食べるものを育て、食事を作り、食べ、そして片付ける。
「食べること」を中心とした営みは、まさに「食べることは生きること」を実感させる。
人々は単調な作業を繰り返しながら、作物は育ち、収穫され、煮炊され>>続きを読む
歯ざわりのいい映画とでも言えばいいだろうか。
好きなことを好きとはっきり言える清々しさに、誰もが愛しさを覚える。
悪人がいない、とっても優しい映画だった。出演者が笑顔で表情が柔らかいのを、見ているこち>>続きを読む
地球に甚大な被害をもたらす彗星をどうにか回避させようと、米国政府やマスコミ、市民たちを必死に説得する科学者たち。なのに、誰も真剣に取り合おうとしない。政府が重い腰を上げたかと思いきや、横やりが入る……>>続きを読む
愛を隠れ蓑にした抑圧、束縛と虐待への復讐の連鎖。苦しい話だった。
夫は妻(キャサリン)を虐げ、妻はその仕打ちをそのまま使用人に振り下ろす。使用人も耐え忍ぶだけかと思いきや、「犬(dog)のような醜態は>>続きを読む
精神疾患患者の心に神経を介して入り込み、回復を試みる仕事をするキャサリン(ジェニファー・ロペス)。その非現実的な技術を、猟奇的殺人事件の被害者(と、犯人)救出に使う。SFとサスペンス。しかも豪華絢爛な>>続きを読む
「夢だ」と思って見ている夢を、観客である私達も「これは夢だ」と思いながら傍観する。
ある意味、劇中劇のようで、どこまでが主人公の夢(または記憶)なのか、どこが彼が物理的に存在する現実なのか。その境は曖>>続きを読む
ただの猟奇殺人で終わってくれれば、どれだけ救われたか。
言葉を尽くせばわかってくれる、という平和的思考は通用しない。ダメだとわかっていても、言葉も理性も超えて行動してしまう情動が人間にはある。そう突き>>続きを読む
映画だし現実と比較するのは野暮なんだろうとは思うけど……
ゴミ処理場を運営する会社の社長が村長だとか、社員が物申せない社長のドラ息子がいるとか、好き勝手に振る舞う新入社員がいるとか、心を開く言葉とタイ>>続きを読む
これが「黒澤明」か。
カットがそれぞれ際立っていてすごかった。語彙力が乏しくなるほど、どうやったら美しいと思えるまで追求できるのか、その執念、本当にすごかった。
特に最後近く、羅生門の柱か崩れかかった>>続きを読む
ひとつひとつの場面を忘れたくない。まるで、詩のよう。ドラマチックな 展開はなく、在りし日の、もしくは想像上のベトナム上流階級の暮らしを丁寧に追う。
晩ごはんを終えてまだ眠るには早い、その気だるげな手持>>続きを読む
これがミュージカル映画の原点か(と勝手に思ってる)……という感慨。
実はミュージカルを映画化したものは苦手で、なぜかというと、地の文のセリフから曲に飛躍する所にどうしてもついていけないからだ。舞台だと>>続きを読む
エンドロールを聞き終わるまでがワンセット、静かに熾火がくすぶり続けるような愛だった。挿入歌でもありエンディング曲でもある「霧」に、この愛の全てが凝縮されていた。
それにしてもこの愛は、ヘジュンのひとめ>>続きを読む
世界をどこで切り取るか、で見えるものは全く違うわけだけれど、これは極端な「恋愛至上主義」で切っている。
いや、もはや変態的愛といっても過言じゃない。
まず、独身禁止。理由は何であれ(死別でも)パートナ>>続きを読む
ノリの良い成功譚。
男たちの情熱が80年代の音楽をバックに停滞から栄光へ一気に駆け上がる。これが面白くないわけがない!
