ロメール作品の出演者って、なんだかプロの俳優っぽくないような、つまり市井に暮らす普通の人々のような気が勝手にしてた。もちろんそんなことはなくロメールの演出でプロの俳優がそう見えているということなんだけ>>続きを読む
「オセロ」はイアーゴーの悪意が物語を展開させる原動力となっているが、「美しき結婚」の場合はクラリスの善意がそうである。サビーヌは愛人には恵まれているが、友人は医師の娘のクラリスただ一人で、医師と結婚し>>続きを読む
出始めの頃のブランシュは一人でランチしても男が相席を求めないほどに魅力がない。ところがファビアンとウィンドサーフィンを楽しんでウェットスーツのファスナーが動かなくなった時からブランシュは可愛らしくなり>>続きを読む
恋愛は二股の方が良いのでは。二股は恋愛熱量がゼロサムではなく割合だから対象への執着度と距離感が極端にならず故にウザがられず、対象への余裕と優しさは互いの平安となる。イケメン飛行士がアンヌも好きだが子供>>続きを読む
ついに鑑賞。マイナー文化人の屈折とちっぽけな矜持、先輩後輩の共依存関係、酒席での執拗なからみとブチ切れ、別時間や別次元からの唐突なインサートショット、前戯なしの動物的ピストン運動、決して心から笑うこと>>続きを読む
地中海の眩しさ、美しさ、若々しさ。アルチュール・ランボオが見つけた永遠はこの海と溶けあう太陽であったにちがいない。フランソワ・ド・ルーベの音楽「レティシア」もまた地中海に捧げられたものだろう。
映画としてはDamn it!レベル、でもタイトル曲の「Je t'aime moi non plus」があまりにも素晴らしすぎる。これをBGMにしてこの世からあの世へ行こうかしらん。
パリにもパリならではの「青い時間」はあったのかしらん。あったとすればあれだ。レネットが聾唖者になって画廊主に絵を売りに行くが、交渉は決裂、ミラベルが口喧しく抗議する。とそこへ、二人の客が現れる。十秒間>>続きを読む
二人を不穏な閉塞状況に追い込むためとはいえ、編集長と作家のキャラがやりすぎなので、男がああなるのもむべなるかな。同じようにタイトルもやりすぎ。穂志もえかは顔面が良いのでこの役にはムリがあり、それはラス>>続きを読む
男どもが退屈すぎる。週末の盛り場で酔っ払いの男集団が壊れたような大声で叫んだり悪ふざけをやっているのを見せられている感じで、とっとと家に帰れ、バカ。いわゆる男子校のノリを映画で面白く見せるなんてのは至>>続きを読む
オリジナルの台湾版の方がそりゃ弾けているし面白い。でも男女を入れ替えた日本版の方がしっくりくるしじわっとくる。世界が止まる前のぱっとせぇへん清原果耶がいじらしくていじらしくて、、、とりわけ繰り返す郵便>>続きを読む
三浦さんと語るネットをかぶった絆創膏だらけの神尾楓珠の顔が凄まじく美しい。その美しさはビョルン・アンドレセンと同じように引きの演技で、そして映画の画作りの中でこそ発揮される。
ウイリアム少年がもろブライアン・ウィルソン似で、姉のズーイー・デシャネルからもらったロック音楽のレコード群の最初に出てきたのがビーチ・ボーイズの「ペット・サウンズ」だったことから、監督は確信犯だとわか>>続きを読む
アメリカのお伽噺。未婚のアメリカ人にとっての幸福とは、恋人と家族と友人との正三角形を理想としている。このバランスを志向する強度は日本人よりもはるかに強く、だから状況が悪くなった場合でもいずれかがアジー>>続きを読む
岡山市の路面電車いいなぁ。初期のサニーデイ・サービスの歌に出てきそうな感じ。結局西条が北代を選んだのは、たいていの男は恋愛に着慣れた古着の良さを求めるものだから。
カラオケ店でなにかと聡実との距離をつめて座る狂児。近い近い。やがて聡実は慣れ、自分も狂児のそばへ。アラフォーと男子中学生の友愛はBLにおいてもファンタジーである。
