丹念に地道にシーンを積み重ね、長まわしのカット尻をギリギリまで堪えて割り、観客の心をざわめかせる。
半ば実験映画のようなこの作品は、明らかに今後の三宅唱監督に寄せる期待から生まれたもので、殺陣も無く>>続きを読む
まだ中学生だったの頃のこと。
地元の名画座に『小さな恋のメロディ』と『いちご白書』の2本立てが掛かった。
『小さな恋のメロディ』はストレートに面白かったのだが、併映の『いちご白書』の扱いに困った。>>続きを読む
「恐怖の連続だろう?それが奴隷だ!」
「想い出も、もうすぐ消える。雨の中の涙のように。」
コレが、残虐非道で冷酷無比なレプリカントの言うセリフかねぇ?とんでもなく詩的で、限りなく悲しく、そして美しい>>続きを読む
小さい頃、誰しも通過した心の動揺。
傷つくことより、傷つけてしまうことの方が怖くて、うろたえ、もがき、一人で苦しんでしまう。
良かれと思ってした事も裏目に出るし、意を決して歩み寄ろうとしても、ものす>>続きを読む
"血"
異民族が現住民の領土を侵略し奪い取っていく過程で、味方の結束を強めるアイテムとして絶大な効果をもたらす観念。
信仰よりもっと深い部分に根ざしており、拭い去ることのできないもの。
それを幼い心>>続きを読む
昔から、映画館では予告編を観るのが好きだった。
何より作品の断片を直に見ることができる。
予告編はパドックで回る競走馬みたいなもので、映像に"映画的な何か"がほとばしっているかどうかすぐにわかる。だ>>続きを読む
公開当時、「少年が友達を探して見知らぬ町を右往左往する」とあらすじの書かれたチラシだけしか情報源を持たず、とにかく友人の勧めでユーロスペースのレイトショーに足を運んだ。
銀幕上ではチラシの言うとおり>>続きを読む
チェコのモデルアニメーション作家の中でも、群を抜いて巨大な存在のイルジー・トルンカ。
日本の巨匠・川本喜八郎の師匠ということでビデオを探したが、結局この作品だけレンタルに並んでいたのを発見したのが9>>続きを読む
90年代の半ば、「カネフスキー特集」として本作を皮切りに、その続編『一人で生きる』そして『ぼくら、20世紀の子供たち』と、立て続けに上映された。
いずれも"鮮烈"という言葉がピタリとハマるものばかり>>続きを読む
「北野組もみんな歳食ったなぁ」
というのが正直なところ。
スジがいつもと一緒なのはどうでもいい。何度もリメイクしてると思えば気にもならない。北野映画はそんなところを楽しむものではない。
ただ、演者の舌>>続きを読む
「詩人の街」パターソンに暮らす若き詩人とその彼女。この街に生まれこの街に育ち、この街でバスの運転手をし、この街で詩を綴っている。
この作品の街並みも景色も、何もかもが詩的な風合いを装っているように見え>>続きを読む
五体不満足なクマ、アタマがぶっ壊れてるミツ、母のように姉のように甲斐甲斐しくクマを介護するエリ。
足りない部分をお互い補うことで完璧さを手に入れたクマとミツ2人の"革命"譚。
2人の周りから常に聴こ>>続きを読む
全部中途半端。
余韻が全然残らない。何故マツケン?何故ヨシタカ?どうして木村多江?
松坂桃李だけがなんとか血が通っているように見えるけど、他との温度差がちょっと大きすぎる。
父親役って、ダレ?恥ずかし>>続きを読む
「マーキュリー計画」とくればフィリップ・カウフマン監督の『ライトスタッフ』を思い出す。
冷戦真っ只中の1983年に公開され、当時は"国威高揚映画"と揶揄されもした。しかし作品は、宇宙へ行くため選ばれた>>続きを読む
正直なところ、ワタシはそれほどOasisのファンではない。
"Don't Look Back In Anger"の爆発的な売れ方に「エッ?」と興を削がれてからは、レコ屋やショップやレストランで聴こえて>>続きを読む
フランス映画社が「BOW(ベスト・フィルム・オブ・ザ・ワールド)」シリーズとして配給を始めたのは、ワタシが高校生の頃だったと思う。
第一弾は『天井桟敷の人々』だったような。
そのBOWシリーズの何回>>続きを読む
母の脳腫瘍、親の借金、妻の妊娠、仕事、崩壊寸前の実家、長男、引きこもりの過去
When you got nothing, you got nothing to loose.
by Bob Dyla>>続きを読む
「友人として言っておく。彼女の中に、お前はいない」...苦しい。
知っている、でもそれを受け入れられないから苦しいのだ。
坂を転がり始めた心はそう簡単に止まらない。だから大人は転がってしまわないよう>>続きを読む
久し振りの「ユーロスペース」で観た作品は『残酷ドラゴン血斗竜門の宿』"香港のクロサワ"キン・フー監督の、血湧き肉躍る大活劇!
