殺人と映画撮影で世界を掌握した気になってるチンケな男達。殺人鬼として何か深い考えがある訳でもなく、その場の流れと金目当てに殺人を繰り返すブノワに着いていき 共犯者にもなる撮影クルー ブノワが自分の行為>>続きを読む
悲惨 だけどどうすればいいか?なんて何を言ったって欺瞞にしかならない様な気がして、結局まなざすべきなのは 元凶でもある政府と警察?
そのリアルに生きながらも ひとつの浮いた視点を持っていた主人公だけ>>続きを読む
鋭いセンスで描くフランスの地獄 だけどコレを見てると、ここまで問題化すらしない日本国内の方も充分病んでると思う...
社会 警察や政府の腐敗を感じ取りながらも、その苦しみをどうにもする事はできないし>>続きを読む
社会が何かしらの問題を抱えていることは認知しているけど、ソレを勉強したり冷静に捉える能力が徹底的に枯渇してる(から 自分の人生も乾いたモノにしか見えない)故に 目先の問題を潰せば大きな問題が解決すると>>続きを読む
つまらない 意味の無い人生や生活から脱出する事なんて、その願望こそが1番虚無。指定されたプロットに沿って生きるしかない、チャーリー・カウフマン的な鬱傾向の原型?
男性的な生き方を選ぶ事が出来ない青年の "Bitch"としての生存方法 と、元から恵まれた環境にいながらも どこか鬱憤を抱えている人々(ソフィア・コッポラ自身?)の苦しい生存方法。まぁホームスクーリン>>続きを読む
高層ビルから沖縄を見渡そうとする日本人と、ソレをさらに高い位置から見下ろす... そもそも舞台が沖縄である以上決して無視はできない(無視してはいけない)要素を 1番破壊力のあるタイミングで見せつける。>>続きを読む
再鑑賞
80年でも90年でも100年でも、人生全部の年月を無駄に過ごすきっかけというのは、"自分でその道を選ぶ"のでは無く、最初から 社会に自己が存在してる時点でもう待ち構えている。から 死に物狂い>>続きを読む
登場人物が前に進もうとすると、映画の時系列はその後の絶望に飛んでいく。結局、問題やハードルは過去から現れる以上、前を見ているだけでは前進できない 人々もいる。自分の絶望を何度も描くイニャリトゥ自身がそ>>続きを読む
被写体に触れようとした結果 自分の闇に向き合わなければならなくなるインセル。
被写体としての自分がダメだから、映画を撮るモノとして他人をコントロールしようとする。というのは、多少こじつけ感はあるけれ>>続きを読む
視聴者を一切信用してないのか、最初に主なテーマをガッツリ説明してから"映画"を始める変な構成。現実の醜悪さ、美しさを含む複雑性は、それぞれが(良い意味でも悪い意味でも)内面化して生きているハズなのに、>>続きを読む
"ファム・ファタール"の本人にとって、ソレは"ファタール"でも何でもない というか、ファムファタという言葉は基本的に、近年では、その対象を把握してコントロールしたい男性の八つ当たりとしか使われていない>>続きを読む
いい歳して銃で遊んでるジジイなんてガキか馬鹿かキ○○イしかいない というのを ソレを理解してるオジサンが描くのに、微妙な図々しさを感じる。別に自覚できているからと言って、オジサンが周りに迷惑かけさせケ>>続きを読む
地獄への道は割と元から開けてる というか、無邪気な行いから いとも簡単に地獄へと突き進んでしまう。だから、"クリスチャン"は完全にマヌケとして描写され Burzumの神格化を徹底的に否定する。"アマデ>>続きを読む
自分が過去に仕掛けた波状攻撃(クソ男)によって崩壊していく精神と日常。ソレを1人ずつ処理していったとしても 自分だけは処理できない のは確かにそりゃそう。ある意味 最後の処理も合理的?
