不在さんの映画レビュー・感想・評価 - 4ページ目

不在

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ウンベルトD(1952年製作の映画)

4.8

監督のヴィットリオ・デ・シーカは、戦後のイタリアにおける市井の人々の厳しい暮らしを、ありのまま描いてきた。
『靴みがき』では少年、『自転車泥棒』では壮年の男、そして本作ではいよいよ老人が主役となってい
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バルタザールどこへ行く(1964年製作の映画)

4.6

バルタザールとは、新約聖書に出てくる東方の三博士の内の一人。
生まれたばかりのキリストの元を訪ね、贈り物をした人物だ。
ブレッソンは本作の着想を、ドストエフスキーの小説『白痴』から得ている。
ドストエ
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アタラント号(1934年製作の映画)

4.0

本作で最後に辿り着く、ル・アーヴルという港町。
ここはクロード・モネの作品の舞台にもなっている。
印象派という名前はこの町の絵が由来だ。

港町とは川の終わりであり、海の始まりとも言える。
そして川と
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ラルジャン(1983年製作の映画)

4.8

今の社会に抗う事も、共産的な考え方に身を投じる事もできない。
主人公の目にはどちらも欺瞞に映る。
彼は良くも悪くも愚者であり、安定や現状維持の奴隷にならざるを得ない。
しかし彼のあずかり知らない所で、
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神々のたそがれ(2013年製作の映画)

3.2

この惑星は、我々の地球と比べて何が違うのか。
恐らく酸素の濃度だ。
皆が酸素欠乏に陥り、思考が麻痺している。
しかしその他の点では、地球における人類史と何ら変わりない。
ナチスの焚書や、毛沢東による文
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少女ムシェット(1967年製作の映画)

4.8

狩りという行為は子供にとってはただ残酷なものだ。
大人は生きる為にそれを正当化し、罪なき動物を殺して捌き、食卓へ並べるまでの過程を子供達に隠す。
しかしこの少女は、その過程を見てしまった。
人が生きる
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ジャンヌ・ダルク裁判(1962年製作の映画)

4.6

百年戦争から約600年もの時が経ち、科学が神の不在を暴いた現在においても、我々は彼女の信仰を疑う事が出来ない。
たとえ神などいなくとも、彼女がそれを敬う気持ちに偽りはないからだ。

ドライヤーの『裁か
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TAR/ター(2022年製作の映画)

3.8

男性が支配する芸術の世界における女性のあり方や、それによっていかに女性が抑圧されているかを描いた映画、かと思いきや実際はもっと複雑なものだ。
この監督は物事を一面的に賛同、または批判したい訳ではない。
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ディーバ(1981年製作の映画)

3.4

当時レオス・カラックスやリュック・ベッソンと並んで新たなヌーヴェルヴァーグの申し子とされた、ベネックスの長編デビュー作。
脚本は凡庸だが、特筆すべきは映像の美しさだろう。
しかし本作はなんとも勿体ない
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田舎司祭の日記(1950年製作の映画)

4.4

神は苦しんでいる人を選んで救う訳ではない。
我々はただ信じ続ける事しか出来ないのだ。
旧約聖書のヨブ記では、素晴らしく敬虔で悪事とは程遠いとされたヨブに対し、それを疑うサタンが神と交渉した上で、彼を試
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パラダイスの夕暮れ(1986年製作の映画)

4.6

カウリスマキは常に弱者に寄り添い、留置所や刑務所にすら希望を見出し、全てを失った人間がそれでも生きるべき理由を説き続ける。
我々は資本主義の名の下で勝者と敗者に区分され、資本こそが幸福なのだと洗脳され
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アングスト/不安(1983年製作の映画)

3.6

我々が目撃する一連の狂気は、恐らくほとんどが主人公の妄想症によって作り出された光景だ。
殺された被害者達も、彼にとっては自分を酷い目に遭わせた家族の姿に見えていた事だろう。
彼は過酷な家庭環境で育ち、
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女神の継承(2021年製作の映画)

3.2

悪魔はいるが、神はいない。
一神教における悪魔とは、神が完全なる善である事を証明する為にその存在がある。
悪があるからこそ、人は善なる存在を信じることができるのだ。
しかしこの映画における呪いとは、そ
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真夜中の虹(1988年製作の映画)

4.6

この監督は過程を容赦なくすっ飛ばし、とにかく行為と結果、因果のみを描く。
寄り道なしの一本道、人生という名のロードムービーだ。

主人公には自分の物と呼べるものが一つもない。
車や金は父親のものだし、
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天井桟敷の人々(1945年製作の映画)

4.8

言葉が無くとも人を楽しませる役者や、目が不自由でも見るべき物は見えている人。
それに反して、心にもない言葉を並べ、人を内面まで見ようとしない男。
第一部では、そういった人々が一つの愛を巡って対立する。
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マッチ工場の少女(1990年製作の映画)

4.4

主人公イリスは本にしか興味がなく、他国の凄惨なニュースにも他人事で、ただ言われるがままに生きている。
抑圧された環境によって自主性を奪われ、狭い世界で生きる事を強いられているのだ。
男を見つける為にク
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オリーブの林をぬけて(1994年製作の映画)

3.8

映画とは一体何だろう。
サミュエル・フラーは『気狂いピエロ』の中で、「映画とは戦場であり、愛と暴力と死、つまりエモーションだ」と語る。
これに対するアンチテーゼとして、小津やキアロスタミらは素朴で小さ
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そして人生はつづく(1992年製作の映画)

4.2

監督アッバス・キアロスタミが、以前撮影に使用した村が震災に見舞われたと聞いて現地へ取材に出向く。
しかし奇妙な事に、この映画に出てくる被災地は本物だが、キアロスタミは役者が演じている。
つまりこれは完
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トラベラー(1974年製作の映画)

