同時代の日本映画人らに、
神聖視され過ぎて動けなくなった
という感じがした。
どのジャンルの作品に出ても
空想の侍を重ねられ、
求められる三船敏郎を演じる。
10代の時ぐらいしか
音楽で壮大に酔っ払えないから
沢山聴いておくと良い。
そういうのが足場になる時期。
丁度良い無関心は難しいが、
そういう社会の方が
持続し易くなると思う。
コメディで取り上げて、
考える良いきっかけになる。
50年前のメキシコと
家政婦兼乳母との思い出映画。
メキシコはこの映画の時代から
あんまり変わってない。
先住民族、女性共に。
マルセイユは酷いと聞く。
団地の撮影は盛り上がって
住民もエキストラ参加したりして
喜んだろう。
そういう中から、
ラップフランセや演技に目覚めて
内から啓蒙する人が出れば良いね。
母親との良好な関係があったのが
彼の基礎になったのだろう。
事実ベースだからこそ
映画にすると凡庸になる。
主演となると脚色もしたくなるし。
米国の分断は本当に深刻なのだろう。
風刺で自省を促しているのかな。
もう戻れないけど、
数少ない私企業の持つ
テクノロジーへの依存社会は、
やはり良くないよきっと。
情けは人の為ならず。
ポッターがいなければ、
奮起しなかっただろう。
世の中ままある事である。
兎の脚のシーン。
ピーターが居るあたりを
一瞬目で追うだけの凄い演技。
ニッキーがコリーフェルドマン似。
物語は普通の子供成長もの。
ブリトニーオーマイゴッド。
長男が巨漢過ぎて、
自転車タクシーで痩せる設定の
特殊メイクかと思ったわ。
物語は凡庸。
日本作品以外で、
朝を鶏の鳴き声で表現したのは
初めて観たかも。
最後のは創作なんだろうな。
もし本当だとして
好意的に解釈するならば、
エリザベスを解放する愛情。
あんな状況なのに
しっかり肘で挨拶するのね。
最近のトリック動画技術満載。
時間経過につれて意図的に為される
「汚し」が良い。
涙で流れるマスカラ、
伸びる髭、垂れる皮膚、肌の様子。
内面を吐露するに従い、
悪化する容貌。
物語を捻らないのが良かった。
やはり地元の悪い先輩が絡むと、
事態が悪化する。
上位団体も関与するし
米国エンタメ界は誠に恐ろしい。
環境云々は別として
自分の出来る事だけやる。
人生は長くない。
地球はいつか太陽に飲み込まれる。
欲望をダウンサイズすると
精神衛生に良いよ。