o219028tさんの映画レビュー・感想・評価

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不気味なものの肌に触れる(2013年製作の映画)

4.0

この映画の触れること(触れない)ことという主題は、実際に映画館で「向こうまで伸びている白い壁」と向かい合う孤独みたいなものを体験することと深くかかわりを持っていると納得せずにはいられない。
また、主人
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永遠に君を愛す(2009年製作の映画)

5.0

伝わらないという状況を粛々と生きながら、不意に伝わってしまうことがある。それは強烈な体験になる。これもまた濱口竜介に一貫した主題と言える。
この映画においても意思の伝達は視覚よりも聴覚に託されている。
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THE DEPTHS(2010年製作の映画)

4.0

この映画で何よりもまずわたしたちに鮮烈な印象を残すのは、単に容姿の美しさには還元できないカメラに愛される顔立ちをした石田法嗣の佇まいである。キム・ミンジュンだけでなく、石田法嗣の存在も男娼の物語を信じ>>続きを読む

ストーカー(1979年製作の映画)

5.0

「ストーカー」は空間性に関する戦略で映画にSFを引き寄せてみせたという感じがする。
それは、サイエンスを見せなくても映画はSFに達するというほどの意味にほかならず、例えば、いったいどこで撮っているのか
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ヤンヤン 夏の想い出(2000年製作の映画)

5.0

「ヤンヤン 夏の思い出」のショットは淀みなく雄弁である。
ガラスの持つ反射機能によって達成される正面と横顔、正面と背中を同居させたショットは、
人を邪魔しまいとする配慮と、自分は見られていないという優
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牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件 デジタル・リマスター版(1991年製作の映画)

5.0

映画を見ることはむつかしい。それは誰もがその漠たる記憶によってそれを処理するしかないというほどの意味である。見るはしから忘れてしまい、その全編をそっくり記憶しているようなものは、一人としていないのだか>>続きを読む

彼女たちの舞台(1988年製作の映画)

4.4

虚構と虚構とが演じてみせる不断の戯れから、虚構の持続を乱すというのが、リヴェットの映画的戦略である。
この乱れをわたしたちは現実と呼んでいるに過ぎず、この作品もまた一遍の虚構にほかならない。
彼は虚構
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アイアンクロー(2023年製作の映画)

3.8

この映画監督が古典的なギリシャ悲劇という題材を自分のものにして、現代の体験へと引き継ぐことに成功しているのはわかった。撮る対象への愛着や敬意も十分にあるし、距離の取り方も心得ている。
しかし、画面その
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悪は存在しない(2023年製作の映画)

5.0

──ショット── 単一のカメラによって連続撮影された、切れ目のないひと続きの画面。ないし、偉大なシークエンスや物語を作りだすために、編集されるのを待つ無垢な素材であるにもかかわらず、それ自体に物語的な>>続きを読む

チャイニーズ・ブッキーを殺した男(1976年製作の映画)

4.4

この映画の主人公は程よい暗さ(ストリップ・クラブ)の中にいる。映画館で画面と向かい合うわたしたちと共犯者的な薄暗がりで暮らす彼にとって、残酷な明るさは危険な環境に他ならない。そう思うと、この映画の暗い>>続きを読む

地に堕ちた愛(1984年製作の映画)

4.2

作中人物が異界に通じる館に入るとき、わたしたちは、ああまたかといくぶん話の単調さにげんなりしながらも、またいっぽうで、その話題にかかわりを持つすべての人間たちが、どんな過程をへることで映画的真実に到達>>続きを読む

パリでかくれんぼ(1995年製作の映画)

4.4

リヴェットの作品は夢のすばらしい非論理性によってつながり合う現実の行為の連続と即興によって支えられている。
俳優の身体が「今この場」の反応を起こし、その場で起きた反応によってニュアンスを帯びて、自由に
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キートンの化物屋敷(1921年製作の映画)

5.0

身体的な不自由がきわめて刺激的な運動を生み落しているばかりか、不自由な身体運動を自由闊達に撮っている。
あるいは、また、化物屋敷で脅えた顔ひとつ見せずにくぐり抜けて平然としていたバスター・キートンのあ
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キートンの隣同士(1920年製作の映画)

5.0

これは自由な水平移動の世界であり、たがいに異質な空間を占有しながらも無媒介的に通じあっているのだ。ここで感動的なのは、物語ではなく、あくまで同語反復的な説得をくりかえす対話者に異議をとなえたり、自説を>>続きを読む

キートンの案山子/キートンのスケアクロウ(1920年製作の映画)

5.0

キートンの説話論的な持続を支えるものとして、われわれはすぐさま「着換えること」の主題を思い起さずにはいられない。キートンの作品世界においては「着換えること(なりすますこと)」という身振りが変化と運動と>>続きを読む

ゴッドランド/GODLAND(2022年製作の映画)

5.0

ああ、凄いことがこの映画では起こっている。時間をどのようにショットに収めようかという葛藤と映画(モーション・ピクチャー)における不動をどうするかという問題が実に見事に画面に収まっている。この映画には、>>続きを読む

ピアノ・レッスン 4Kデジタルリマスター(1993年製作の映画)

5.0

この映画の作品世界は、「ピアノを弾くこと」と「それを聞くこと」という主題が織りあげる錯綜した戯れの場からなっている。文化的に制度化された人物たちが何を聞いたか、そして何を聞かなかったかという点から出発>>続きを読む

パラダイスの夕暮れ(1986年製作の映画)

