どストレート、王道の青春映画。地方都市の男子高校生4人組を主人公に、ケンカと友情、淡い恋、オートバイとアルバイト、理解のない教師と支えてくれる大人たち、そしてロックバンドの結成から初コンサートまでが何>>続きを読む
全共闘側、つまり反権力・反体制の側に立って映画館に足を運ぶものの、映画が始まり進んでいくうちに、いつしか学生の観念的、挑発的な質問に、ときにユーモアを交えながら即座に的確に応える三島由紀夫の「言葉」に>>続きを読む
柳町光男監督の脚本に惚れ込んで出演を快諾したという秋吉久美子がいい、素晴らしい。
父親を知らずに育ち、母親の営むスナックを手伝う順子(秋吉久美子)は、強くたくましい男に憧れ、その理想の姿をダンプカー>>続きを読む
イメージが固定している人間に、そのイメージのままの役をさせる。それって確かに安心感はあるだろうけれど、やはり安易に走りすぎると思う。この映画では、誰でも知っているお笑い芸人が、イメージそのままにぼろ長>>続きを読む
渾身、という言葉がある。この映画、大林宣彦監督にとっては、文字どおり生命を削って完成させた渾身のラスト・ショー。サブタイトルにある玉手箱、という言葉どおり、蓋を開ければ次から次へと飛び出してくる大林映>>続きを読む
ラスト――。交差点を挟んで見つめあう二人。互いがほんの2、3歩、足を踏み出せば手が届くところに立っていながらも、その間に存在する埋めようのない隔たり。二人は何を思い、何をしようとしているのか? 女に向>>続きを読む
森崎東監督と言えば喜劇、というイメージが強いけれど、この映画は、原発下請け労働者(原発ジプシー)、東南アジアからの出稼ぎ女性(じゃぱゆきさん)、沖縄問題など「日本社会の闇」を描く社会派映画。喜劇の枠を>>続きを読む
異分子、異端者は問答無用で排除してしまえという論理は、人権擁護や個性尊重の意識が当時より格段に進んだはずの現在でもなくなるどころか、かえって先鋭化しているように感じられる。なかんずく予定調和や先例重視>>続きを読む
倉本聰脚本、降旗康男監督、高倉健主演の日本版フィルムノワールの大傑作。三人の映画作りにかけた情熱と愛情、才能が一つにまとまり奇跡のような作品ができあがった。ちなみにこの三人は、三年後の1981年に再度>>続きを読む
稀代の映画バカ、勝新太郎のもとに集まる一癖も二癖もあるヤバい男女。勝新しか作れない映画だ、とにかく面白い。
ところで素朴な疑問を一つ。決戦場の宿場町に市は転がる大樽の中に隠れて登場するけれど、盲人っ>>続きを読む
ラスト。廃墟に立ち周囲を睥睨する怪獣王ゴジラの前にひれ伏す異形のタイタンたち。
おいおい、ハリウッド版のゴジラ、お前は何か違う方向に向かっているんじゃないの?
東京からおんぼろジープを駆って九州を目指す石原裕次郎。それを追ってジャガーで西下する浅丘ルリ子。まだ高速道路などなかった1962年当時の一般道とその周辺の風景が楽しめる。
この頃の裕次郎は、本作の主>>続きを読む
テーマは、ずばり、〈死〉を超える〈生〉、そして〈生〉を支える〈家族〉。三浦哲郎の原作を執念で映画化した熊井啓監督畢生の傑作と声を大にして伝えたい。
映画前半で繰り返し描かれる、哲郎と志乃それぞれの家>>続きを読む
オリンピック憲章は夏季・冬季オリンピックごとに公式記録映画の製作を義務づけている。この映画は、その憲章に基づいて作られた、1968年にフランス、グルノーブルで開催された第10回冬季オリンピックの公式記>>続きを読む
白いサマードレスに裸足で、ジャズバージョンにアレンジされた「帰れない二人」を歌い踊る牧瀬里穂のキュートで愛らしい姿が、この映画の魅力のすべてを語っています。
1990年の日本。人々はすぐそこにまで近>>続きを読む
それまでのリアリズム描写から一転、夢か現(うつつ)かすらはっきりしない船幸祭の夜の彷徨。岩の斜面をよじ登り、小川を渡り、竹やぶを抜けて明け方にたどり着いた琵琶湖畔で少女レンコは、懐かしい家族三人の姿を>>続きを読む
CGとかの作り物ではない、9000頭の牛の暴走シーン、渡河シーンの迫力に圧倒される。やっぱりアメリカは広い。
西部開拓時代に生きる男にとってはゲンコツと銃、それからコーヒーとウイスキーは欠かせない。>>続きを読む
このレビューはネタバレを含みます
小松左京の長編小説は多くが映画化されているけれど、『日本沈没』(1973年版)を除いて高評価を得た作品はないようだ。これはひとえに小松SFの特長である膨大な情報量が興行作品としての映画の尺に収まりきら>>続きを読む
2度の敗北に打ちのめされ絶望した鶴田浩二が、一人の少女の言葉に勇気づけられて再々度の戦いを挑むことを決意するラスト。サングラスを外し、傷痕をさらし、まばゆい光に目を瞬かせる。その視線の先に屹立する国会>>続きを読む
疾走感で一気に駆け抜け、観る者を引っ張る前半のノンストップ・ゾンビ映画。その中のそこかしこで感じる違和感、不自然さ――例えば、やたらギクシャクする演出、あからさまなカメラ目線……これらの種明かしをして>>続きを読む
昭和13年の春、満開の桜に始まり、霏々として降る昭和14年新春の雪に終わる豪華絢爛絵巻。谷崎潤一郎の原作を2時間に凝縮・翻案した市川崑監督の力量に圧倒される。
四姉妹を演じるのは岸恵子、佐久間良子、>>続きを読む
金子文子を演じたチェ・ヒソが素晴らしい!
