原題で検索すると「ある」やつ(助かる)
過去の批評家が言い当てるように、反戦映画/愛国映画の両側面を持つ。この「どちらでもある」曖昧さを、各々が頭を捻り思考する「モンタージュ」することで初めてこの映画>>続きを読む
大画面で観てこその冒険譚。スペクタクルとしての面白さを持ちながらも、「冒険」という生ぬるい言葉では言い表せないほどの実状を挟み込むことも忘れていない。そして国境なき医師団のHPを見ると、そんな映画内で>>続きを読む
これまた原題に思いを馳せてしまう映画。我々の人生はやり直しが効かないし、そもそもやり直す必要もない、単なる「1」としてあるだけのものだ。ただそこに映画との邂逅が「2」を与えることができる。自分の人生に>>続きを読む
モンタージュにより異なる社会階層の人物間の連関が示される。彼らが最後まで同一時空間に収まらないからこそ、その背後にある搾取と格差への批判という作り手の主義が浮かび上がるつくりになっている。
しかしまあ>>続きを読む
スターリン主義のもと芸術家が弾圧されたことや、森を切り拓いて下らない運河が建設されたことといったルーマニアが背負う暗い過去が、素晴らしいロケーションをバックにした2人の人物のおしゃべりからポロポロとこ>>続きを読む
程よくショットを割りながら、間を狭めながら、大きな体躯から生じる派手な演技とアクションを推進力に、ファスビンダーもびっくりの軽妙洒脱さをもってぐんぐんシナリオが進行する。フランソワ・オゾンの映画は「ウ>>続きを読む
惨めにみっともなく騒いだ果てに、孤独を打開する糸口を捉えようとするが、時すでに遅し。顎で使われ暴言を吐かれても、いつだって後景に佇んでいた存在にもついには見放されてしまう。失ってから気づく的なアレか?>>続きを読む
相対的な「正しさ」を絶対的な正しさに優先させるという過ちを、人類は何遍も何遍も何遍も繰り返している。
蝦蟇と大蛇とトリック撮影!
弁士付き上映初めてみた。立板に水という感じで、コマ送りのスピードに合わせて大量の台詞を繰り出していくのが圧巻。数秒ごとに声音をスイッチして人物を演じ分けるのも凄かった。職>>続きを読む
英語字幕が途中からなかったけど会場沸いてた。チャップリンの映画に通じるものがある顔芸とジェスチャー🎯
昔マキノ版の抜粋をみたかもと思い出した。それに負けず劣らずの、馬場までの疾走と決闘シーンのダイナミックさ、カメラのアクティブさ。
私もドワネル青年と同じ行動ギリ取りそう。呆気ない片思いの末路とあまりに居た堪れない食卓シーンで、私なら遁世するかな〜!とも思った。
ドワネル強く生きろ!
タイトルが秀逸。この「解剖」は「落下」を物的証拠や状況証拠で腑分けする、という意味以上のものがあった。つまり「落下」の原因となった可能性のある諸トピック、夫婦間の差異(母語、才能、家庭での役割分担の比>>続きを読む
私も中盤一瞬寝た気がするし、鑑賞後まずパッと思い起こされたのが、お爺ちゃんに鍋に直箸突っ込むなと怒るお婆ちゃんや、酔っ払ってお婆ちゃんに「(お前の)首絞めたら俺も死ぬ」(曖昧)と言って畳にいた虫を叩い>>続きを読む
突然のリュミエール『散水夫』オマージュ、さすが映画の子ども!
