素潜り旬さんの映画レビュー・感想・評価 - 29ページ目

レディ・プレイヤー1(2018年製作の映画)

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ハイタッチは喜びを確認し合うことの表面化である。「俺は今のすっごいよかったよ!おまえも?」「うん!」
これをアクションで示すのがハイタッチである。実際の感情が見えないこと、見せないことがバーチャル世界
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ビューティフル・デイ(2017年製作の映画)

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ミッキーマウシングスレスレのジョニー・グリーンウッドの音楽は、もはや劇伴かすらもわからないほど自然に不穏が鳴っている。ホアキンと同期するというよりかは、画と同期している。常に既に巻き込まれているホアキ>>続きを読む

ラッキー(2017年製作の映画)

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ハリー・ディーン・スタントン演じるラッキーはカウボーイ天使みたいなお茶目な顔で幼児退行を存分に楽しんでいるイーストウッドよりお茶目なジジイ。ボケかけたジジイの可愛さをウリにしているのだけれど、それに抗>>続きを読む

我が人生最悪の時(1994年製作の映画)

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探偵モノは大抵牧歌的な時代に生まれて、消費されずにオールディーズになる。という稀有なジャンルである。この映画などまさしくそうで、時代錯誤を躁病的に乗り切るという、間に合わなかったことを気合いで埋める男>>続きを読む

アレックス・ストレンジラブ(2018年製作の映画)

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アレックス・ストレンジラブというタイトルでアレックス・トゥルーラブが主人公って時点でこの映画のヤバさが伝わるはずだ。笑 人間のペニスにそっくりな見た目を持つ動物が好きなトゥルーラブには、彼女がいる。し>>続きを読む

最後まで行く(2014年製作の映画)

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「あーあ」と「まじかよ」しかない映画に、それ以上の言葉がいるだろうか。笑 脚本やトリックの破綻でさえ、この二言で済ませてしまえるのにめちゃくちゃ面白いのは、韓国映画特有の力技だろう。映画にはそれぞれの>>続きを読む

大虐殺(1960年製作の映画)

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『大虐殺』
関東大震災直後と虐殺(軍人やべえなあと思わざるをえない描写ばかり)を丹念に描き、大杉栄が見せ場なく死に、中濱鉄と古田大次郎が混ざった役を天知茂(役はどうあれ、くそかっこいい)が演じ、『菊と
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愛しのアイリーン(2018年製作の映画)

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誰も救えない声が聞こえる。それ自体が救いじゃないか。決してハッピーエンドではないが、登場人物は最終的に救いを得ている。この劇(的なるもの)からの退場は死ではない。表面上は死なのだが、実際に退場している>>続きを読む

暗殺のオペラ(1970年製作の映画)

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「まず…」
構図に見惚れているとストーリーを見失うが大丈夫。最後だけ見てもわかるから。笑

「構図ぁ…」
ドリーしていくとピッタリ石像に歩く主人公が隠れるってやべえなあ、やべえなあって思っていると、
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運命は踊る(2017年製作の映画)

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フォックストロットは決められたステップを踏めばどのような動きをしても元の場所に戻ってくる。これを運命にはめ込んだのがこの『運命は踊る』である。気持ちよすぎるアングルと物語の構成は決められたステップに倣>>続きを読む

サスペリア(2018年製作の映画)

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コンテンポラリーダンスと裸、エキゾチシズム、政治、が気持ちよく混ざり合い、菊地成孔ばりのフェミニズムとミソジニーが倒錯して(笑)、うっとりするほどのフェティッシュにまみれているし、新しいサラの美しさが>>続きを読む

荒野の用心棒(1964年製作の映画)

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女を逃がし、その旦那と子供から微妙な顔をされて、俺は物語を進行させるために少なくともお前らは助けてやったんだって空気を出しているクリント・イーストウッドを観れただけで、俺は感動していた。語らないことが>>続きを読む

まぼろしの市街戦(1967年製作の映画)

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ケツでオトして良いんだって気付いた時、戦争をユーモアで吹き飛ばすという行為自体が馬鹿馬鹿しく思えてきた俺は、劇場でこっそり裸になっていたような気がする。こうして主人公と近づいた時に、精神ってものは案外>>続きを読む

バスキア、10代最後のとき(2017年製作の映画)

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元カノの力、恐るべし。独占欲も天才相手だと、果たして自分だけのコレクションにしていて良いのかという疑問を生む。そのおかげでこの映画が生まれたと俺は予想する。笑 競馬かよ。

バスキアがアメフトのヘルメ
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ファースト・マン(2018年製作の映画)

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ララランドが月に行くのと対比させてリオン・ブリッジスにギル・スコット・ヘロン役でポエトリーリーディングさせている。とんでもない倒錯だ!と興奮したが、アカデミー賞がよっぽどキツかったんだと気付いて少しし>>続きを読む

DOWNTOWN 81(2000年製作の映画)

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フィクションがフィクションに見えないのは、バスキアが普段からバスキアを演じているからで、ビートたけしがビートたけしを演じているのに似ているが彼は北野武でもあるというのとはわけが違う。笑 ケバい妖精が登>>続きを読む

ミシマ:ア・ライフ・イン・フォー・チャプターズ(1985年製作の映画)

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フラッシュバックによる場面転換と組み立てられた場所で演じることに対して加速度的に観客は意識し、三島由紀夫の小説と三島由紀夫が同時に映像化されているために起こるズレが芸術だという一点責めの態度で映画は在>>続きを読む

