現実と異界はカメラを前にしてどちらも等しく捉えられる。映画は一方向的な持続であると同時に、二つの時間が共存することを可能にする装置でもある。
全体的に垂直的というか、高さというイメージが多用されていたのが良かったという記憶
色の鮮やかさが同時に人間の不気味さをも暗示する。アニエス・ヴァルダが提示するイメージはつねに何かを隠し、予兆する記号としてあるように思える。
カジノとは数字の偶然性と戯れる表層的な場なわけで、その場に巻き込まれてしまった男女は同様にして、自らの人生そのものさえ偶然に委ね、終わることのないゲームを続けることになる。
なんて素晴らしい。映像と音楽とテクストという異なる媒体がそのまま共存することがイメージを生み出すという、そういうことをやらせたらゴダールの右に出る人はいないのかもしれない。
難解だったり政治的だったり>>続きを読む
映画においてはあらゆる事象・場所・時間がすべて等価に接続しうるということの軽やかな証明。これは確かに凄いです。
久しぶりに観て、印象に残ってたシーンがどれもあっけないくらいの速さで展開していくことに驚いた。
テンポが良い、という言葉では全く不十分なこの直線的な時間感覚は、このまえ観たキアロスタミを思い出させる。>>続きを読む
過去のトラウマを扱っている点で『去年マリエンバートで』に近いのだけど、『マリエンバート』がトラウマによって深さが断ち切られた結果として、全てが横滑りし続けていく平面的な演劇だったのとは対照的に、この作>>続きを読む
冒頭、教室のシーンで、カメラは子供と同じ目線に置かれる。学校を出たあと、あるいは家での移動のシークエンスで、子供の動きは安定して捉えられる。子供の目線で物語を伝えてくれるカメラ、という安心感はしかし、>>続きを読む
種明かしのタイミングの意外さをはじめとした緻密なプロット、色使い、悪夢のシーン、ズームインなどが、観客に意図を伝え、感情を喚起するという目的のためだけに動員されている。ヒッチコックの異常な合理性。
ス>>続きを読む
監督自身の幼年期の思い出が色濃く反映されているのは間違いないのに、戻らない過去への執着は感じられない。カメラのこちら側(=作り手たち)の重さから逃れた画面上には、夏の光と風といくつかの出来事が、その軽>>続きを読む
緑の葉のざわめきが肉体に劣らぬエロスを喚起するとき、映像の詩情が生まれる。
門で始まり門で終わるということ、葉に囲まれた家。海辺での会話シーンは多いのに、男女が海に繰り出して泳ぐという開放的なシーン>>続きを読む
重くのしかかる現実と幻想のようなイメージとがない混ぜになっていて面白かった。
映画自体は初めて観たけどヨハン・ヨハンソンの手になるサントラはこれまで何度聴いたかわからない。間違いなく映画音楽史上最高のものの一つだと思う。
いくらでも小難しく複雑な話に出来そうなのにシンプルにま>>続きを読む