随分前に"香港のスピルバーグ"ツイ・ハーク監督のリメイク版をビデオで見て>>続きを読む
キン・フー監督の『侠女』カッコよかったぁ〜!隅から隅までスキがない。3時間だよ、でも飽きないよ。
ロケーションが凄すぎる。ジュディ・オングと山口百恵を足して2で割ったようなシュー・フォン(徐楓)が美し>>続きを読む
しでかした行動が「愚行」かどうかは常に世間が決定する。赤穂浪士の吉良邸討ち入りや任侠映画の高倉健の殴り込みのような「義」のための行動は、世間では「愚行」ではない。
あくまで「保身」のために他を破壊する>>続きを読む
「居場所が、ないんだ」
書けない作家、小林薫が、妻子のいる本宅にも、作家仲間の集う文壇バーにも自分の居場所を見出だせず、満島ひかりの元に転がり込んでいる。
満島には好きなようにさせ、昔の男との逢瀬す>>続きを読む
「右よし、左よし、...よし!」
ただなんとなくその日を暮らして、ほんのささやかな幸せを手にして、たまに昔のことを思いだして、そうやって生きて往くだけで充分だったはずなのに、なぜごっそりと奪われてし>>続きを読む
動いた!、動いた!!、ウワッこっち見た!
青銅の巨大なタロス像が、金属的な関節の軋む音を轟かせながら、ぎこちなくユックリとこちらを向く。
生気を全く感じさせない単なる銅像が、動き、そして事もあろうに>>続きを読む
殴られても蹴られても、その度に何度も起き上がり、相手に食らいつき、ついには相手を叩きのめす。しかしその真意がどこにあるのかわからない。ただひたすらに暴力を振るう。相手を選ばず、強かろうが弱かろうが構わ>>続きを読む
「多分オレが悪かったんだと思うけど。」
「そりゃそうでしょ。」
「お前に何がわかるんだ?」
「アンタに何がわかんの?アンタがわかんないから奥さんの頭がオカシくなったんでしょ!」
「今日で変われるかも>>続きを読む
映像で物語を紡いでいくこの作品では、数少ない科白の一つ一つが際立っている。
ずっと付け狙っていた仇(山田孝之)と対峙したというのに自分では決着が着けられず、相手に結論を委ねようと、山田に自分を刺すよ>>続きを読む
「勝利が辛く思われるときがあります。」
「グッバイ、ハラさん。」
「God Bless you.」
ワタシは『戦メリ』のロレンス中佐になりたかった。
敵と味方の中間に立ち、どちらの意も汲み取り、なだ>>続きを読む
無人島に1本だけ映画を持って行くとすれば、迷った挙句にこの作品を選ぶだろう。
それってDVD?フィルム?電気は?映写機は?そもそもナゼ?なんて無粋なことは言いっこなし。とにかく"もしも"の話。
こ>>続きを読む
ワタシは、人間が自然に抗い、厳しさに耐えながら、自らの「生」の証のため、自然に立ち向かった痕跡に遭遇したとき、美しさを感じる。
人間の姿が垣間見えないと密度が低く感じられ、胸に迫ってこない。
しかしこ>>続きを読む
銃を手に入れたトラヴィスが姿見の中の自分に向かって何度も繰り返す。
「オレに言ってんのか?」
ベトナム帰還兵の行き場のない孤独がこのシーンに集約されている。
格差に阻まれた街から逃げるように戦場>>続きを読む
人々の声なきつぶやきは宙をたゆたい、行き場をなくして雑踏に溶け込んでいく。
ところがこの作品の中では、その全てを天使が吸い上げている。他愛もない戯言も、小言も叫びも、全て傍らに寄り添う天使が聞いてい>>続きを読む
夢うつつの狭間を行ったり来たり...。
全編を通して歌舞伎の舞台のように艶やかな美術が銀幕上に移り行く。
蝋人形のように無機的で、どこまでも視線の交差しない戯画的な芝居を、計算づくで誂えた完璧な構>>続きを読む
クリント・イーストウッドとドン・シーゲル監督の紛れもない傑作。
犯人の危うさ、暗がりの怪しさ、人間の愚かさ、常識の脆さ、そして怒りの強さ。どこを切っても「映画」の二文字しか出てこない映画の中の映画と、>>続きを読む
『エクソシスト』は冒頭のイラクの遺跡発掘現場のシーンが最高である。
セリフはほとんどなく、乾いた黄土色の土地を、黙々と、荒っぽくザクザク掘り続ける現地の作業員たち。戦場の塹壕のように掘り巡らされた遺>>続きを読む
「たたっ、タイソン!?」
出てるって全然知らんかった。出てきてからも「誰だっけ、なんか見たような?」ってずっとわからず、ファイトシーンで「!!!」
しかもキレのある動き、野獣の眼。
いやビックリした。>>続きを読む