ドニー・ダーコ(2001年製作の映画)

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タイムトラベルの魅力に取り憑かれる人が一定多数いることは、バックトゥザフューチャーがいつまでもカルト化していて、マイケルJフォックスがここ日本では歳をとらないことにも明らかだが、ドニー・ダーコはもう1>>続きを読む

荒野のストレンジャー(1972年製作の映画)

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赤は血の色だから良いんじゃないかというマカロニ的な感性で街を赤く塗りたくるイーストウッドはかっこいい。血が流れない場面では赤を使うことによって、血生臭さが全編に漂うっていう。

続・荒野の用心棒(1966年製作の映画)

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西部劇は赤色が好きっていうかリマスターが赤を強調し過ぎなんじゃないか、ということに気づいてしまった。笑 赤って便利だなあ、空と合わせるだけで映えるし。俺がもしアイフォーンを持った用心棒で、インスタ映え>>続きを読む

ビリー・ザ・キッド/21才の生涯(1973年製作の映画)

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居る者すべてに必要な存在が死んだ時に表出する喪失は、誰にも癒すことはできない。時間だけが解決してくれる、何が誰が正しいのか、答えは風だけ知っている、ああ、何でこんなかしこまった使い古された言葉ばかりが>>続きを読む

タイタニック(1997年製作の映画)

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気が済むまで振り帰ろう。語り部が生きているのだから。初めから結末が見えているのに、ドキドキしてしまうのは、レオナルド・ディカプリオに萌えているからだろう。冷静になった時、この燃ゆる頬はレオナルド・ディ>>続きを読む

ウィーアーリトルゾンビーズ(2019年製作の映画)

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自分たちが語るために誰かに語らせることは、自己主張において大切である。不遇な子どもたちの体内は自己主張で充ち満ちており、溢れんばかりの音楽によってそれは発散される。そしてその自己主張は死によって(ある>>続きを読む

ゴールデン・リバー(2018年製作の映画)

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「歯ブラシと親殺し」
日本語では韻を踏めるこの組み合わせがブロマンスにおいて成り立つのは偶然ではないだろう。ゴールドラッシュにおけるラッシュは親の存在だ。親がいてのラッシュ。親のためのラッシュ。親がい
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赤い鳥逃げた?(1973年製作の映画)

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俺のけつの穴まで逆再生されたら、それこそ朝、困るじゃないか。原田芳雄がおどけて振る舞えば振る舞うほど、逆再生は繰り返される、執拗に。俺たちは前へすら進めないのだろうか。いや、進んでいるさ。それこそダサ>>続きを読む

ラストムービー(1971年製作の映画)

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西部劇から飛び出してきたカウボーイはめくるめく編集に翻弄される。それはゴダール的でもあり『今夜、マリエンバードで』的でもある。デニスホッパーは自身をそういった配置にすることによって、トラブルメイカーな>>続きを読む

ソワレ(2020年製作の映画)

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ふたり組の映画的逃避行。逃げること、どこまでも遠くに行くこと。それが成立するのは、両者がそう思っている時であるが、ふたりはブレッブレなのだ。しかしそのブレをノワール調に描くことによってこの映画は新鮮さ>>続きを読む

逃がれの街(1983年製作の映画)

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監督が工藤栄一、主演が水谷豊なだけあり、序盤は傷だらけの天使のオマージュ(なんとアニキ〜と、主演の男に付いて回るのが若かりし島田紳助である!しかもハマリ役)で話が進み、中盤からはアラサー版『青春の殺人>>続きを読む

合葬(2015年製作の映画)

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幕末武士の青春モノに弱い俺は、この映画に人を斬るシーンがほぼないこと(有ってもそれは木刀での稽古や喧嘩)に驚き、しかしそれは白虎隊など散ってゆく隊士を題材にする際にありがちな、内面や友情を描くため、後>>続きを読む

ミニー&モスコウィッツ(1971年製作の映画)

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本当にヤバい奴が狂気を宿すことはなく、狂気を宿せるのはヤバくない奴で、だからこそ普通に見える人は怖く、ただ本当にヤバい奴は邪魔なだけだということが分かりやすく描かれている。

サベイランス(2008年製作の映画)

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リンチの娘は意外とどんでん返しや伏線の回収がお好きなようで、どんでん返しというのは殆んど破綻しているのと変わらないわけで、伏線を荒らしながら回収すれば大体どんでん返しは可能である。つまり主人公を犯人に>>続きを読む

第七の封印(1956年製作の映画)

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休み休みチェスをやること。勝負を一時中断できるのは、騎士だからであり、引き際を知っているのも騎士だからである。騎士じゃなかったらただの策士だが、彼は騎士だった。それだけである。

ジュマンジ(1995年製作の映画)

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アニマル・シュルレアリスム映画。親と子の絆というよりも、ピーターパン症候群や時代から取り残された人自身は、そのことを問題としていない。という状態をうまく表している。

ベイビー・ドライバー(2017年製作の映画)

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キメのシーン以外での選曲が、高揚したオタクそのもので、歌詞がそのシーンにぴったりなことを考慮したとしても、オタクのドヤ感満載で、よく考えると意外とハマっていないよね、と冷静に感想を言えるようになるのは>>続きを読む

皆殺しの天使(1962年製作の映画)

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「NEW」や「新」とつくものが本当の意味で新しいことなどないし、それ同様「皆殺し」とつくものが本当に皆殺しであったことなどなんて知る限りない。笑 もっと良いタイトルがあると思うんだけれど『出れねえだよ>>続きを読む