3.8

昨今の映画は子供を純真無垢で善良な存在として描き、その子を全力で庇護したくなるように仕向けている。
何もしていないのに理不尽な目に遭い、その子を貶める物を、観客は容易に敵と見なす。
ではそうでない子供
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クローズ・アップ(1990年製作の映画)

5.0

こんな映画は恐らく他に存在しないだろう。
なんと実際に起きた事件の被害者と加害者に、当時の事を再現させて撮られているのだ。
本物の裁判を収録したシーンもある。
つまり作中で語られる事の全てが真実だ。
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蛇の卵(1977年製作の映画)

3.8

タイトルの蛇の卵とは、蛇の姿は卵の時点で透けて見えている事から転じて、将来起きる出来事の予兆は、今既に予見されるという意味だ。
作中ではヒトラーによるミュンヘン一揆は失敗に終わり、ドイツの民主主義が生
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愛、アムール(2012年製作の映画)

4.6

あまりにも息苦しいこの映画は、客観的に見れば明らかに悲劇であるが、主観で見たらどうだろうか。
2人は恐らく80代くらい。
言い方は悪いが、何かしらの病にかかってもおかしくはない年齢だ。
かくも長き人生
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あやつり糸の世界(1973年製作の映画)

5.0

我々がいるこの宇宙は様々な法則に従って存在しているが、そのどれか一つが少しでも変化すると、今のこのような形にはならない。
人類にとって、あまりにも都合が良すぎるのだ。
誰かが組んだプログラムだと言われ
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ボーイ・ミーツ・ガール(1983年製作の映画)

3.8

当事者と傍観者。
自尊心と虚栄心。
老いと若き。
他人が心に入り込んでくるのを受け入れたい自分と、拒絶したい自分。
主人公アレックスは、それら全ての狭間で揺らいでいる。
確固たる自分という実存を求め、
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(1955年製作の映画)

3.8

『道』の次の邦題どうしよ?せや『崖』にしたろ!
安直すぎて笑ってしまった。

巨匠と呼ばれる映画監督達はみな、常にコミュニケーションの不全を映像にしてきた。
言葉が通じない国、繋がらない電話、届かない
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ニーチェの馬(2011年製作の映画)

4.8

この映画は時間の流れによって我々を催眠にかけ、自我の境界を曖昧にし、映像と思考を混濁させる危険な装置だ。
人間も所詮は思考するだけの動物であり、それを暴く為にこの映画は思考を促し続ける。

この親子は
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街のあかり(2006年製作の映画)

4.8

社会は常に敗者に冷たく、襲い来る不幸にはいつも理由などない。
強者が富み、弱者が貧する構造の中で、人が生きる理由とは何か。
絶望と同じく、希望も死なないからだ。
そして弱者にのみ許された希望がある。
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ユリシーズの瞳(1995年製作の映画)

4.4

ホメロスの『オデュッセイア』の主人公オデュッセウスは、英語にするとユリシーズとなり、長い旅を意味するオデッセイという言葉はこの『オデュッセイア』から来ている。
本作での国境を超える長い旅は、オデュッセ
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こうのとり、たちずさんで(1991年製作の映画)

5.0

終末が来れば等しく滅びる世界を、小さく小さく切り分ける者たち。
自然に対し勝手に線を引き、それが心の線にもなってしまう。
何故一つになろうとしないのか。
神は何故言葉を分けたのか。
自分の本当の家は何
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だれのものでもないチェレ(1976年製作の映画)

4.0

どんな人の家にも信仰はある。
醜い人間達も教会に通う。
心から懺悔する人も簡単に死んでしまう。
神は一体何を救うというのか。
神の不在を嘆き、それでも尚信じ続ける無垢な魂か。
チェレは自らが燃え尽きる
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めまい(1958年製作の映画)

4.2

ミステリーとしては多少破綻しているが、それを感じさせない技術に価値がある。
作品に漂う謎はあくまで車輪であって、動力となるのは人間の様々な側面だ。
主人公は独身の年寄りで精神疾患持ち、しかも無職という
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黒猫・白猫(1998年製作の映画)

4.6

これは、豚が錆びた車を食べる映画である。
言葉にすると全てが陳腐だ。
視覚的快楽やリズムの為に、整合性や辻褄を捨てる。
普通はそういう所から綻んでくるものだが、この映画は圧倒的な熱量によってねじ伏せる
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こわれゆく女(1974年製作の映画)

3.8

この映画はなにかがおかしい。
特に冒頭、夫の同僚達との食事シーンからその違和感は始まる。
何か重要な事を避けてるような描写だ。
それはなにか。
妻の背景だ。人生とも言える。
彼女が壊れてしまった原因や
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鏡の中の女(1975年製作の映画)

4.6

人は1人で生きてはいけない。
月並みでありふれた言葉だが、事実だ。
他人こそが自身の輪郭を形作る。
自らを実存させる為には、自分自身を認識してもらう必要がある。
しかしその輪郭の設計図、つまり自己認識
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イリュージョニスト(2010年製作の映画)

4.8

まずは愛、言葉は二の次だ。
そんなタチの言葉が聞こえてきそうだ。
これまでのユロという存在は、どことなく浮世離れしていて生活感がなく、良い意味で人間らしくなかったから、まだどこかで生きているような気が
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パラード(1974年製作の映画)

4.8

タチは観客が望む全てを見せてくれる。
見たいもの、聴きたいもの、期待したもの全部だ。

彼は本来存在するはずのないカットという編集で、舞台劇に映画としてのリズムを加えていく。
しかしそんなカットされた
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