SAABclassic900が主人公でありトポスである。エンジン音と走行音を観客に意識させながら台詞の練習や言葉少なめの会話がある。この演出が映画の基調となる。西島と岡田のきわどい会話もだから聴けた。>>続きを読む
中原俊、作風変わったなーと思ってたら、中川駿でした、だれ?岩井俊二みたいな画作りも嫌だが、メイクスタッフが頑張りすぎたみたいな小野莉奈の整いすぎたメイクに鼻白む。「アルプススタンドのはしの方」のときの>>続きを読む
原作ものは避けようと思ったものの、共同脚本に今泉の名前があり、半分期待して観る。結果、自分は今泉の何が好きなのかわからなくなった。
傑作「愛がなんだ」と「街の上で」のあいだの作品なんだが今泉節はどこに?「ちひろさん」もそうだったが、今泉は原作ものはウェルメイドな作りを旨としているようで、今泉にそれを求めていない自分は次回からは気を>>続きを読む
・・・あれぇ?なんかおかしいなぁ?これ今泉だよなぁ?と途中で確認すること2回。初期の尖りに尖った作品「サッドティー」「退屈な日々にさようならを」を観た直後だからというわけでもなく。
自主制作映画上がりの監督さんのなかで山下敦弘と今泉力哉は映画における押し引きのさじ加減が似ていると思う。「これやりたいから映画撮りたい」という初期衝動の強度も似ている。
今泉の才能は彼の頭の中でぐるぐる回っている渦みたいなものに彼がじっと目を凝らしているだけで即映画になるというたぐいまれな作家性にあり、それはこの初期作品からしてそう。さらにローカリズム以上のチカバリズ>>続きを読む
vsになっていない。そもそも三島と東大全共闘とでは格が違いすぎる。三島はきゃつらに胸を貸しているだけ。若かりし芥の身の程知らずさが良い。芥のアナーキズム観念論のひけらかしや赤子連れの非礼な態度にムカつ>>続きを読む
前振りは古谷実的な展開で意外に思ったが、本題からは呼吸するように映画を撮る以前の作家性をこじらせたようなシークエンスの厚みに圧倒されていく。でもね、あの婦人警官は公務中なのか、非番時に制服を着ているの>>続きを読む
小野莉奈の垢抜けなさがリアルJK。視聴者には見えないゲームを登場人物には見えているゲームとして彼らの言葉と表情を通じて想像させる手法は黒澤の「影武者」の長篠戦よりは有効。野球のルールの訳のわからなさに>>続きを読む
脚本は宮藤官九郎、でもアメリカ人が演じてアメリカ人が監督したから、こう仕上がったという映画だと思う。
今泉ロスになったので成田凌や若葉竜也が出てる他の映画でしのいでいたら、この作品に出会って自分は今泉よりも実は成田凌のほうが好きなのかもしれない。こういう映画ばかり観ているせいか、韓国映画をまったく受け>>続きを読む
脚本は今泉、はぼ今泉ワールド。三つの「愛なのに」の中で、女子高生の一途さと胆力は同義語で、未性交段階の「好きです=結婚してください」はやはり無敵だ。今泉の性交場面はどの作品でも騎乗位が頻出する。
ひたひたと迫り小栗旬刺殺がマックス、思わせぶりな見上愛の起用も良いがタワマン決闘から失速。法廷シーンももったいない。韓国映画なら想像の斜め上を行く結末を用意しただろう。
猫が絶妙な演技をしてる。スタッフに岩合光昭がいたのかしらん。眉根が寄ってる毎熊克哉はオフビートすぎてダメ男ぶりをさらけ出している。これまた絶妙。
今泉映画鑑賞4作目。若葉竜也の使い方に違和感。人気のお笑い芸人でもないあのメンツでトークライブがいつも満席でウケてるのに違和感、うだつの上がらないオタクたちという設定がリアルでなくなる。
今泉映画鑑賞3作目。これはダメだ。ちひろのような胆力のある主人公と今泉の作風は相性悪いだろう?
今泉映画鑑賞2作目。この息をするように映画を撮っている感じは、ホン・サンスと相通ずる無双感がある。
ジョーじいちゃんを演じたデイビッド・ケリーがファンタジー性の担保となっている。
韓国映画のモテ男女のキャラは容易に納得できるものの、中国映画のそれはいま二つほどわからない。