セット空間の使い方が上手過ぎる。仕切りカーテンや扉の覗き穴、ベランダなどを利用した、複数の空間を繋げる演出術。
そして若尾文子の煙草をつける仕草。
舞台は70年代末。ストーンウォールから10年後、アメリカにおけるエイズ流行前夜。よくも悪くも時代の空気感が充分でないのが残念。
それでも本物のダウン症の少年は素晴らしい説得力を映画にもたらしている。
設定の出落ち感に反して、要所で画の力で見せようとする心意気には好感が持てる。伊勢谷友介の魔人加藤感もよい
ヴァルダにとって生活することと、映画を撮ることは限りなくイコールである。
彼女だから残せた美しい記憶。
ひらめき、創造、共有。
靄の中に消えていったヴァルダはそれでも尚、私たちの指針であり続けてくれる。
余りにも簡略化された図式には閉口。
それでもリチャードジュエルのリアルな身体と、キャシーベイツの演技で何とか観れる映画にはなっている。
強烈なオープニング。
室内における扉が視覚的にも精神的にも遮断するものとして機能している。