ジャングルでの争いですらも 全てをデジタルに変えてしまうMica Levi
ゲーム終了→再開(毎度おなじみ)
某センセーの「ゴーン・ガールはハッピーエンド」をそのままやってくれた印象
自身が右傾化している事を話しながらリベラルやポリティカル・コレクトネスをバカにし、(トリアー自身の?)性的加害を正当化するようにネタ化する 到底褒められたようなものでは無いけどトリアーがトリアーである>>続きを読む
俗世の描写の方がノリノリ(&長い)のは、それはそれとしてその俗悪さに気づく キリスト教や仏教的な悟りを超えて真顔になる ホドロフスキーは真顔になり端末を閉じろと言ってる 結局現実があっての映画でしょ?
ラース・フォン・トリアーの作品において「正当」な科学が衰退しスピリチュアルが台頭するのは納得感しかない
リトルブラザーを経たとしても、これからトリアーが悪魔と戦う展開になるのかは怪しい
そもそも人間と>>続きを読む
この映画に対してどんな(否定的な意味での)イメージを持とうとも、映画が描いてることは全てを包括してるから意味が無い
この映画を「お説教」と感じるなら、ケンがケンになる意味もラストも汲み取れてないだけ >>続きを読む
結局人類による進化や進歩は啓蒙主義や暴力から抜け出せないので、宇宙人に頼るしかない
勿論現実では 今のところ宇宙人に出会えてないので詰んでる この映画が公開された年から権力者が何かを変えようとしてれば>>続きを読む
悪魔vsキリストなら どっちがクズかと言えば勿論... 前半の結婚を見れば主人公が最後に踊る理由は明確。
科学・医学って悪魔的じゃね?
ダウン症のキャラクターが現在の状況や展開をメタ的に説明する作りは勿論、毎回クレジットに出てきてまで視聴者を嘲笑するラース・フォン・トリアーの性格の悪さ その人を信用しない>>続きを読む
ファンタジーとして 高校生の加害性や悪事がふと何かを救う事もある
勿論 なくね? という冷めた視点も欠かしてはない 無いことが前提としての 人が最終的に(無自覚に)果たす役目の肯定
こんな映画を撮っ>>続きを読む
夫側のもつ欲望が結局ホモソでしかなく、しかもそのホモソも崩れる くだんな 夢を見てそれを成そうとしても 夢は夢以外の何ものにもならない虚しさ... 厳し過ぎ
動物って顔に感情が出ないから殺される直前とか辛い時とかも普通に「キュルン🥹」みたいな顔してるのシュール
社会から溢れた(というか否定されている)人達が生き残る術としての連帯として、最後の戦いはめちゃ>>続きを読む
誰も自分の苦しみを理解できない 自分も自分の苦しみを理解できない...
映画のパワーを信じる映画はやっぱり好き
何かノイズを残したい、傷跡を残したい とこの時点で明言してる その通り傷跡を残そうと頑張る EPIDEMICⓔは刻まれる
VS MCUとして、NWHで顕著に見られた古いノリを塗り替えなきゃ意味がない ミゲル(MCU)と戦え! キャラクターを殺さなきゃ物語を推進出来ないストーリーにもう明日は無いよね。
常にレゴ・ムービー>>続きを読む
前半が計画的に「平坦」だった事に、こっちが見落としていただけで何も平坦ではなかったことに気付かされてしまった。平凡な日常生活の中に親子の無意識的な加害や抑圧、マッチョイズムが紛れていたことを指摘される>>続きを読む
誰かを自分の思う通りに規定して安心しようとする 物事に本質があるという前提を作り出して、他者の存在をコントロールしようとする 自らを規定する為に他者を否定しようとする
そういう社会を解脱させてしまう映>>続きを読む
現在のソフィが生きていくような社会は確かに少しはマシになってきてるのかもしれないけど、それまでに苦しめてきた人々、今も苦しんでいる人々への視点は欠かせちゃいけない
父が何に苦しんでるかが間接的にしか示>>続きを読む
初っ端から人間の性を(演出的には)冷笑する、でも後の反復されるシーンで行為を冷笑する人物は...
ヒューマニズムを一切信じないのかと思いきや 信じないことを映画として見せることで強いヒューマニズムを>>続きを読む
信仰すれば報われるらしい
"自分が救われる為の神ではなく、突き進む自分を強めてくれる神"...