o219028tさんの映画レビュー・感想・評価 - 5ページ目

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EO イーオー(2022年製作の映画)

5.0

そのロバは、人の言葉を発することこそしないが、その顔には人を洞察する目がある。その目には純粋さ、静けさ、平穏さ、聖性がある。この映画は、そういったロバの目を借りて、言い換えれば、映画にしか達成し得ない>>続きを読む

TAR/ター(2022年製作の映画)

5.0

この映画は、映画の性格を利用して、権力を語る映画である。映画における権力者は、作り手に他ならない。映画の作り手は、受け手の視覚と聴覚を意のままにして、受け手の時間意識を支配する権力を持つ。この権力構造>>続きを読む

THE FIRST SLAM DUNK(2022年製作の映画)

4.4

受け手は漫画映画が現実でないことを前以て承知している。それ故、それが現実と如何に似ているかではなく、如何に現実離れしているかに期待する。この漫画映画にあっては、二次元の漫画が三次元の空間を運動している>>続きを読む

アダマン号に乗って(2022年製作の映画)

4.6

このドキュメンタリーは、受け手に観察しながら想像するという体験を与えてくれる。そこに作り手の主観的な思考の痕跡は残されておらず「仮借のない吟味の機械(カメラ)」が思い思いの会話と彼らの内的な事態を反映>>続きを読む

若き仕立屋の恋 Long version(2004年製作の映画)

5.0

この映画は受け手の耳に働き掛けてくる。耳で見る映画である。時にサウンドはイメージよりも独創性的である。サウンドは受け手の耳から侵入し、脳に届き、イメージを起こす。この映画を通して、映画におけるサウンド>>続きを読む

聖地には蜘蛛が巣を張る(2022年製作の映画)

4.2

この映画はドキュメンタリーのような性格をしている。連続殺人鬼、被害者、その家族たち、大衆、ジャーナリスト、あらゆる人たちの目を借りて、宗教を核とする様々な矛盾を表出させる。この表出した矛盾が作り手の眼>>続きを読む

エンパイア・オブ・ライト(2022年製作の映画)

4.4

映画には現実の混乱を止揚し、個人の状況や心情を要約してくれる機能が具わっている。それ故に受け手は映画を自らの人生の洞察として理解し、カタルシスを覚える。複雑な出来事の渦中にある者に代わり、映画が観察と>>続きを読む

午前4時にパリの夜は明ける(2022年製作の映画)

4.4

この映画にはロメールの面影がある。この映画は言葉を「聞かせる」のではなく「見せる」。何等かの言葉を交わす人々を「見せる」。日常的に使い回され、使い古された言葉こそ、然るべき場所に置かれると、ふと途方も>>続きを読む

ザ・ホエール(2022年製作の映画)

4.6

この映画が受け手の注意を引くのは、ブレンダン・フレイザーの運動による。その余りの巨体が故に彼が運動する姿は一種の希少性を含んでいる。彼に余程の感情が起こらない限り、受け手は彼の運動を見ることは叶わない>>続きを読む

トリとロキタ(2022年製作の映画)

4.4

この映画の舞台はベルギーのリエージュに留まっているが、実の所、この世界を遍く端的に示している。この映画は世界にとっての現実なのだ。弱い者は弱い者を利用するか、同じく弱い者と身を寄せ合う。ただし、この世>>続きを読む

エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス(2022年製作の映画)

5.0

元来、映画は時間芸術としての一軸的な直線性を具えている。この映画は、そういった映画の性質を前提にして、それを放射状に散乱させるマルチバースの試みである。この試みが映画の原理原則を無視するものであっても>>続きを読む

ベネデッタ(2021年製作の映画)

4.8

この映画には「当人にとっての現実(としての幻想)と客観的な事実の衝突」を変奏する映画作家の刻印が打たれている。この刻印を更に深いものとしているのは、この映画作家の特権たる即物的な表現である。この映画は>>続きを読む

ボーンズ アンド オール(2022年製作の映画)

3.8

この映画における恋愛とは、完全な他者と同一化する願望であり、その同一化はカニバリズムによって達成される。

逆転のトライアングル(2022年製作の映画)

4.8

これは現代社会の階層的な権力構造を転覆させる試みである。この映画は明らかに創作的な性格が現実の混沌を鋭く洞察し、我々に現代的な権力構造の本質や正当性を再考することを要求してくる。

ヨーヨー(1965年製作の映画)

5.0

この映画にはピエール・エテックスの刻印があるばかりか、ヌーヴェルヴァーグの精神までもがある。輝かしいサイレントとトーキーの後ろ影を追おうとする試みをして、彼の最高傑作と言わしめるのである。

絶好調(1965年製作の映画)

3.8

誰もが経験しているはずの取るに足らないことでさえ、彼が運動(パントマイム)として描き直すことによって、受け手は感情を動かされてしまう。

健康でさえあれば(1966年製作の映画)

4.2

ピエール・エテックスの映画を見ると、映画という表現は、つくづく観察と要約から成り立っていると思わせられる。誰もが見落としている日常の運動を観察し、誰もが共感できるように要約し、提示してみせる。そんな表>>続きを読む

女はコワイです/恋する男(1962年製作の映画)

4.2

ピエール・エテックスの王国は、サイレントの作法を礎にして、パントマイムとガラクタが積み上げられて出来ている。言葉は要らない。彼の王国は目に見えるものだけで作られている。

破局(1961年製作の映画)

