原作と違っていても、別物として面白ければ認められる。それがスーパーヒーロー映画の定石だから、細かいことは言わない。
ただし、この映画は脚本が酷い。最後のスタッフロールにプロデューサーがズラズラ並んでい>>続きを読む
「ソナチネ」の後、北野武は「秀吉」を企画していた。当時のキネマ旬報では、足軽と秀吉の二人を主役にする構想が書かれていたことを覚えている。テレビ番組(「北野ファンクラブ」)でも北野自身が「戦国時代の馬は>>続きを読む
いつものアニメ絵であれば成立していたことが3Dになるとうまくいかない。そうした描写が目につきすぎて、いつ破綻するかと最後までハラハラした。
例えば、幼稚園の立てこもりシーンは酷い。立体になることで無駄>>続きを読む
スピルバーグが007を撮りたかったのは有名な話だが、インディジョーンズシリーズはまさに007だと、本作を観て確信した。どちらも、リアル/アンリアルを言うのは野暮であり、冒険活劇という名のアトラクション>>続きを読む
地面から初めてトライポッドが現れるシーン。子どもたちを守るのであれぱ、一目散に逃げ帰らなくてはいけないトム・クルーズは、何故、それが全貌を現すまで一部始終見続けていなくてはならなかったのか。
また、冒>>続きを読む
90年代の黒沢清は、映画を「発明」していた。同じような監督に北野武、キアロスタミがいた。過去形で語らなくていけないのが残念だが。
例えば、一本の不思議な形の木を前にして、どうやったら「西部劇」になるの>>続きを読む
「蘇る触覚」がキーワードで、いつものように少年の五感が覚醒して解放に至る…そんなカタルシスは、残念ながら今回は得られない。
始終、干からびた掌で撫でられていたような感触が消えない。
死後の世界、もしく>>続きを読む
「引っかかってたから、こういう映画ね。一回はやりたいって」
北野武のキャリアの中で珍しい、男女の愛を中心にした本作では、いわば「反語」としての恋愛ドラマが展開している。(「反語」としての刑事ドラマか>>続きを読む
「『シン仮面ライダー』試論」
有機物である人は死に、無機物へと還っていく。それに抗うことはできない。
いや、その抗いの様が「フィクション」として、例えば映画やドラマとなり、人の心を打つのだとも言える>>続きを読む