スクリューボールコメディにも近いようなこの明朗快活で軽妙な映画を観れるなんて、日本に生まれて良かったと思わせてくれる。どこにでもいそうな貌の若尾文子の身体性にしろ、粋な川崎敬三にしろ、画面へのおさまり>>続きを読む
核問題とか色々絡んできて道徳的な話になってるんだけど、そんなことはとりあえずどうでもよろしい。パイラ人のエキセントリックな姿にホッコリしつつも、ピアノ線が丸見えなことやアホみたいな会議のシーンに笑う。>>続きを読む
カットの割り方とか女優の身体性とかどれも勿論素晴らしいんだけど、個人的には台詞回しに惚れた。ホークス的女性像の中では今回のジーン・アーサーが一番気に入った。
ブレッソンの演出と技法を丁寧に教えてくれたかのようだ。そして、ロングショットの美しさが素晴らしい。
特に広島の海沿いの公園で西島秀俊と三浦透子が煙草を吸うシーン。これから鑑賞する人には、「手渡す」と>>続きを読む
ジョニー・デップがあまりにも信頼できるシネアストであることを人類はあまり知らない
これを撮れるのはジャームッシュ以外にはちょっと考えられない、なんて思いながら、ジャームッシュ初期に描かれた彷徨と安住が好きな自分にはあまりハマらず…
モーテルで “一夜の安住” を求める彼らの群像は何故こうも面白いのか。メンフィスを歩く日本人二人を映した横移動ドリーショットの美しさというか、おさまりの良さに驚いた。永瀬正敏やスティーブ・ブシェミが他>>続きを読む
80分で纏められる内容をダラダラと撮るジャームッシュに苛立ちを覚える。意味不明なメタ会話や、メタファー(ロメロ以来のゾンビ映画を今更説明するというお節介!)で尺を引き伸ばす姿勢にはやる気が感じられない>>続きを読む
カサヴェテスの作家性が洪水のように溢れてくる。そして観客はジーナ・ローランズの芳醇さに気づく。
あまりにも入り組んだプロットをこんなにも簡潔なシークエンスで見せてしまうのはホークスの天才!ボギーとバコールのシナジーに隠しきれない興奮を覚えつつ、惚れ惚れするようなホークスの演出に舌を巻く。
オー>>続きを読む
ゴダール60年代後期のポップなカルチャーに心躍らせながらも、あいもかわらず訳のわからぬプロットとデタラメな編集にワクワクする。ゴダールの政治時代の序章にカリーナは何を思うのか。
いまさらメタと平面性>>続きを読む
フォード以来の男性優位の西部劇、インディアンに対する眼差し。従来のアメリカ西部劇を脱・移動神話として捉え直す。
映画女優ミシェル・ウィリアムズが銃をブッ放すシーン。被写体への距離、ミシェルの運動性、>>続きを読む
ライカートのショットに対する感性、決して必要以上に踏み込むことのない登場人物の使い方、記号としての自動車の使い方。どれをとっても完璧で美しい。フィルムがこの美しさを担保できるのは、ひょっとしたらミシェ>>続きを読む
男2人の再会というのは得てして妙な緊張感があるものなのだろう。それぞれが歩んできた人生と自尊心と、彼らが共有する時代(米軍のアフガン介入と左派の無力感!なんとタイムリーな話題だ!)を背景に緩やかに、し>>続きを読む
寡黙なフィルムに映される情動溢れる男女の逃避行、それはアメリカ映画史に新たな移動神話を刻印する。
『イージー・ライダー』でアメリカ人が目指したのはパラダイスとしてのフロリダだ。まさしく「その次」の生>>続きを読む
序盤のあまりにも有名なシーン、ジェームズ・ボンドの名前が007の長い歴史に刻印される瞬間
ホークスやフォードを見る時にシネフィルは当然”雲”を見るわけだ。そしてベルイマンにおける雲はまた別の意味を持ち始める。
『ソナチネ』という題を聞き、このポスターを見れば、この北野武という男をヨーロッパ的感性が貫いていることがわかる。砂浜で繰り広げられる子供じみた遊びは来るべき悲劇に向けてのサスペンスに貢献し、初期のゴダ>>続きを読む
21世紀とイーストウッド作品の中ではあまりパッとしないし、個人的な趣向にもハマらなかった。しかし、ディカプリオが主演なのはうなづける。そして、脇役のアダム・ドライバー…
日本を描いたアメリカ映画である。二宮和也のショットへの収まりを見るにつけ、『父親たちの星条旗』の主人公のように、彼もまたひとりの無記名な青年の立場に置かれているのだろう。日本人もアメリカ人も同じである>>続きを読む
鑑賞してから相当な時間が経つが、主人公の顔が思い出せない。しかし、印象的なショットはいくつも覚えている。主人公はあくまで”無記名の男性”の立場に追いやられ、その存在は”普通のアメリカ人”に埋没していく>>続きを読む
オリンピックなのでタイムリーです。
自室から大量の銃が出てきたり、O・J・シンプソンズの本を読んでいたりと明らかに怪しげな主人公はブクブクと太っている。この主人公が横柄な態度のFBIに媚びを売る醜い>>続きを読む
すぐ泣く女性をスクリーンで見るとしんどいものがあるが、今作ではエリックロメールの軽さゆえに瞭然だった。ここまで爽やかなショットに満ちたヴァカンス映画も観たことがない。『クレールの膝』を見た時はボソボソ>>続きを読む
事件が起きた後に焦点が当てられるという珍妙さにイーストウッドの変態性を感じる。普通ならハドソン川への着水する過程を中心に描くものだろうに、今作はトム・ハンクス演じる主人公と運輸安全委員会の舌戦に主題が>>続きを読む
凡庸なコメディではあるが、列車と並走する馬、そしてイーストウッドの頭から零れ落ちるテンガロンハットは紛れもなく西部劇だった。
ショットを支えるのは赤い電車と主演女優の赤い唇。画面を侵食する不穏さを支える茶色い色調と希望を垣間見させる赤色の配置学は紛れもなくイーストウッド である。
ヴェンダースの撮るアメリカ映画は、フィルム的幸福がショットの隅々にまで漲っている。これは「ショット」が撮れるという意味ではなく、これまでのアメリカの映画作家がカメラを向けてきた風景や人々の抒情は自分こ>>続きを読む
悲観的な話ではなく、現実的な話として知らなきゃいけない内容だと思いました。
杉本彩はナレーションに向かない
ブレッソンの偉大さは頭ではわかるが、感性が受けつけない
この映画を観る前と観た後で、自分の中の何かが確実に変わったように思える
言及してる人をいまだに見てないけど、これはベルイマンの模倣ですよね⁇ 映像の肌理、ショット、演出が完全にベルイマンのそれだった。デフォーはもはやマックス・フォン・シドーが憑依したように見えていたほどに>>続きを読む
「何故この題材?」と思わず首を傾げてしまうが、この変態が作る映画にまたしても私は感動した。『グラン・トリノ』(2008年)で自らを棺桶に葬ったイーストウッドがついに死について考え始めたというのか。霊媒>>続きを読む
「これは本当にイーストウッドが撮ったのか?」と若干の寒気を背中に感じながら鑑賞したのを覚えている。実話を元にしたとはいえ、予定調和なストーリーに絵に描いたようなハッピーエンド。イーストウッド的な作家性>>続きを読む