4.0

彼の手に掛かれば、取るに足らない文房具さえも輝き出す。彼のパントマイムとガラクタが撚り合わせられて出来るのは、全く言葉を必要としない映画的言語である。

大恋愛(1969年製作の映画)

5.0

映画とは、映画作家の媚薬によって、劇場に居る全ての観客が等しく見る夢である。映画作家の手によって結えられたイメージの連続が奇妙な、しかし、誰にでも理解できるように夢を体験させる。演じ手がベッドの中で夢>>続きを読む

幸福な結婚記念日(1962年製作の映画)

5.0

何でもない事や物、例えば、路上駐車、渋滞、髭剃りの泡、煙草等から素晴らしい瞬間を生み出すことが出来る数少ない作り手の一人がピエール・エテックスである。それらのガラクタは、彼に触れられると、たちまち別の>>続きを読む

コンパートメントNo.6(2021年製作の映画)

4.8

この映画を輝かせているのは列車である。列車が持つ等方向性や不可逆性といった映画と極めて類似する性質によって、映画を形容するのに一種の美的な合理化が起こり、実体を持たない映画の美しさを具象化しているから>>続きを読む

女と男のいる舗道(1962年製作の映画)

5.0

これはアンナ・カリーナの個性を奪いながら、不可逆的に零落していく運動を撮った映画である。ゴダールの映画にあって、特別な存在たる彼女でさえ、この運動には抗えぬまま「女性」という記号のみを残して舗道に立ち>>続きを読む

パリところどころ(1965年製作の映画)

5.0

この映画における白眉は、六遍目に姿を現す。イメージとサウンドに形作られる映画にあって、映画からサウンドが消える驚き、それが生み出す悲劇が僅かな時間の内に端的に語られているからだ。

女は女である(1961年製作の映画)

5.0

この映画は、どこまでも映画の虚構性に意識的な映画である。ミュージカルという虚構らしさの上にあるのは、恣意的な中断を繰り返す音楽、第四の壁を乗り越える演出、決められた台詞の言い間違いがある。全てが映画の>>続きを読む

すべてうまくいきますように(2021年製作の映画)

4.6

この安楽死に関する物語が炙り出すのは、それ自体の是非ではなく、絶対的な共同体たる家族の中を往来する不均衡な愛情である。この愛情が不均衡なのは、主体の客体に対する評価によって、その質や量が決定されるから>>続きを読む

イニシェリン島の精霊(2022年製作の映画)

4.6

この映画は受け手に自らを吟味するよう促す力がある。小さな島に起きた対立は、映画的な編集を通して、いとも容易く後景にあるアイルランド内戦との意味的関連付けが成されてしまう。こうして差し出された対立を見て>>続きを読む

ノースマン 導かれし復讐者(2022年製作の映画)

4.4

この映画においては、伝統的に良好とは言い難い関係にある演劇と映画が同居している。この映画を形式化する幕間や舞台転換は演劇の特権であり、この映画を個性化するイメージとサウンドは映画の特権である。北欧神話>>続きを読む

ブローニュの森の貴婦人たち(1944年製作の映画)

3.8

言葉と身体には随伴性がある。ある言葉が発せられる時、その言葉は何等かの身体の傾向を引き連れる。また、ある身体の状態は出てくる言葉を決定しもする。その言葉がコクトーによって、一切の贅肉が削ぎ落とされた、>>続きを読む

オルフェ(1950年製作の映画)

5.0

「オルフェ」は夢と時間が共謀した映画である。映画とは、映画作家の媚薬によって、劇場に居る全ての観客が等しく見る夢である。映画とは、映画作家の決定権によって、本来的には不可逆的な時間が自由自在に伸縮加工>>続きを読む

母の聖戦/市民(2021年製作の映画)

4.2

この映画における運動の主体「母」は、顔を光に照らされた時、内面に変化が起こり、その変化する感情と伴に身体を運動させる。先ずは光があって、それを追うようにして感情と運動が起こる。つまり、この映画の美点は>>続きを読む

グレース・オブ・ゴッド 告発の時(2018年製作の映画)

5.0

誰も知らない真実を誰もが見えるようにして示すのが映画の特権的な性質であるとするならば、この映画の沈黙を破る、或いは、知られざる真実を明るみに出すという行為は、映画的と言っていい。それぞれが告発すること>>続きを読む

十二人の怒れる男(1957年製作の映画)

4.0

上質な会話劇は、目に見えることよりも、或いは、耳に聞こえることよりも、その会話が何か別の大きなことを示唆しているために、受け手の脳内を刺激する。この映画において、被告人の判決を巡る会話の後景に民主主義>>続きを読む

詩人の血(1930年製作の映画)

5.0

この映画には、脳裏を掠めていく事象を語るという完全な自由がある。非論理性に導かれた自由の連続は、コクトーの手によって、肉体を獲得している。この肉体に触れることによって、受け手は奇妙な冒険を体験するが出>>続きを読む

美女と野獣(1946年製作の映画)

5.0

この御伽噺が類稀な風格を纏っているのは、同時代的なシネマトグラフの近代技術に背を向けているからであろう。この映画作家は、伝統的な木の幹に年若い枝を継ぎ木するように映画を編集する(前景、思いがけないアン>>続きを読む

チャップリンのニューヨークの王様(1957年製作の映画)

3.8

独裁者以降、彼の身体的な運動と喜劇性は、ファシズムと戦う武器となった。この映画においては、それらはマッカーシズムと戦う武器もある。彼の身体的な運動が生み出す喜劇性は、彼に固有の刻印であるばかりか、受け>>続きを読む