お姉さんの素足に対する清々しいほどのフェチが炸裂し生のエネルギーが迸るなか、思いがけない1つの死が休暇の終わりに薄ら苦い後味を残す。子ど>>続きを読む
女性の身体、とその変化への関心は、彼女のフィルモグラフィーの最初期から貫かれているのだな。モチーフや仕草が連鎖しながら、生や老いや死のイメージが紡がれる。冒頭のヴァルダ本人(らしき)の妊娠したおなかの>>続きを読む
親の顔ほどみた3本の中で1番好き。構図のキマリ具合、幾何学的な美しさに惚れ惚れする。フレームの対角線を境界に、機関車とホームとで色彩のコントラストを生んでいるのがお見事。
「機関車の運動は観客からす>>続きを読む
父親→娘の図がある意味「定石」のところを、息子→父親へと矢印の向きと対象を変える斬新かつ鬼畜の発想。風呂場→テレビ見る母→風呂場のシークエンスが強烈。アリ・アスターは人間の業の描き方があまりにも悍まし>>続きを読む
映画美術の技巧は豪華絢爛な室内装飾や衣装と同様に、腐敗した食べ物や動物の死骸にも発揮されているから参っちゃう。でも露悪的なイメージと下品に騒ぎ続けるオヤジをやり過ごしたあとにやってくる結末がはちゃめち>>続きを読む
あのアイコン、あのサムネだ…!となった。あと洗面所で寝ちゃうって言ってた友達のことを思い出した。
番外編
J’ai rigolé en trouvant mon ami français, vrai et authentique cinéphile, raffole beaucoup ce f>>続きを読む
覗き見ていた相手がこちらに興味を持ち、欲望し、果てには窃視の主体が逆転するのはやりすぎ感がある。 でもTomek的歪さや下手さ、愚かさに共鳴する瞬間もあり、気色悪い幻想ムービーとは一蹴しきれないからよ>>続きを読む
この映画のリアリティは、殺害の動機や実行、それまでの過程にあるのではなく、ロープの輪を調整し、クレーンに油をさし、開閉式床の下に黄色のトレーを置く、一連の動作を迷いなくこなす執行人の手つきにこそある。>>続きを読む
内面化されたホモフォビアが過剰な暴力として剥き出しになる。シンプルな筋だと思う。そこに外国人部隊の兵士や流石のアクロバットをこなすドニ・ラヴァンらの身体がしなやかに躍動する様式美的なシークエンスが挿入>>続きを読む
リンチの末に深い暗い穴へ落とされた男がジワジワと壁を這い登る。しかし小さな白い四角にまで到達できるかはわからない。不穏な7分間。録音に並々ならぬ拘りを感じたし、観客を暴力の傍観者だと意識させる点も『関>>続きを読む
『カルネ』『心と体と』以上に"丁寧"な剥皮シークエンス。キリンハント回は狩猟からトラックに積み、処理作業までの一連の流れが全て映されていて、だいぶ暗澹たる気持ちになった。
詭弁を垂れる饒舌な白人ブル>>続きを読む
退学する子や陰でひっそり落ちこぼれている子がいながらも、曖昧に、ぬるっと学期が締めくくられるところが現実味があった。多様な生徒たちを集団として相手にしながら、個々人に向き合うことはめちゃくちゃ大変なん>>続きを読む
私は「おっしゃみる!」という強い意志を持たないと、ブレッソンの超抑制的な演出が施された映画を、睡魔に負けずに観れる自信がない。のだが、これはちゃんと起きてられた。
華麗な手捌きのスリは最早アトラクシ>>続きを読む
俺たちの人生は、不可逆性をもって流れていくもので、その線上に無数の邂逅と別離(この2つの間隔はときに永遠に思えるほど長く、ときに瞬きのように短い)が穿たれながら、ただただ伸び続けていくのだと感じた。>>続きを読む
「もしヨルゴス・ランティモスがフェミニズムを語ったら…」に対する納得のアンサー。魚眼レンズショットに、お決まり(?)の奇妙なダンスなどランティモス調は健在である一方、ギリシャニューウェーブ即物的セック>>続きを読む
5分でわかるジャンルとしての仏映画。La Femisへの好奇心は募るばかり。入試のドキュメンタリー日本で観られるようにしてくんろ
各々が各々クソな現実を抱えていて、家族相手であっても完全にそれを晒し切ることはできない。家族団欒でも結局のところは1人。
「みんなと一緒でもひとり」の孤独感は、同一画面に「みんな」の姿が収まっていな>>続きを読む
叩けばすぐにヒビの入りそうな人間関係が、衝動殺人をきっかけに綻びはじめる。外からの糾弾は無くとも、内側から勝手に壊れていった。事の発端も、しっかり抱く罪意識も、しょうもない絡れも、夢追い人であろうとす>>続きを読む