二人の過ごした日々の慎ましい幸福はたしかに美しいけれど、クイインがいなくなってから麦もロバも我が家も手放してゆくヨウティエの姿を見てしまっては、とてもじゃないけれど二人でいた記憶だけでは生きていけな>>続きを読む
男たちの女性蔑視が酷いが、彼らの役としての女性蔑視というような感じで、映画を撮ったカサヴェテス自身の視線としては女性蔑視を感じなかった。彼らは笑ったり蔑んでするが、映画監督としてのカサヴェテスはこれを>>続きを読む
彼女の眼差しはいつだって力強く、絶望したことはなかったように思う。
僕たちの生きる時代は彼女の生きた時代よりも進んでいて、生きづらさを理解できる人が増えてきている。足取りは鈍くとも確実に。インター>>続きを読む
正直なところ退屈だった。どうでも良い関係の人たちと過ごしたどうでも良い日のことだ。少しでも事態を好転させようと言葉を放って間を埋め尽くすが、そのどれもが宙を掠めていつまで経っても僕たちのリズムが決定的>>続きを読む
あの夏の愛されていた記録があれば、今起きている怒りや失望、その全てを受け入れられるだろうか。許せるだろうか。
記録や記憶はときにお守りのようだと思う。たった数時間の記録に残された愛情や優しさ、それ>>続きを読む
蟲たちの命は決して奪わないけれど、人間はいとも簡単に殺すナウシカの命を選別する姿はとてつもなく人間のそれだなと思った。
参謀のクロトワが好きだった。仕事と割り切って仕方なく侵略をするけれど、自分の職>>続きを読む
アニメーションを観ながらアニメーションである必然性が見当たらなかったけれど、宮崎駿はこれをアニメーションで描きたかったのだなと、飛行機を作りたかった堀越二郎と重ねながら。
飛行機を作りたい。二郎が眠>>続きを読む
「生きろ、そなたは美しい」という言葉を受けてアシタカを殺すことをやめたサン。獅子神が消えた後の森の美しさを見て戦うことをやめた人々。争いをやめる方法は共に生きて美しいものを見ること、宮崎駿はそう言いた>>続きを読む
こんなことを映画対して思うのは初めてだけど、不器用な映画だと思った。人間と同じように、器用な映画や不器用な映画というものもあるのだなと思った。そしてその不器用さは、岩切の家族や姉妹、社会に対する不器用>>続きを読む
イメージフォーラムの三列目でとんでもない角度でスクリーンを見上げていたせいか、序盤は乗り切れず睡魔と戦っていた。息子が登場した辺りから笑えてきて、映画にノリ始めて、すっかり夢中になった。
息子を追>>続きを読む
アニエスお婆ちゃん、愉快すぎる視点が楽しい人。彼女のご近所さんになりたい。彼女の目で世界を見てみたい。自分の映画の中に自分しかわからないカラクリを潜ませるの、浪漫があるなあ。
作品を独り占めしないと>>続きを読む
ウォン・カーウァイ、やっぱりBPMが合わない。好きなシーンや美しさがあるのに、自分の一番美しいなと思う瞬間に終わってくれない。顔を合わせる度にちゃんと楽しいのにいつも別れ際が上手くいかずもやもやした>>続きを読む
このレビューはネタバレを含みます
言葉がまとまらないのでまとまらないまま書き殴ることにするけど、書いても書いてもこの映画が収まらないので、これからも書き足していくと思う。
大雨。台風。土砂崩れ。湖を囲む街。湖。何度も映される水の濁流>>続きを読む
金子勇という人物の魅力がすごかった。
次の世代のことをちゃんと考えている人の言葉に目頭が熱くなるのは、自分が年老いたからなのか。
目の見えない父親と、子どもたちに見えないように戯けるサンタさんの演技。何も見えていない彼らを楽しませる愉快な嘘をずっと吐き続けて踊っていたい。
偶然会った友だちと一緒の映画観よう〜!となって観れたの>>続きを読む
男の下半身を弄る手、彼女の洋服を愛撫する手。手がとても印象的な映画だった。私たちは他者に触れるとき、まず初めに手が動く。手を伸ばして、手と手を合わせてみたり、肩を抱き締めたり、髪を撫でたり、その頬に触>>続きを読む
このレビューはネタバレを含みます
小学校の卒業アルバムに「一生友だちでいような〜」と書いてくれた友だちがいた。放課後も休日も毎日のように遊んでいて、僕も親友だと思っていた。同じ中学校に進んで、けれど彼とは小学校の卒業式以降遊ぶことはな>>続きを読む
