馬鹿な男が愛を知る話。
そんな馬鹿なやつに、男はみんな自分を見つけるのだ。
ニーノ・ロータの音楽が刺さる。
フェリーニは子供がそのまま大人になったような人だとよく言われているが、残念ながら男はみんなそうだ。
同じ男だからこそ、この映画の言おうとしている事はよく分かる。
フェリーニは自分をただ認めてもらいたい>>続きを読む
タルコフスキーの父で、詩人でもあったアルセーニーは自身の詩の中で、自分は世界の真ん中におり、目の前には宇宙が広がっていると語る。
彼にとっては世界の中に自分があるのではなく、自分の中に世界があるという>>続きを読む
本ばかり読んでいてアンナ・カリーナに愛想を尽かされたゴダールの、私生活を反映させすぎたヌーヴェルヴァーグの集大成。
俺を愛してくれないなら、殺してやる。
そんなイカれ男の撮る映画が、こんなに美しいな>>続きを読む
罪なき人間が無惨に殺され、神を憎む。
ベルイマン自身、牧師である父親から受けた仕打ちから神の存在に疑問を持つが、最後に湧いてくる泉に一筋縄には行かない父と子の心理を感じる。
作中で聖女のように描かれ>>続きを読む
仕事を理由に友人や家族すらも蔑ろにしてきた男。
妻は先立ち、息子には憎まれ、死にまつわる夢を見る。
ベルイマンにとって映画を撮るという行為は、自己セラピーとしての側面が強かったという。
厳格な牧師で>>続きを読む