まさかの二丁拳銃、大五郎のガトリング銃。チャンバラ全無視、冥府魔道の映画。
古き時代を見せるわけでも、昔の人情を伝えるわけでもない。殺陣は敵ではなく、観客の先入観・常識をぶった斬ってこそ。
子連れ>>続きを読む
鳥人ブブカも真っ青、火事場の棒高跳び。
時代劇でもアクション映画でもない、アクロバティックな殺陣映画。若山版007。
滑稽なスプラッター・ムービーの中で、主役を大五郎にし、幼子のサバイバル物語にし>>続きを読む
最も鑑賞数の多い映画。
『カリオストロの城』の本編は、実は最初の数分。炎のたからものが終わるオープニングまで。
冒険の舞台であるカリオストロ公国に向かう旅情こそが、作品の心臓であり、ロードムービー>>続きを読む
すべてのアートの源泉は、本能の解放。
今作の「性」への寛容は、すなわち「映画」に対する観客の寛容ともリンクする。
映画は2時間そこらで人生を描こうとする暴力的な芸術で不完全のアート。粗を探せばいくら>>続きを読む
子連れ狼には色気がある。昭和の色気がある。幼児の切腹・介錯シーンや、路上での強姦などオブラートに包まず見せているからだ。
ヒーローものなら主人公が助けるか復讐するが、拝一刀は目をつぶる。余計な戦いは>>続きを読む
座頭市は「月」である。闇夜で、おたねを優しく見守る光。
三隈研次は時代劇×ヤクザという2本の刀を重ねることで、至高の映画を生み出した。
呼吸の乱れ《聴覚》で平手の病を察する座頭市、右肩の筋肉《視覚>>続きを読む
アニメ映画で5傑に入る。
「人はなりたい姿ではなく、なるべき姿になる」サマセット・モームの『月と六ペンス』の真理が突き刺さる。
細田守の凄さは、人間と自然を対等に描いたこと。
とかく人は自然を神>>続きを読む
ただ走る姿を捉えるだけで、阪東妻三郎は何かを訴える。否が応でも我々はなにかを感じとってしまう。これが映画なのだろう。
中山安兵衛もロッキー・バルボアも、己の運命に向かって走る。未来を変えようと走る。>>続きを読む
現時点で今年のベストワン。
面白い作品は必ず2回観るが、あえて脳内で再上映し、しばし体験を熟成させたくなる。
ありがちな学園ものとは少し違う、甘酸っぱい果実ではなく、ニンニクと鷹の爪の効いたペペロ>>続きを読む
大好きな阪妻の初期代表作。
スターは夜空に輝く星の意味であり、映画も闇の世界で輝く者だけがスターになれる。
阪妻の芝居は歌舞伎もどきで”演技”と呼ぶには遠い。しかし、哀愁や鬼迫の”表現”は疑いのな>>続きを読む
初・細田守。
凄まじい才能。表現力。ファンタジーとリアルの融合は観る側が迷子になりがちだが、これはひとつの光に導かれる。
作品は引き算の連続で作られているから、粗を探せばいくらでも批判できる。しか>>続きを読む
「武士」は自分という主人に仕え、「侍」は主君に忠誠を誓う。
異国にいるジム・ジャームッシュは侍と武士の違いを日本人以上に理解していた。
ゴースト・ドッグ(フォレスト・ウィテカー)が出逢う人々に本を>>続きを読む
8月が来るたび出逢いたくなる映画。閃光、儚さという打ち上げ花火。
なずな(広瀬すず)と典道(菅田将暉)を並べたとき、身長差が大きい。典道が物語を動かしているように見えて、コントロールしているのは常に>>続きを読む
1983年公開。この年に生まれたことを誇りに思う。
「赤」がメインカラーだが、これは血の争いや情熱以上に、血よりも濃い者との交わりが人生であり、「赤ん坊」の赤でもある。
トニーは己の本能に忠実で、>>続きを読む
時代の最先端を走るトップランナーは、世間より早く未来を察知するアンテナを持っている。
今作を古臭いホラー、ステレオタイプのコメディと思うならジム・ジャームッシュを観る才能はない。
ゾンビはワクチン>>続きを読む
音楽や絵画が映画より優れたアートであると信じている人は『ストレンジャー・ザン・パラダイス』を観ないほうがいい。
その幻想はジム・ジャームッシュという”濁流”によって洗い流されてしまう。
一つ一つの>>続きを読む
日々を唄い、愛を詠う。
牧歌的なテンポになっても、柔らかな映像美になっても、”ズレ”の美学を描いてきたジム・ジャームッシュの一貫性はブレていない。
街と同じ名を持つパターソン(アダム・ドライバー)>>続きを読む
冒頭のレコードの回転と映像の流転。結局、人生は同じ場所をグルグル彷徨する。
ラストは気高いヴァンパイアは生き延びるために、忌み嫌うゾンビ、吸血鬼のエヴァになる。オープニングとエンディングのギャップの>>続きを読む
