不在さんの映画レビュー・感想・評価 - 3ページ目

不在

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オールド・ジョイ(2006年製作の映画)

5.0

もうすぐ父親になるマークと、放浪生活を送るカート。
古くからの友人である彼らは、二人だけの世界へと旅に出る。
マークに子供ができれば、もう二人きりで会うことは出来ない。
彼の世界から、自分は弾き出され
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WANDA/ワンダ(1970年製作の映画)

4.6

映画の冒頭、ワンダは自分の子供に対して、「私がいると不機嫌ね」と言い放つ。
なんて稚拙で幼稚な言葉だろう。
自分がいない時の子供の機嫌なんて分かるはずがない。
彼女は自分の外の世界というものが観測出来
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ウェンディ&ルーシー(2008年製作の映画)

3.6

ウェンディが鼻歌を歌うのは、うまくいっている時だけだ。
暗い気持ちを切り替えて前を向いている証拠なのだが、その直後に決まって悪い事が起こる。
ウェンディの人生はそれの繰り返しだ。
映画で詳しく描かれは
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パリのランデブー(1994年製作の映画)

3.8

空いている美術館に行くと、そこにいる人々が何とも滑稽に思える時がある。
皆で横一列になり、同じような姿勢で黙々と絵を眺めている。
人間らしさについて描かれた絵を観ているはずなのに、我々はまるで人間味の
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工場の出口(1895年製作の映画)

4.0

リュミエールは何故工事の中の様子ではなく、外からの風景を撮ることにしたのか。
それはこの労働者達の人生が、まさにここから始まるからだ。
画一的な労働から解放され、それぞれの生活が戻ってくる。
彼等が映
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ラ・シオタ駅への列車の到着(1895年製作の映画)

4.2

まず初めに大きく目立つキャリーカートが上手側で動いている。
下手は画角的にも遠く、紳士が一人立っているだけで、フォーカルポイントはやはり上手にある。
その後奥からこちらにやってくる列車が画面の3分の2
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小さな悪の華(1970年製作の映画)

4.0

この映画は反キリスト的でも、サタニズムを推奨するようなものでもない。
二人の少女が自分の居場所を見出したのが、たまたまサタンだっただけだ。

世間の潔癖さに嫌気が差す年頃というのは、誰もが経験してきた
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自由の幻想(1974年製作の映画)

4.6

この映画は、ゴヤの絵画の再現から始まる。
ナポレオン率いるフランス軍によって、マドリードの市民が銃殺される場面だ。
ここで死を目前にした市民が、自由くたばれと叫ぶ。
それに端を発して、この世界から人々
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ブルジョワジーの秘かな愉しみ(1972年製作の映画)

4.8

この作品は完全にコメディだが、いわゆる一般的なそれとは大きく異なる。
一番の違いは、ブニュエル含め、映画の人間達が誰一人として観客を直接的に笑わせようとしていない点だ。
役者はまるで自分達が崇高な、哲
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ハロルドとモード/少年は虹を渡る(1971年製作の映画)

3.6

この少年は確かに生きているが、それと同じくらい確かに死んでいる。
死について描かれた絵画が、他の何よりも生を雄弁に語るように、少年にとって確かな死だけが、生の実感だった。
だから彼は死を演じるようにな
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ホドロフスキーのDUNE(2013年製作の映画)

4.6

書物や絵画にはその存在が描かれているが、我々の目には見えないものがある。
それは神だ。
ホドロフスキーは、『デューン』を撮らない事で、結果的に神を創造したのだ。
もしこの映画が完成していたとしたら、そ
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落穂拾い(2000年製作の映画)

3.8

落穂とは言うなれば誰からも見捨てられた存在だ。
落穂を拾う人々は、社会から見れば彼らこそが落穂なのだ。
そしていつの時代にも、捨てられたものを拾う人がいる。

ミレーは旧約聖書の貧しい人々からアイデア
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ダゲール街の人々(1976年製作の映画)

5.0

人々の営みが映画なのだとしたら、これぞまさしく映画だろう。
ここには観客を喜ばせる為の演技といったものは存在せず、ただ人間が生きているという現象だけがある。
飾らずに、剥き出しで、普遍的だからこそ美し
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コントラクト・キラー(1990年製作の映画)

4.6

カウリスマキがロベール・ブレッソンの影響を受けているのは明らかだが、今作でもそれを強く感じる。
ブレッソンは自身の作品を、映画ではなくシネマトグラフと呼称した。
演者から感情を排し、劇伴は使わずに役者
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スタンリー・キューブリック ライフ・イン・ピクチャーズ(2001年製作の映画)

4.6

このドキュメンタリーを観て、スタンリー・キューブリックという存在に熱狂していた頃を思い出した。
私にとってキューブリックこそが映画の入り口であり、映画には見方があるという事を教えてくれたのも彼の作品群
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オテサーネク 妄想の子供(2000年製作の映画)

4.2

本作のポスタービジュアル(玉子を舐めてる少女とは別の物)は、幼いイエスを聖母マリアがその手に抱いている構図を模倣した物になっている。
不妊に悩むこの夫婦は、本来目には見えないはずのものを、この世に具象
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アリス(1988年製作の映画)

4.0

目を閉じなきゃ何も見えないと、少女は我々に語りかける。
時には心の目で世界を見ることが大事だというメッセージだ。
実際に私達は目に見える物だけを頼りに生きているせいで、自分の中に幾つもの世界が存在して
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希望のかなた(2017年製作の映画)