誰かの暗さや鬱屈とした気持ちにあてられて大丈夫だったはずの自分も同じ暗がりまで落ちてしまうような、人間関係にはそういう面がある。事実としてある。この映画を観ながら、彼女たちにとってぬいサーは確かに必>>続きを読む
こんな社会で、それでも自分だけはあなたの希望でありたいという願い。そういう希望とか、ありえたかもしれない未来みたいなものを自分だけが一人でずっと信じていて狂っていくようなことばかりだ。
横浜のSEASIDE CINEMAにて初の野外上映。途中何度も夜空を見上げて雲がないか探してた。とても楽しかった。
動物を飼い慣らした気になるのは間違っている。同じ言語を用いる人間ですらお互いの本心>>続きを読む
差別や背景に嫌な汗をかく瞬間があるけれど何よりもエンターテイメントとして目が離せない面白さがあるジョーダン・ピール
時々ナレーションにとって代わる俳優の独り言が、より一層孤独の立体感を強めていてよかった。読書をするときの孤独に似ていて居心地がよかった。夜に観てよかった。
"父親に向いた人間ではなかったし、息子に向>>続きを読む
アントワーヌが一人で悠々と暮らしていて、それだけで嬉しくなる冒頭。親友がいて、自分の部屋という帰る場所があって、そういう生活の余裕があるから好きな人ができて、失恋はほろ苦いけれど彼に居場所があってよか>>続きを読む
初めて観たトリュフォーの作品は「家庭」で、アントワーヌ・ドワネルの未来を知っていたからこそ、愛され方を知らない彼の孤独が寂しくて泣いてしまった。
遠ざかる街を檻越しに見たときの一筋の涙、家族で映画を観>>続きを読む
自分たちの悪戯が恋や嫉妬と呼ばれるものとは知らなかった子どもたちの純真さ。
子どもたちにとっては、悪戯とテニスボールだけが彼女と関われる唯一の瞬間だった。けれどきっと、彼女には彼しか見えていなかった>>続きを読む
オールナイト上映にて。
「青の時間」と「カフェのボーイ」を観てあとは眠ってしまった。
近いうちに観直したい。
満たされない自分のせいで本当に大切なはずのものを大切にできなくなる。人間の愚かしさの美しさよ。
恋人が自分の親友と浮気をしているのではないかという、自分の目で見てもいない判然としないものに振り回され>>続きを読む
大切なはずなのにわざと壊してしまいたくなるミンミの気持ちをよく知っている。そんな彼女を抱きしめてくれるロンコがいてくれてよかった。自分はいつになったら壊さずに済むようになるのだろうと思いながら彼女たち>>続きを読む
無駄にカットが多く、場面転換の最後のカットに印象的な表情や涙を映したり、意味を持たせ過ぎている気がした。そのせいで余韻が足りないような、印象に残そうという意図のせいで印象に残らないような、そんなカット>>続きを読む
見終えた後に歩く、夜の帰り道のことを考えていた。同じスクリーンを見ていた周りの人たちのことも。それぞれがそれぞれの夜道を、帰路を歩いていくその背中を。
昼間や街の中はいつも目に映る景色が目紛しくて、>>続きを読む
君の皮膚はとても美しい。君に触れたい。どうやったら君に触れられるのだろう。君とひとりぽっちになるくらい溶け合いたいのに、私たちの皮膚が邪魔をする。皮膚のその奥にいるはずのあなたに触れたい。お互いに触れ>>続きを読む
ラストシーン、薄れゆく街を眺めながら、街にカメラを向け、母の手紙を読んでいたアケルマンの横顔が浮かんで、良い映画だと思った。映画に映らないものが映っていた。
劇場を出た頃になってすごいものを観たと思>>続きを読む
室内に水を撒き、食器類を床にばら撒く。革靴を磨くためのクリームが足を黒く塗りたくる。してはいけない、もしくはするべきでないことを鼻歌をBGMに気が狂ったように行っていく彼女が、それでも部屋の外にその狂>>続きを読む
母からもらい、信仰の対象としてきた木彫りの聖母像は、バルトロメアとの邂逅によって半身が男根を模した性処理の道具になる。それはまるで、信仰と許されざる性の欲求が表裏一体であることを示しているようだ。彼女>>続きを読む