「ムリだ」という言葉が口から出てしまうジョンの孤独。自分で作り上げた偽りのジョン・F・ドノヴァンと人間関係、それらを壊したいと夢想しつつも、本当の自分に触れられそうになったときに逃げ出してしまう彼の孤>>続きを読む
日の丸、というものについて考えたことはこれまでなかったと思う。
映画を観ながら、異なる言語を持っているにもかかわらずどの国にも国旗というシンボルが存在している事実は興味深いと考えていた(実は国旗がな>>続きを読む
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「ルリ子を頼む」という緑川先生の最後の言葉、それは本郷猛への信頼だった。その言葉を約束と捉え、本郷猛はショッカーと戦うことを選ぶ。ルリ子が死んだ後は彼女の願いを引き継ぎ、やはり戦い続けることを選ぶ。他>>続きを読む
キスは不要だったんじゃないかなと思ってしまう。あの瞬間、恋愛に要約された感じがして残念だった。
住所を聞いたときの拒否から、彼の人生はもう長くないのではないかと想像してしまった。目的地に着くまでの、>>続きを読む
気持ちはずっと変わらないのに、言いたいことがずっと遠回りしてしまう。二人で始めたことなのに、家族や弁護士、子どもを巻き込んで、本当に言いたいことから離れていってしまう。それはとても悲しいことだ。あなた>>続きを読む
ふっ、と消えていくようなそんな身軽さに憧れる。僕の人生にもそういう人がいた、あの人は今どこにいるんだろう。
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ヤン刑事とヌオがなぜ愛し合っているのか読み取れず、ただ愛や欲望に理由は要らないかもしれないからそれでもいいのかもと思うたり。
ヤン刑事は父親への愛、ジャンはリンとヌオ、アユンへの愛、タンはリンとヌオ>>続きを読む
パソコン通信で交換されるメールのやり取りがとても良い。書き言葉と話し言葉はそれぞれ異なる美しさと他者との距離が表出されるものだと思っているのだけれど、僕はやはり書き言葉の整頓された文字から浮かび上がる>>続きを読む
カメラワークが美しかったりコメディーだったりして楽しかった。容疑者を追いかける後頭部を映したカット、車を走らせる主人公を正面から捉えた急なズームインなど。
不穏が漂うミステリーの序盤、愛おしさを映すラ>>続きを読む
アメリカのホームコメディみたいなカメラワークに思わず楽しくなってくる。
ルルがずっとキュートで観ていて楽しい。お尻を地面につけるのどういう遊び?と笑ってしまった。
継母が若い頃のドレスを贈ってく>>続きを読む
これほどまでに映画というフィクションの登場人物を隣に感じる映画があっただろうか。彼らが過ごしたヴァカンスも僕たちの日々も川のように繋がっていて、彼らのヴァカンスの美しさは、思い出の中に浮かぶ友だちの>>続きを読む
石油ストーブの前で膝を抱えて丸くなっていた冬の朝を思い出した。寝癖も直さず、トレーナーを爪先が隠れるまで伸ばしていた。登校班の集まりにはまだ時間があって、兄弟たちは頭まで布団を被っていた。あの時間はど>>続きを読む
テレビに映される有名人の結婚報告、娘にお見合いを強要する母、好きな異性のタイプを聞いてくる合コンの男やキャンプで出会った男、レズビアンがどうとか型にはめて責め立てる妹。主人公の苦しみを表現するための>>続きを読む
戦争を描いた物語はなぜか敬遠していたが、太宰治の短編集「グッドバイ」を読み、そこに描かれる戦時中の人々の思いに惹かれ、鑑賞。
「御国の為」という名目で自分の本当の気持ちも言えず、それでも漏れ出てくる>>続きを読む
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仲野太賀はやっぱりすごい俳優だ。
ナマハゲという題材からなんとなく地域おこし感(地元PR感)を感じて観るのを敬遠していたのだけれど、この映画はナマハゲという題材が物語の核として機能していて、これは>>続きを読む
とても好きな映画に出会った。
右から左へ歩くとき彼女はいつも苦しそうな顔をしていて、左から右へ歩くときはほんの少し誰かに頼っている幸福なモナが映されている。
砂浜の波模様、畑に均一に置かれた木々、>>続きを読む
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永野芽郁の身体が姿勢がよかったりどうにもピシッとしていて、その作られた廃れ感に乗り切れなかった。けれどマリコの父に刃物を向ける場面は思わず胸が締め付けられた。
骨壷を置いていったり骨壷で人を殴った>>続きを読む
昔話みたいな話だった。
亡くなった娘と同じ名前を付けている時点であの二人はあの子をアダの容れ物としてしか見ていなかったから、きっとあの子は父親のところに帰って正解だと思った。
弟とアダがソファで>>続きを読む
誰も子どもの気持ちを考えていなくて悲しくなった。勝手にこの世に存在させられて、勝手に疎まれて、勝手にいないものにされた赤ちゃん。川上未映子の夏物語を読んでほしい。
新年初めに観る映画は決めていた。身体を売る時間と息子との食事の時間がぱっと切り替わった時、彼女の考えたくない瞬間の途方のなさを知った。
大人になるって、いつかの自分に手を振ることなのかもしれない。できる限り小さく手を振る。それはきっと映画を観るみたいに寂しいことだ。
もしあなたが海辺にいるなら
やわらかな毛布をそっと
愛の果てに誰かを殺してしまったり自死を選ぶしかないようなこと、この世にはあると思う。
初のシャンタル・アケルマン。彼女の撮る映画がとても好きだ。この映画には私が映っている気がする。全てを知る必要はないのに、全てを知りたいと願ってしまっていた。
言葉にするということは白か黒かを選ぶということで、浮気している相手と話し合うことは自分の気持ちを決定付けなければならないということだ。
母と子という役で成り立つ親子関係。小さな二人の女優ごっこ、演じるということ。母と子といえどただの人間同士だ。あなたはマリアン、私はネリー。お母さんだからといって、娘のために強く居なくてもいい、たまには>>続きを読む
自分の大切な人が他の誰かと苦しみを分かち合っていたり二人にしか分からない言語で話している姿を見たときの孤独。
舞台挨拶で柄本佑監督にした質問を、席を立つときに隣の人が「私も気になってました」と話しかけてくれて嬉しかった。偶然同じ映画を観た知らない人と感想を話し合うのが小さな憧れで、今夜はそんな憧れにぴったり>>続きを読む
人生の終わりに、もういなくなってしまった友を思い出してあの頃のように踊るパットに涙が出た。誰もが彼を忘れてしまったシャンデリアの下、彼を知らない若い世代がその姿に目を輝かせていたのが忘れられない。私>>続きを読む
他人に与えられた食べ物をモシャモシャと食べ飲みし、その対価として簡単に自分の身体を差し出す彼女を苛々しながら観ていた。自分を安売りしない、そう教えられて育った現代の僕たちだから彼女の自分を大切にしない>>続きを読む
親しい人と話せなくなっていく彼ら二人を、家庭というものの苦しみを知っている気がして、とても息苦しいものなのに、けれどこの映画を観た後心がとても軽くなっていた。その軽快さが自分にとって不思議な映画だった>>続きを読む
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荻上直子が映し出す食事のシーンは食べたものが食道を伝って胃に入り身体をつくるという、当たり前なのに忘れていたことを思い出させる。食べることは生きること、生きていくという決意だ。
食がエンターテインメ>>続きを読む