失踪した子どもが実は母親が抱く妄想だったのではないかと疑わせるサスペンス。カメラがよく動く。カメラと人の動きはどれも緻密に振り付けられている。そのカメラが捉える黒い闇の深さは、モノクロならでは。土俗的>>続きを読む
1936年から1938年にかけての充実した多くの作品群の中にある中編。他の作品と同様にギトリのマシンガントークが炸裂し、中年女性や若いメイド(いつものジャクリーヌ・ドリュパック)との会話がテンポ良く進>>続きを読む
シリーズ一作目は、1920年代の連続活劇(シリアル)を甦らせる趣向だったという。連続活劇は短編であり、だいたいは一週間おきに続編が公開された。本シリーズは、連続活劇が何週間かかけて小出しにした見せ場の>>続きを読む
トム・クルーズは胡散臭い笑顔にぴったりのハマリ役。キャメロン・ディアスは可愛く、ポール・ダノはその後の作品における怪演の兆しを見せる。クルーズとディアスのすれ違いラブコメは序盤と終盤で立場が変わり、ク>>続きを読む
テレバンジェリストが吠えるテレビ画面が繰り返し描かれたり、志の高いところはあるけど全般にゆるい。また、本歌取りが多い。若い男女たちがクルマで田舎屋敷を訪れるのは『悪魔のいけにえ』だし、ジェナ・オルテガ>>続きを読む
1980年代の映画館に心を引かれるものの、どうも相性が悪い。印象に残るのは、オリヴィア・コールマンの歯グキ、コリン・ファースのゲスぶり、映写技師トビー・ジョーンズの妖精感。
運命論的(a.k.a ご都合主義的)が展開が楽しい。後輩を訪ねた小説家イ・ヘヨンが偶然に映画監督クォン・ヘヒョと遭遇し、さらに女優キム・ミニと出会って意気投合し、キム・ミニが呼ばれた宴会は後輩が開いた>>続きを読む
アデル・エグザルコプロスの不機嫌そうな顔、黒い肌の娘の大きな眼とアフロヘアー、夫の妹の不穏な眼差し、それにローヌ=アルプの雄大な風景。いい被写体が揃っているのに、タイムリープの展開を含めてあまり感興が>>続きを読む
親戚や家族に映画作りを「趣味」と言われると、即座に「趣味ではない」と切り返す矜恃。幼少期から思い定めた道に突き進んだことを、功成り名遂げた人生の終盤で振り返り、家族や学校にまつわる苦い想い出とともに、>>続きを読む
原作の登場人物が受肉しているのは、ニゲミチおじさんの高良健吾と、美少女泉谷さんを演じる當真あみ。広瀬すずは頑張っているけど、ぶっきらぼうなだけの人に見えてしまう。田島列島の原作は、吹き出しの中の台詞、>>続きを読む
冒頭、主要な登場人物たちたちがクロースアップで善玉、悪玉と歯切れよく紹介されるところから引き込まれる。黒い闇で描かれる黒いフランス革命史。ギロチンを前に「死を!」と叫ぶ民衆の熱狂がおぞましい。アンソニ>>続きを読む
ジャック・ドゥミお得意の運命論的な(a.k.a. ご都合主義的な)ストーリーが展開される。余人なら鼻白むところ、これまたいつもながらの見事な映画語りに引き込まれる。イヴ・モンタンの自伝を本人が舞台で演>>続きを読む
ロミー・シュナイダーがクスリをつかみ酒をあおるところは実生活さながらだ。第二次大戦前後を舞台にしたドラマチックなストーリー展開に、高校生のゴンクール賞を思い出す。
不見転(みずてん)芸者として悪びれずに生きる若尾文子のふてぶてしさと健気さ。そんな若尾文子にさまざまな男たちが絡む。顧客である山茶花究や山村聡といった金回りのいい中年男たちの狡猾さや醜悪さ。さらに寿司>>続きを読む
本作に疑問を覚えながらもひかれるものがあり、ポール・ギャリコの原作を読んでみた。本作が、原作におけるハリスおばさんの雰囲気を忠実に映像化していることが分かった。それでも、作品全体の印象はだいぶ違う。原>>続きを読む
第一部と第二部は、戯画的な描写を含めて、いやーな緊張感が溢れて手に汗を握った。それを引き継ぐ第三部は、伏線を律儀に回収していってちょっと長い。子どもたちが作る秘密の聖域は、かの『禁じられた遊び』にもあ>>続きを読む
1976年2月の日本公開時以来の再見。中二の小僧が、男女の機微をめぐるドラマをどこまで理解できたのかは自信がない。今観ると、イヴ・モンタンの見せ場が多いことに気づく。陽気で豪腕の解体業社長にして、嫉妬>>続きを読む
シャンタル・アケルマンのミュージカルということで、どこかでヒネリがあるだろうと身構えていたけれど、結局、ヒネリがないことがヒネリだった。ヒネリというか、観る者に映画を観ていることを意識させるようなポイ>>続きを読む
