清水崇監督の「恐怖の村」シリーズには皆無だった村の閉塞感がもたらす不気味な雰囲気と、間違って金田一耕助が登場してもしっくりくるミステリアスな世界観は大好物。
「宮崎駿トリビュートアルバム」を宮崎駿自身が制作したようなまどろっこしさと鈍重さを、過去作への愛を持って認めたくなかったが、映画館で途中退席する人を見て諦めた。
ウォータースライダーのスタート台に立つまでの階段を登るように、1時間の蛇足の先に待つジャケ写通りのご褒美スプラッター。ジャケ写詐欺に加担してない数少ないB級。
「殴られたら、殴り返して良いのか?」
子供の喧嘩への問いが、宗派の争いや国内紛争等、ミクロからマクロへ重層的な問いかけに広がる。本当は大人に必要な哲学教室。
青春映画が半歩先の未来を描き続け、多様性社会を創造しているのに対して、高齢化社会を扱う本作はラストに映る綺麗な夕日でお茶を濁し、その先の世界は観せてくれない。
ホラー映画の歴史と他者への先入観が創り出すディスコミュニケーションで勝手に人が死にまくる展開に爆笑して、他者理解と自己理解がキスするラストに心踊る。
なんだかんだでシドニーが登場して「よっ!待ってました!千両役者!」と声をあげたかったのに、『4』の記憶にないキャラの復活に「お前誰だよ!」しか言えずじまい。
本作にならってJホラーは心霊から妖怪に主役交代すべきでは?と思うほど、少年と中年が田舎の中学校を舞台に殺虫スプレーで妖怪退治をする姿は、観たかった日本の夏。
80'sファッションを身にまとい、ホラーを観に行った映画館に閉じ込められて、ゾンビと戦った末に緑色の血を吐いて死ぬのが、理想の死に方だと思った私はもう詰んでいる。
飄々としながら含みのある話し方、裏がありそうな顔。『アフタースクール』『清洲会議』では、まだ(仮)だった「大泉洋=日本一の曲者」の方程式が確立している。
画一的な飲食チェーンの味を求めて入った店の接客が丁寧だと、美味しさが増すことがあるように、見慣れた物語と俳優陣が実際に演奏する丁寧さで、手軽に前向きになれる。
活弁上映。弁士:山崎バニラ。
軽快な活弁に支えられ、元祖ボケ&ツッコミコンビによる、高所工事現場でのサスペンスフルなコントは生理的に笑うしかない。
活弁上映。弁士:山崎バニラ。
小津安二郎版『ホームアローン』的笑いと、バニラ氏の映画内外からの冷静なヘリウムボイスツッコミが重奏的な笑いを生む。
驚異的なほど自分の人生に無関係で、荒唐無稽なお色気・おバカスートリーに対して、ツッコむこともできず無の境地。どんなドラッグムービーより、精神世界にトリップ。
『ユージュアル・サスペクツ』のカイザー・ソゼ的快感!地味な画と静かな劇伴から、コントに片足を突っ込んだようなオチはズルい!けど、騙してくれてありがとう!
後にMeToo運動に発展した疑惑を取材する女性記者2人の、仕事だけでなく家庭も大事にする姿は、旧映画的なヒロイズムから外れた等身大のカッコ良さ。映画の分岐点。
テレビが普及し始めた50's後半のクイズ番組の八百長問題だが、問題の本質を変えずにそのまま現代にトレースできるほど、真に迫る一級のサスペンスドラマ。ヒリヒリが凄い!
ブラック部活の象徴・野球部あるあるをツッコんで笑いにしながらも、野球少年達を突き放しきれずにパワハラノリを肯定しているような、どっちつかず感がヌルくて丁度良い。
殺人ドローンが背後に迫る!(注1)無機質なドローンが飛行してるだけです。
殺人ドローンが布団の中に忍び込む!(注2)ドローンがベッドに置かれてるだけです。
第5話のゴキブリを待たずして、おもちゃ箱をひっくり返したようなカラフルでコミカルなオープニングのタイトルバックに心掴まれる!「ホラーは楽しい」を再認識。
常に平熱で淡々とアメリカ社会や映画そのものを皮肉るアルトマン監督のあまりにも遺作らしい遺作。自分の死でさえ皮肉るラストシーンに敬意と「ありがとうございました」。
ミーガンのダンスやピアノ演奏の破壊力に匹敵する、子役ケイディのホットドッグ煽り食いや仏頂面。両アイドルのコンビ芸やケンカ芸が笑えるし、ずっと観ていたいライト感。
「ウェスに捧ぐ」通り、原点『1』のキャラの意外な再登場や、ファイナルガール三世代のアベンジャーズ感等、シリーズへの愛と敬意とチャレンジ精神が、ただただ楽しぃー。
「アクション!」のカチンコ音で始まる本作は映画内の映画か?そんな疑念を煙に巻くオープニング8分の長回し。映画を皮肉るアルトマンの客観性が、珍しくエンタメしてる。
80'sにタイムリープさせる主題歌「What a Feeling」が流れて、朝日が照らす橋を自転車で走る主人公のキラキラした生命力と期待感に溢れる開始2分でもう充分幸せ。
特殊能力も身体能力もない現実世界のコスプレヒーローはただの暴力装置。愛する人を失い、盲目の歪んだ正義で暴力をふりかざす主人公だが、イキイキした狂信性は羨ましい。
本作の10年前に『スクリーム』が公開されていることを差し引いても、ジェイソン等の映画殺人鬼を目指す青年を追ったモキュメンタリーというメタ視点はもっと賞賛したい。
初代タールマンのくねくね歩きを踏襲するような、大量ゾンビ達の歩き方選手権!
スター不在の雑魚ゾンビ達が、人間の脳ミソ目指して、歩いて群れて感電死!
不謹慎で押し切るパワーとブラックな笑い!青春の鬱屈を吹き飛ばす、清々しい流血!誰にも感情移入させないまま、どこに話が進むのか全く読めない。まさに怪怪怪怪作!
このレビューはネタバレを含みます
子供のLGBTQを想像できない大人の無自覚な残酷性が映る。一方で女子生徒達は、湊と星川のセクシュアリティを理解しているようでもあり、世代間の価値観の溝が観える。
タワー最上階の住民VS最下層に集う従業員達。上VS下の構図がわかりやすく観えるペントハウスという舞台設定が絶妙。
上・下に属さないエディ・マーフィの存在も絶妙。
舞台をルーヴルに移すと、漫画と実写のチューニングがズレて露伴が滑稽に映る。
短くても濃密な時間と、閉じられた怪奇な世界で、露伴の美学を浴びたかった。
TVから貞子が、階段から伽耶子が迫って来なければ、ヒリヒリした恐怖が持続するのでは?その疑問の答えが本作。アクションに転じない、たたずむ恐怖が想像を掻き立てる。
急に監督変わった?と思うほど、リアリティラインが急降下するオチが珍妙。お涙頂だいの既視感・不快感を無かったことにする、ロックでファンタジックな後味。
勘違いと仮装大賞的アイデアで誕生するヒーロー達の日常生活圏域内の小さな戦い。
気にも留めていなかった伏線がすべて回収される感動は、パロディ映画の枠を超えている。
大中小のカブトガニが町を襲うモンスターパニックとして小さくまとまる気ゼロ。
監督が「日本の怪獣映画へのラブレター」と語るように、ラストの展開は想像超えのB級愛!