例えば、今現在でも神や精霊、祖先から「選ばれた」人々は、自分がなぜ選ばれたのか、なんでソレと向き合って人生の歩まなければならないのか 多くの悩みを抱えつつも神との関係を築きながら生きている。とする>>続きを読む
自己犠牲でDV父を壊す 韓国映画曰く 韓国における家父長制は本当に酷い。でも自己犠牲だって身勝手じゃ?「自己犠牲」で何かを変えれるのは男だけ。
ちゃんと自分で立ち向かわなければ、あっけなく人生の大切な時間は赤の他人の為に費やされる。妻の母親が見せる表情は アンドリュー・ヘイの"さざなみ(45 Years)"のラストシーンに匹敵する程怖い。>>続きを読む
映像と録音から真実を見つけ出すことが出来る という勘違いの中でしか生きられない現実。
ラース・フォン・トリアー作品とかは特によくあるけど、作品の登場人物の言動やストーリーを その作者の現実として 本>>続きを読む
第一部より植民地主義のテーマが薄れていながらも、問題をクローズアップ、リアルを見つめる映画 というよりは 過剰な暴力や残虐な描写から苦しみを見てる。
ただ存在しているリアルを 肯定も否定もせず描く...というよりは、全力で肯定と否定を同時にしている様な印象。セデック族の伝統を今この場所からジャッジすることは難しいと思うけど、少なくとも、"文明"によ>>続きを読む
ポスターにもなってるダンスのシーン、アップテンポな曲で激しく踊る"妻"に一緒に踊ろう と誘われた"夫"は、立ち上がるも踊らず 無言で演奏者の男性に目線を向ける。すると目線に気づいた奏者は 演奏をスロー>>続きを読む
ヒトの本当にグロテスクな部分へは、実際にその場で遭遇し ソレを見てきた者以外に気づけない。ショー(映画)として人間の醜悪さを見つめる。どんな事でも所詮他人事。
家父長的な社会の中で 女性が"大人"になることも、人々が戦争に加担することも、日常を生きる中で 静かに自動で組み込まれていく。日本の教育における「戦時中は酷"かった"よね〜」という語りへの危機感。今は>>続きを読む
未亡人は未亡人らしく という社会の締めつけをぶち壊す為に ケネディの葬式の その行進の瞬間だけ、確実にアメリカ合衆国のトップに立つジャッキー。ただケネディという個人が存在したこと ホワイトハウスでのジ>>続きを読む
自分の罪にも他人に対しても向き合っていない父親 形骸的な家父長制(のような何か)以外にまともな繋がりを持っていなかった家族が、浅野忠信の一撃で、古舘寛治が言うように ようやく家族になる... という展>>続きを読む
日本では 男性が パブリックな場所で性欲を開き散らかすコトに対し 誰もがどこか容認している、許しすぎている。ずっと前からこの風潮は気持ち悪いと思ってるけど、今作は その日本人男性の軽すぎる性欲を利用す>>続きを読む
あまりにも露骨に王室を破壊するハブロ・ラライン、大好きな映画 と言いたいとこなんだけど、正直ダイアナの心情も周りの登場人物の心情も、全て端から端までセリフでミッチリ説明してくるのは流石にやり過ぎだと思>>続きを読む
ルールの多い楽園はルールを破って楽しむ。子供の成長物語の様なモノが映ったと思ったら、痛々しいナンパやホモソコミュニケーションを露呈する男共が映る、究極は実質パパ活の様な事をしたと言い訳しながら話すジジ>>続きを読む
再鑑賞
こちら側から見て違和感を覚えるようなことでも 当事者にとってはソレがリアル。という 当たり前と言えば当たり前な事を"映像"に残して確実にする。その作業に危険性が全くない と言い切るのも違うけ>>続きを読む
この映画のあらすじを聞いた時 殆どの人は、SNSで話題になっているように、まさに「アトランタ」の様な 皮肉が効いた毒のある楽しいコメディを想像するだろうし、自分も想像した けど、この作品は全くもって違>>続きを読む
暴力的な性欲、哲学と文学、陰謀論 あと冷笑的なユーモア以外に何も武装してないデヴィッド・シューリスの放浪 というか ノストラダムスの大予言を信じて世界が終わるだの人類は腐った卵だの言いながらも、自分も>>続きを読む
カメラは完全に「カメラ」として存在し、通行人は撮られてる事に気づく すると気まずそーに目線を避ける、実際に街中で撮影が行われてたら 自分も同じ行動をとると思う... そのまま街を撮り続け、パート1はじ>>続きを読む
創作へ100%のファンタジーを求める人間に対し、強烈な批判と冷笑を叩きつけるような映画。ゆっくりとカメラを民衆の中に溶け込ませて、現実と映画の境目を消し去ったところに差し込む地獄の罵り合い 人間のしょ>>続きを読む
どんなに青春や成長の物語を描いたって、社会や未来が腐ってちゃどうしようもない という話を 結構若い世代の段階から描く。