毎度お馴染みの恋愛劇を、毎度お馴染みの演出で押しまくり、毎度観る者を感心させる至芸。本作では、会話の切り返しで視線を交わらせず、映画好きを喜ばせる。1936年から1938年にかけての充実した8作を収録>>続きを読む
安心して観ていられるウェルメイド・ドラマ。ヒネリを求めて観るものではない。森の自然を捉えた撮影も、ウェルメイド・ドラマにふさわしく綺麗。
化粧して素人臭い演技の坂本龍一、白い砂に埋められたデヴィッド・ボウイ、リアルにしてシンボリックな戸田重昌の美術。1960年代と変わらぬ大島渚のケレン味が、世界的な製作作品でも発揮されていて胸熱。この後>>続きを読む
父娘の幸福なヴァカンスにつきまとう不穏な気配を、成人した娘が回想するしつらえ。ヴァカンス映画といえば先頃亡くなったジャック・ロジェ。本作は、ヴァカンス開始直後の幸福感と終わりに近づく頃の寂寥感がロジェ>>続きを読む
サラ・ポーリー、久しぶりの長編劇映画では、フェミニスト映画のど真ん中を突いてきた。女性を抑圧する前時代的で閉鎖的なコミュニティ(コロニー)という舞台設定は、現実世界の見えない抑圧構造を象徴しているだろ>>続きを読む
開巻、テンポに乗りきれず一瞬意識を失い、覚醒してからテンポをつかんだ。夜の街における人々の断片的なエピソード。街や飲食店や集合住宅の階段や室内に夜の闇が満ちている。夜は人の感情が昂進し、朝の光とともに>>続きを読む
清水宏といえば「写生精神」というかロケ撮影。でも、セット撮影の清水宏だってとても面白い。鮮やかなカット割りに、人とカメラの動きのアンサンブル。背景に外部の人のシルエットが映り込むカフェのセット、あるい>>続きを読む
ジェラール・ウーリーの対ドイツ戦コメディには『大進撃』がある。主人公たちが敵地に迷い込む展開も『大進撃』と同様。けれども、迷い込んだところが独裁者の山荘でシチュエーションがパワーアップ。映画としてのキ>>続きを読む
VFXは立派だ。近所のアマチュア無線アンテナ塔くらいの構造なのに、地上高600メートルの塔を砂漠の真ん中に作り上げ、本物感を漂わせてしまう。軽い高所恐怖症持ちには苦手な映像が続く。ただ、高所の描写より>>続きを読む
ホークスの初期発声映画。音声が効果的に使われている。たとえば、オープニング。控え室の刑事たちがゲームに興じていて、犯罪現場に向かってもずっとゲームのことを話題にしている。あるいは、刑務所の房でフィリッ>>続きを読む
お下劣なネタを、しっかりとティーンネイジ・ラブコメに仕立て上げている。たとえば、幼なじみの男女がお互いへの想いに溢れて見つめ合うとき、長いカットを割らずに踏みとどまっていることに股間、もとい、好感をも>>続きを読む
人間のクズたちが、クズの理を堂々と語るクズ映画。多くの人が指摘するとおり、『パラサイト』や『万引き家族』の元ネタの一つだろう。多彩なカメラアングルは、登場人物たちの視点だったりする。会話する背景に欄間>>続きを読む
前評判につられてシャープな演出を期待すると肩すかしを食らう。できれば登場人物たちと同じようにハッパを決めながら(日本では無理だけど)、ぬるーく楽しむ映画。主役はトレーラーハウス居住の兄弟で、兄はハッパ>>続きを読む
すっごく作り込まれた世界はお見事だし、ディテールの一つ一つは面白いのに、あまり感興がわかず。ケイト・ブランシェット扮する主人公が見たり感じたりする数多の不穏なものが、長い尺数の映画を動かしていないよう>>続きを読む
同一屋内に終始する第一部と第三部はしんどかったけど、第二部はトラック内から、ダイナー、駐車場など空間的な広がりもあって興味が持続した。観る者の居心地を悪くさせるしつらえと、映画への配慮が同居している。>>続きを読む
マッティ・ペロンパーとカティ・オウティネンの不器用なすれ違いが泣ける。ブタ箱で登場したときは不穏なおっさんだったサカリ・クオスマネンが、だんだんいい奴になってくるのも見所。
そこそこ楽しめる半魚人SF。若き日の千葉真一が、立ち回りこそ少ないけれど西欧人たちの中で活躍する。恋人のヒロインが、なぜか「アベー」と名字で呼びかけるところがご愛敬。愛嬌と言えば、成田亨デザインの半魚>>続きを読む
サッシャ・ギトリを真ん中にした親子三代にわたる物語で、父から子へ教えが継承される。父と子はどの代でも仲良し。ギトリの妻が唐突に逐電(死語)し、20年後に抜け抜けと戻ってきてギトリを煙に巻く。この妻役の>>続きを読む