4.8

あまりにご都合主義的だと、これを観た誰もが思うだろう。
その通りだ。現実はこんなに上手くいく訳がない。
この映画は幸運にも、親切な善人全員が、難民である主人公へ手を差し伸べられるタイミングに偶然居合わ
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ぼくの伯父さんの授業(1967年製作の映画)

4.8

「喜劇の民主主義」を唱えるジャック・タチらしく、自身が講師となりパントマイムの授業を行う。
パントマイムとは見えないものを見えるようにする演劇だ。
観客はまず初めに、何もない舞台を目にする。
そして演
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華氏451(1966年製作の映画)

4.0

全ての書物は焼却され、テレビからは洗脳番組が一日中垂れ流されている。
反知性を植え付けられ、政府の監視下で人々は平等かつ公平な暮らしをしていると思わされている。
これらはナチス・ドイツや文化大革命下の
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エル・スール(1982年製作の映画)

4.4

自国の内戦によって故郷から引き離されてしまったこの父親は、もう永久に難民だ。
人の死は一度きりではない。
祖国を追われた時、イデオロギーが瓦解した時、愛する人と別れた時、その人に忘れ去られた時、時の流
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トスカーナの贋作(2010年製作の映画)

3.6

上野の国立西洋美術館の入口に、ロダンの彫刻がいくつかある。
こういった像は、彫刻家が造った原型に、別の職人がブロンズを流し込んで鋳造しており、『地獄の門』に至っては世界に7体も存在する。
そしてその全
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街の灯(1931年製作の映画)

5.0

目が見えるからといって、私達は本当に全てを見ているのだろうか。
街の灯りもひとりでに点灯する訳ではなく、誰かのおかげで輝いている事を、我々はつい忘れてしまう。
身なりは貧しいが、美しい心を持つ人もいる
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エレニの旅(2004年製作の映画)

4.8

故郷を失った人間は、一生難民になってしまう。
新たな土地で安寧な暮らしを手に入れようとも、その事実は変わらない。
祖国とは一体何なのか。
所詮は目に見えない線によって作られた概念に過ぎない。
自然に逆
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地獄に堕ちた勇者ども(1969年製作の映画)

5.0

ヴィスコンティは自身が貴族の出でありながら、マルクス主義者であり、資本主義を否定していた。
この映画ではその思想をナチスの蛮行と重ねて描くことによって、貴族の没落や退廃を見事に表現している。

ある貴
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木靴の樹(1978年製作の映画)

4.8

生産した作物の大半を地主へ納めないといけない封建的な農村。
そこに住まう農民らは神の恩寵を心から信じ、貧しいながらもそれを感じさせない暮らしをしている。
彼らはまさに隣人を愛し、幸福の為ではなく、不幸
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ピアニストを撃て(1960年製作の映画)

3.4

作中でランボーによる『地獄の季節』の「悪い血」を思わせるセリフがある。
ランボーはその章で、自身を劣等種族と見做し、ガリア人などの血を受け継いだ野蛮な人間であるとしている。
しかしそれを肯定的に受け入
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パラダイス 愛(2012年製作の映画)

2.0

凡人がラース・フォン・トリアーの真似事をしているだけの映画であり、ありとあらゆるものに対してのヘイトでしかない。
あのハネケすら『愛、アムール』で人間をより理解しようとしていたのに、それと同じ年に、彼
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シテール島への船出(1983年製作の映画)

4.0

監督テオ・アンゲロプロスの父スピロスは、ギリシャ内戦中に人質にされ、テオが9歳の時に戻ってきたという経緯があるそうだ。
この作品はそれに着想を得たのだろう。

この映画の主人公、映画監督のアレクサンド
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(2021年製作の映画)

3.8

婚姻を取り消す為に屍を蘇らせる少女。
マジシャンのような軽快な手捌きで、二人の男に命を吹き込んでいく。
死体を扱っているとは思えない妙な愉悦がある。
まさになんでもあり、という感じ。

オオカミの家(2018年製作の映画)

3.8

コロニア・ディグニダという実在したカルト集団から脱走した一人の少女について、三匹の子豚の寓話と重ねて描いた作品。
戦後にナチスの残党によって創立されたこのカルトは、まるであの強制収容所のような行いを移
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蜂の旅人(1986年製作の映画)

4.8

主人公スピロは、小学校の教員と養蜂家を兼任している。
それらはどちらも上の立場から何かを管理するという性質を持っており、彼は恐らく家族に対してもそのような振る舞いをしていたのだろう。
全てを失ってその
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マイライフ・アズ・ア・ドッグ(1985年製作の映画)

4.8

タイトルは直訳すると"犬のような僕の人生"。
一見すると蔑みのような題名だが、主人公の少年にとって犬は唯一対話出来る存在であり、犬と同等であるのは誇らしい事だ。
しかし彼の周りの人々はまさにその題名の
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グッバイ・ゴダール!(2017年製作の映画)

4.4

我々はゴダールの映画を革命と讃える。
それは主に映画の構成そのものを指す場合が多いが、彼が求めていたのは本当の意味での革命だった。
つまり賞の数や興行成績、観客の反応のみで作品の評価が決まる映画的民主
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かくも長き不在(1960年製作の映画)

4.8

我々人間は生まれてから現在に至るまで、ずっと同じ人間だ。
過去のどの場面を切り取っても、またこれから訪れるであろう未来の場面においても私は私であり、自己の同一性は確保されているように思える。
しかし人
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冒険者たち(1967年製作の映画)

4.6

男とは常にスピードの快楽を求めている生き物だ。
まるで立ち止まると死んでしまう動物のように、自由を求めて男達は走り続ける。
三人の主人公のうち唯一の女性であるレティシアは、車や飛行機に用いられる鉄を、
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