難癖をつける右翼ゴロにおでんをぶっかけ、裁判所で野次を飛ばす傍聴人には「静かにしろっ!」と胸のすく一喝。鬼女の面貌で天皇制批判を激烈に述べる一方、ときお>>続きを読む
軽やかで、それでいて哀愁漂うテーマ曲に乗せて進む物語。それは2日限りのエフェメラ――もぬけの殻となった街で繰り広げられた儚くも自由な束の間の祝祭なのか?
芝居を演じる精神病院の患者たち。心優しき彼ら>>続きを読む
モノクロ画面ならではの、光と影が織りなす映像美に息を呑む!
多国籍軍に占領された戦後間もない厳冬のウィーン。闇の中に浮かび上がる廃墟、ガレキ、戦災を免れた古い建物。その間を縫って続く曲がりくねった石>>続きを読む
これが映画デビュー作となる石橋凌が垣間見せる原石の輝き。のちに自死する指パッチン、ポール牧の怪演。ぼくにとっては、それだけの映画。
マンガ原作者の狩撫麻礼や、本家『ターミネーター』の関係者は、よく怒>>続きを読む
北方ハードボイルドの映像化、崔洋一監督、グッジョブ!
どこか異国の迷宮を思わせる、沖縄辺野古の裏寂れ時代から取り残されたような街並み。その街を訪れた男と、そこに暮らす男女の、わずか3泊4日の物語。>>続きを読む
誰もが一度は読んだことがある、小泉八雲原作怪異譚のオムニバス。正統的演出で、観る者をグイグイと映像世界に引き込んでいく。
いずれの短編にも共通するのが、その豪華なセット。
例えば「耳なし芳一」や「>>続きを読む
京都伏見の造り酒屋の先代は、妻と長男には先立たれたものの、長女の婿に店を任せての悠々自適の楽隠居。焼けぼっくいに火がついた昔の愛人のもとに足繁く通うことを娘たちに咎められながらも屁の河童、挙げ句はその>>続きを読む
『純愛日記』のタイトルで1971年に公開された際、男友だちばかり数人と試写会で観た。その思い出の映画を、完全版として47年ぶりにまた観ることができた幸せ、映画の神様の導きに感謝したい。
だけど、恐ろ>>続きを読む
浦山桐郎監督、吉永小百合主演作品といえば、映画好きなら誰でも思い浮かべるのが『キューポラのある街』。浦山桐郎にとっても、吉永小百合にとってもデビュー作となるこの映画が、その後の二人が長く歩み続ける映画>>続きを読む
ここに出てくる日本の兵隊さんたち、飢餓と悪性伝染病に苦しんでいるとは思えないほど、血色がよくふっくらとしている。加東大介の面貌がそう思わせるのかと思ったが、ヒゲモジャの敗残兵、小林桂樹だってそう(人肉>>続きを読む
冒頭、フェンスにもたれかかって米軍住宅をぼんやり見ている青年の足元に子犬が近づいていく。じゃれつく子犬を何のためらいもなく蹴り上げる青年――。
この短いシーンで、ぼくの永山則夫に対するイメージが一転>>続きを読む
それは超過去なのか、超未来なのか。荒野に屹立する〈太陽の塔〉。あるいは、高層ビルを睥睨する〈太陽の塔〉――そのイメージショットが素晴らしい。おずおずと塔の表面に触れる〈縄文の少女〉の姿は、『2001年>>続きを読む
登場人物のセリフ、「報道は国民のためのもので、政府のためのものではない」が、この映画のすべてを語り尽くしている。アメリカ国民に脈々と流れ続ける自由と正義の精神を描いた、骨太の一編。
大統領が暗殺され>>続きを読む
タイトルが先か、内容構成が先かわからないが、このドキュメント映画で描かれているのは時代劇映画のサムライ三船敏郎のみ。それはそれで三船敏郎という稀代の役者の一面を的確に表しているけれど、残念ながらそれは>>続きを読む
集団就職で地方から上京してきた若者たちを主人公に据えた映画は、苦しさや辛さに負けず前向きに頑張る青春像を描く作品と、大都会の魔力に染まって身を持ち崩していく後ろ向きの青春像を描いた作品に分けられると思>>続きを読む