5.0

カウリスマキの作品は、その徹底した不動性によって物語を動かす。物語が動くとは、人物たちの関係がそれまでとは異るものとなるということにほかならない。
しかし、わたしたちは物語的秩序に埋没することなく、映
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キートンの囚人13号/ゴルフ狂の夢(1917年製作の映画)

5.0

「着換えること」もまた、変化と運動とを物語に導入するのだ。その意味で、小津の映画は言葉の真の意味での衣裳の物語、つまりは充実したコスチューム・プレイなのである。しかもそこでの衣裳は、顕在的な物語をより>>続きを読む

文化生活一週間/キートンのマイホーム(1920年製作の映画)

5.0

何気ない振る舞いがことごとく素晴らしい。例えば、壁が自分のほうに倒れてきたのに、ばたんと壁が倒れたというのに、彼はキョトンとした顔をして地面のドアの隙間に立っている。あんな瞬間は、どんなCGを駆使した>>続きを読む

パスト ライブス/再会(2023年製作の映画)

4.0

映画とは時間との闘いである。時間をどのように自分のほうへ引き寄せ、同時に、引き寄せた時間がことによったら自分から離れていくかもしれないという危惧もあるところに、映画の困難があり、同時に映画の魅力の一つ>>続きを読む

14歳の栞(2021年製作の映画)

4.0

確かに、被写体にカメラを向けることで画面に生成するとらえがたい運動の生なましい現在を捉えた瞬間が刻みつけられていた。

オッペンハイマー(2023年製作の映画)

4.0

この作品には、シナリオを申し分なく視覚化してみせたという達成感が漂ってはいるが、決定的なショットや透明で純粋形態の運動性、感情の軌跡はフィルムに刻み付けられずにいるように思う。

ミークス・カットオフ(2010年製作の映画)

5.0

ライカートは、接近することより、遠ざかることの映画性に充分すぎるほど自覚的なのだ。
その定義などいっさい心得ていない誰もが、この遠ざかる仕草を見て、これこそ映画だと呟かざるをえない。
物語について見る
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ヴェルクマイスター・ハーモニー 4Kレストア版(2000年製作の映画)

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「こんなものを見たことがない」というタル・ベーラの作品を見る際に生じる感興は、物語の時間と、撮影現場の時間、さらには現在という時間が一致しているような長回しから得られるものだ。画面に張り詰めた時間が「>>続きを読む

デューン 砂の惑星PART2(2024年製作の映画)

4.2

CGにしかできない振る舞いよりも、砂の上を運動する無垢な身体性とか人物の視線とか、そういうものが画面をひどく生々しく輝かせている。

ボーはおそれている(2023年製作の映画)

4.6

この作品は誰かの語る夢ではなく、一種の催眠の力を借りて、わたしたち皆が一緒に見る夢である。ここで言う夢は、夢のすばらしい非論理性によってつながり合う現実の行為の連続、というほどの意味である。
ところが
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落下の解剖学(2023年製作の映画)

4.4

わたしたちは「主観」の言葉の真実の前には沈黙するほかはない。
なぜなら、物語とは、それを信じたり信じなかったりすることができる何ものかであるからだ。それとの距離を余裕をもって計測し、おのれの位置を決定
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エル・スール(1982年製作の映画)

4.2

ビクトル・エリセは、人が安易に詩的なものと信じている画面とは異質の領域で、修辞学的に詩情を漂わせる術を心得ている作家なのだ。
その画面に視覚的に表象されている対象そのものがすでに抒情に湿っているといっ
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ミツバチのささやき(1973年製作の映画)

4.4

この映画の画面に定着しているのは、映画の記憶である。映画的記憶の深みにわけ入るようにして「私はアナよ」の一話は、声としては響かぬが、幾重にも共鳴する振動となって、物語を超えたなにかが、映画を震わせてい>>続きを読む

ジャン=リュック・ゴダール/遺言 奇妙な戦争(2023年製作の映画)

5.0

イマージュの総体(「事物」と「表象」との中間に位置している存在)。映画的記憶を誇ること(映画的環境での引用という仕草)。時間との闘い(時間をどのように自分のほうへ引き寄せ、同時に、引き寄せた時間がこと>>続きを読む

瞳をとじて(2023年製作の映画)

5.0

ショットのさまざまな形式や長さの違いにもかかわらず、そこに動員される映画的な技法は、切り返しというごく単純なものにすぎない。
それでいながら、この作品は映画が不意に映画自身と出会ったときだけに姿を見せ
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ゴースト・トロピック(2019年製作の映画)

5.0

この作品の素晴らしさは、あらゆるショットが簡潔きわまりないという点につきている。優れた監督たちは、被写体に向けるカメラの位置やそれに投げかける照明、そしてその持続する時間など、どれもこれもがこれしかな>>続きを読む

Here(2023年製作の映画)

5.0

仮借のない吟味の機械が、ついに完成される瞬間を持つことなく不断に更新される現在に接近したり、遠ざかったりすることによって、わたしたちの瞳の代行手段となるばかりか、それ以上に驚くほど豊かな世界の無限の拡>>続きを読む

ストップ・メイキング・センス 4Kレストア(1984年製作の映画)

5.0

この作品との出会いを僥倖たらしめるものは何か。それは身体の運動──歌を歌うこと、楽器を弾くこと、音楽に合わせて踊ること等々──と、それに当てられる照明と、それを画面に生成するために接近したり遠ざかった>>続きを読む

最悪な子どもたち(2022年製作の映画)

4.2

映画。かりに、それがどれほど「真実らしい」光景を見るものに提供していようと、それはあくまでも「真実らしさ」にほかならず、すなわち「真実」のまがいものなのであって、間違っても「真実」そのものでない。その>>続きを読む

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