エア・ジョーダンの行き着く先はわかってるからハラハラする場面もどこか安心して見れ>>続きを読む
正直、脈絡も何もあったんもじゃない。ただ、ロイ・アンダーソンは映像表現、それも映画という物語性がある動画だからこそできる表現の、最高峰だと思う。アンダーソンは会話や場面転換の「間のとり方」が絶妙で、話>>続きを読む
SNSの虚構と現実。その極地だった。
食べ物にも困る困窮具合なのに、詐欺まがいの方法で豪華な暮らしぶりのふりをする母娘。
家の中は電気も止められ食べ物もない「現実」。でも家の外に一歩出れば、有名メゾン>>続きを読む
至高の芸術を「所有する」「発見する」ことが、いかに人間の欲を掻き立てるか。それをやや悪露的にあぶり出したドキュメンタリー。
全体として大きく2つの潮流があって、1つはヤンという画商が未発見のレンブラン>>続きを読む
汚さの中に浮かび上がる美が見せ所なんだろうけれど……私には汚さ(蠅やゴミや言葉や仕草や…)が過剰すぎた。
子供を子供扱いしないほうがいい。この映画は子供の賢さと優しさ、そして大人の愚鈍さのカリカチュアだった。
子供は子供なりに十分自分の頭で考えることを知っているし、その考えて出した答えは大人より大人びてい>>続きを読む
パリ・セーヌ川に浮かぶアダマン号は、精神疾患の患者のデイケアセンター。
なのに、まるで野原のようだった。野原にいろんな草花が生えているように、症状やその程度、年齢や背景も違う人々が集い、さらに介護者と>>続きを読む
ダサくて冴えない、毎日退屈そうな女子大生が、バイト先のアダルトショップのオーナーに導かれて(?)、自分の欲や生きることに目を向け始め、運命を切り開いていく話。
見どころは、アダルトショップのオーナー>>続きを読む
パリ14区ダゲール街の肖像。
アニエス・バルダの突き放した感じが良い。特に、香水や化粧品を扱う店の奥さんが透明で静かで、まるでガラスのような人だったんだんだけれど、その固い静寂が画面から伝わってきた所>>続きを読む
どこにも居場所がない。なんとなく疎外感がある。
過激派はそんな人々の受皿になっているのではないか。人とのつながりが希薄になっている部分につけ込んでいるとしたら、姑息。
強い繋がりでなくても、軽く挨拶す>>続きを読む
シリア内戦で活躍する民間救助隊ホワイト・ヘルメットのドキュメンタリー。
前半は隊員のインタビューもはさみつつ、ハンディカメラ(おそらくヘルメットについている)で生々しい救助の様子を見せる。活動中に次々>>続きを読む
ファンシーポップ♡グロホラーなミュージックビデオという雰囲気(ストーリーは一応あるけど……)。
k12は、主に北米の義務教育期間(幼稚園から高校までの13年間)のことらしく、本作も男女共学の寄宿舎が舞>>続きを読む
普遍的な家族の話だった。
自分の成功が家族のためだと思い、家族を顧みなくなっていく父。新しい環境に疲れ切り、また夫の態度に苛立ちを隠せない母。愛情はあるけど口も行動も粗野な祖母。しっかり者の姉と病弱な>>続きを読む
イラク戦争で160名を狙撃した伝説の狙撃手の自伝を元にした話。
彼を賛美するだけの英雄譚ではなかった所がよかった。クリス(伝説の狙撃手)に救われた人も多いだろう。でも敵の阻撃手であるムスタファに執着し>>続きを読む
美しすぎて息が止まるかと思った。
ストーリーがあるようで無い、詩のような映画だった。
幼くして嫁いだ富豪の家での一年を、官能的かつ壮大な自然とともに描く。
背後には、幼くして会ったこともない男と結婚>>続きを読む
一果と凪沙の成長を軸にした群像劇。
やや内容盛り込み過ぎの感は否めないけれど……。
殻にこもり、社会を拗ねるようにして生きてきた一果と凪沙。その二人が、一果はバレエを、凪沙は一果を通じて、自分の人生や>>続きを読む
テーマが分かりづらい。
おそらく「黒人」「女性」がおかれている状況についてだとは思う。医療過誤(黒人の話を聞きやしない白人の医者)、家族・友人関係や自責の念が、ホラーテイストで語られる。
しかし20分>>続きを読む
映像が美しかった。
開拓前のニュージーランドは、密林や沼地ばかりで、豪雨も続くのに、画面から湿潤さが全く感じられない。むしろ氷に固められたような、まるで19世紀頃の北欧絵画のように堅く静かだった。
そ>>続きを読む
薬物の過剰摂取が蔓延するアメリカの街で、過剰摂取者の救護と回復に力を尽くす女性3人の姿を追ったドキュメンタリー。
舞台となる街は10万人弱で、規模的にはそこまで大きくない。しかし薬物の過剰摂取者の数は>>続きを読む
復讐劇。
ニーマンからフレッチャーへの、そして、フレッチャーからニーマンへのえげつない攻撃と応酬の繰り返し。
そこを救うのがバンドの演奏だったりする。が、ニーマンがドラムに向かう時、目が座って焦点が合>>続きを読む
75歳で生死の選択権が与えられる社会、これはホロコーストと何が違うのか。
安楽死はあくまでも権利に留まるのに対し、国家による特定集団の虐殺(推進)という意味で、plan75もホロコーストと変わらないの>>続きを読む
苦しい記憶を、爽やかに語る。
ナチスに目をつけられたユダヤ人一家が、ベルリンからスイス、パリを経てイギリスまで亡命する話。悩みながらも折り合いをつけ、なんとか前に進むアンナや家族の姿が清々しい。それに>>続きを読む
ミステリーやサスペンスには登場人物の「役割」(例えば探偵、犯人、フィクサー、犯人のスケープゴートとか)があると思っているんだけど、それが曖昧で話の流れが頭に入ってこなかった。
犯行の動機も各国の利害関>>続きを読む