日常のドラマ。
不倫の是非は置いておく。なぜなら、
フィクションというのは思考実験の塊で現実にはあり得なそうなことを繰り広げ、考える場所に他ないないからだ。
そして、この物語の本質にあるのは不倫ではない。日本の異常なほどにつまらない日常への警鐘だ。
仕事をしたら帰りに誰かと会う用事もない。結婚していたら、家と職場の往復で終わりだ。土日も仕事となればすることもない。また、それはサラリーマンだけではなく、専業主婦もそうだ。大人になって、社会一般的に理想とされる家庭になればなるほど、つまらなくなる。
このつまらなさが意地悪なほどに上手く描かれている。今のドラマにはない。つまらない日常を生きる家族のドラマ。こんなドラマは山田太一にしか書けない。
このドラマで日常からはみ出せと言うような強いセリフはないが。丘の上の向日葵たちに、見下されるような人生を続けるのはどうなのだろうか。