
scanimate+巻取装置+3DCG
眼球、視覚神経、血管、宇宙
(待ち受けにしたいな
映像本位。
長回しと手持ちカメラの運動感。
走り、徘徊、呼吸の起伏、身体の振動まで細部のあらゆる体感がフィルムの粒子に捉われた。
アンダルシアのアリ、戦艦ポチョムキンの画面重複、シュルレアリスム>>続きを読む
赤い恐怖と青い幻想
第四の壁
ダモクレスの剣
人魚というイメージはよく自分の夢に出てくるけど、暴力と血腥の甘い匂いしてる悪夢。
『エクスタシス』の姉妹編かな
固定した世界観の崩壊、個人意識が変革し始め、外側との関係性が新たな関係性を持つようになった。
“双実験”
「模擬(ミミクリー)と眩暈(イリスクス)の組み合わせは個人>>続きを読む