5つすべて物語が始まる前の物語。続きが気になり、本来なら1人1本の映画にできるところを、ジム・ジャームッシュは”その後”を観客に託す。
タクシーの移動も小さな旅であり、人間ドラマがある。狭い空間の中>>続きを読む
アメリカン・ニューシネマが終わりを迎え、新しい時代が始まる1980年公開。
社会に適合できないアリーは孤独を消すため街を彷徨うが、アウトサイダー同士は磁石のマイナスとマイナス。誰ともセッションできな>>続きを読む
3つの物語が列車のように数珠つなぎで進行し、登場人物たちはクロスロードせず平行線で進む、
ジュンとミツコはカップルだが、兄妹のようであり親友のようにも見える。
恋や愛や友情は別の感情ではなく、オリ>>続きを読む
あらゆるクリエイターがジム・ジャームッシュに熱狂する理由が集約されている。
“衝撃”とは、強いメッセージでも奇想天外なアイデアでもなく、日常をヒョイとすくいとって、そこに少しのスパイスを加えたもの。>>続きを読む
人生は死に向かう旅であり、そのプロセスで何者であるかが人生といえる。
ウィリアム・ブレイクは若くして労働を喪失し、死へと向かう旅に出る。
その過程で何者でもないノーバディと出逢うことで、違う自分に>>続きを読む
痛快。市松模様のテーブルが欲しくなった。
健康の奴隷だらけの世の中と対極。これぞ映画だ。
キレイな肺をニコチンで汚し、「なんとかフリー」で呪われた血液に大量の砂糖とミルク、カフェインをぶち込む。>>続きを読む
石井裕也の最高傑作にして今年ナンバーワンの作品。テアトル新宿で2回目の鑑賞。
言葉も目的も違う日本人3人と韓国人3人が1台のバンに乗って同じ東の海を目指す。
東の海は太陽が昇り、日本と韓国を繋ぐ場>>続きを読む
これが石井裕也の最高傑作なのか、それとも最高傑作の始まりなのか?
世の中へのファイティングポーズは健在で、去年とは別次元の映画作家になっていた。
令和の2年間を拾い上げ、2021年に「!」を打つ作品>>続きを読む
今年のベストフィルム。
やっと映画館、復活。時代の最先端を行くはずの東京が時代遅れになってから2ヶ月。ようやく再開した。
石井裕也監督の『茜色に焼かれる』が観たくてトーホーシネマズに行くも満席。代>>続きを読む
森谷司郎と木村大作、そして高倉健による『八甲田山』と並ぶ青森を舞台にした宝石。
トンネルは闇との戦い。それは無力との闘いであり、孤独との遊戯。その先にある光を見つめる視線こそ、男の仕事。
吉永小百>>続きを読む
いい映画は、いつまでも観ていたい気持ちと、早く席を立って動き出したい衝動に駆られる。
この映画が凄いのは最後の2試合で「赤こそが挑戦者の色である」と証明したことだ。
毎年、何度も後楽園ホールに足を>>続きを読む
城がなぜ動くのか?
空を飛ぶのではなく、生えた足で歩くのか?
この映画は様々なものが動く。年齢、容姿、そして心。
ハウルの城は心臓の形をしており、動くのは心の変化を表現している。運命によって動かさ>>続きを読む
「あなたの人生を変える」というキャッチコピーは安っぽくて嫌いだが、この映画は本当にその力がある。
ノマドは「転職族」であり、イングランド民謡『グリーンリーブス』を歌って旅する主人公と自分が重なった。>>続きを読む
レイトショーが復活した21:30の新宿ピカデリーはガラガラだった。
少し心地よい空虚感のなか、吉田大八 監督はとてつもないものを届けてくれた。令和三年の一作目から最高傑作。
『騙し絵の牙』が最高に>>続きを読む
この映画に『道』のタイトルをつけたフェリーニの凄さ。
オート三輪はアメリカの騎馬隊であり、乱暴に人生を開拓していく象徴。ザンパノはジェルソミーナを亡くしてから、その純粋無垢な天使の愛に気づく。しかし>>続きを読む
人生で好きな映画3本の指に入る
『理由なき反抗』
大学の4年間、VHSで年3回は見ていた。テーマ曲がほぼ一つしかないのにテンポや音色を変えることで、まったく違う効果を生んでいる。これぞ映画音楽。>>続きを読む
『滑走路』と並ぶ令和2年の映画の両翼。もちろん日本映画の範疇ではない。世界の映画の中での話だ。
7月のカンヌでパルム・ドールを獲るだろう。
本物の映画はドキュメントよりも真実を届けてくれる。
瀬>>続きを読む
ダメな映画の見本。もっと声優を信じてほしかった。アニメは表現の幅が広いから足し算で作ってしまう。
すべてのセリフにBGMをかぶせてるから言魂の力が台無し。
せっかく声優がいい仕事してるのに、すべて>>続きを読む