2000年に公開された本作における「インターネット」は希望の象徴である。そのため、それを自在に扱う子どもたちは新世代として、親世代とは断絶している。大人世代には「インターネット」は不可視の楽園であり、>>続きを読む
未来世界の都市性を作り上げる「雄弁なデザイン」の中で、現代に暮らす私たちとも地続きの都市的な「人間の欲望」を描きながら、「デザイン」と「欲望」のコントラストは「AIの自我の目覚め」の物語とも共振して、>>続きを読む
「スーパーパナビジョン70」のアスペクト比1対2.20の画面が「砂漠」を象徴化していく。スクリーンは風景を限定的にするが、ここには見渡す限りの「砂漠」がある。人の姿すら点としか見えないように撮影された>>続きを読む
冒頭のソクラテスの引用から、本作が裁判劇になることが予見される。勝利にこだわるアンチヒーローとしての主人公の脳内とシンクロするような慌ただしい編集と怒涛のセリフ、だが、その編集はあくまで主人公と観客を>>続きを読む
1933年(第二次世界大戦前!)を舞台にしながら、デジタル撮影とカメラのフットワーク、スピーディーだが的確に登場人物の移動を捉えていく編集など、マイケル・マンのシグネチャーしかない画面に「時代感」は皆>>続きを読む
たった90分のアクション映画にも関わらず恐ろしい情報量。慌ただしいカッティングは銃撃戦と相性が良く、銃が持つ暴力性を編集で的確に捉えられている。一方でイコ・ウワイスの起用を活かす肉弾戦に関しては、イマ>>続きを読む
1961年制作だとは驚きである。この頃のディズニーアニメーションに詳しくないため、他の作品と比較出来ないのが残念。記名性のある背景(明確に引用元の作家がいる?)とキャラクターたちのアクションが完全に分>>続きを読む
鳴り止まない音楽、人体破壊特殊効果の数々、モンスターと対比させられるフィットネスクラブの空間、そこにいる人々。80年代の環境問題と健康志向のクロスオーバー地点として、舞台はフィットネスクラブであり、主>>続きを読む
このレビューはネタバレを含みます
1935年の『虚栄の市』から4年後……1939年のテクニカラー映画。There's No Place Like Homeの先の白黒の世界では、2年後に第二次世界大戦が始まり、主演女優はハリウッドに殺さ>>続きを読む
80-90年代ヒップホップ黄金期を背景に、アフリカ系アメリカ人を主人公にした青春映画として草分け的な作品。草分けゆえに、ある種「説明的」な印象もうけるが(とくに主人公の父親)、コレがないと次にバトンを>>続きを読む
1977年、ベトナム戦争敗北、カウンターカルチャーの敗北、80年代を目前に70年代におけるアメリカの家族崩壊から逃避してしまう男を主人公に据えている脚本も、スピルバーグの手にかかれば軽快なエンタメ作品>>続きを読む
『悪魔のいけにえ』の引用から、テキサス同様にニューヨークにも残忍な家族=白人男性社会があることを浮かび上がらせる。没個性ゆえに生まれる残酷さ、誰も彼らの死と悪行には気付かない。無関心が、同時多発テロ前>>続きを読む
1967年の犯罪映画。オープニングからラストの犯罪までムダなし、ケイパーものジャンル映画として驚きのタイトさ。とにかくソリッド。ラストで捕まるあっけなさ、一人逃げ切れた男のドラマ「good bye」だ>>続きを読む
1997年……ゼロ年代を目前とした日本の空洞、それを体現している間宮と催眠術の関係。カルトと空虚の関係は実に90年代日本的なモチーフ。空洞に自分探しを求め、社会は狂っていく。キレイに食べられた皿とタバ>>続きを読む