執行する者とされる者、ドイツ人とユダヤ人、関心と無関心、と大枠の設定はそうなのだが、注意深く観ると曖昧な領域が見えてくるように作られている。
カント主義と公共性はギリギリのところでは同居しえない、なぜなら倫理というシステムにおいて子供という存在はバグのようなものだから。そんな映画。
観ているときより、思い出すときに深く刻まれる映画。時間軸は二つのようだが殆ど一つで、SF脳の人間には転生しても思いつかないような作り。映画表現の奥深さを感じた。
監督インタビューにもあったが、二度観ると巧の行動原理に納得感が出てくる。人間と自然への重み付けがフラット。
戦闘シーンがハリウッドらしくないけど緊張感がある。エミリーブラントの戸惑いが画面越しに感染してくるような映画。
途中「これノーラン映画じゃなくて良くない?」と思うかも知れませんが最後しっかりノーラン映画になるので安心して下さい。
これを観た後に口直しにコーエン兄弟の映画を観ると、この映画の何がしんどくて独特だったのかがよく分かった。
フィンチャー作品はどれもサスペンスエンタメとして完成されているが、この映画にはそれ以上のものがあるように思える。
暴力的な感情に支配されてぐちゃぐちゃになってるくせに、何故かぼんやりと前向きな時期。懐かしいような痛いような。
ヨウジだけが日本の路上のファッションで、資本主義などなどのせいでサイボーグゾンビとして強制延命させられているここ十年くらいだけど、それでも私はあなたの作る服を愛していました。
最高のキャスティング。こんな映画を作れてしまえるのが人類の可愛いところ。