まりぃくりすてぃ

First Love 初恋のまりぃくりすてぃのレビュー・感想・評価

First Love 初恋(2022年製作のドラマ)
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受け取るものはいろいろある。
結局のところ宇多田ヒカルは私の魂にまでは響かない。とても上手いから心にはちゃんと来るんだけど。

私が中学に上がった頃、同世代の過半数が宇多田推しな中、私は倉木麻衣派だった。「え? マリは宇多田だと思ってたのに」とか「宇多田ヒカル明るくて可愛いじゃん。倉木麻衣は、じめじめ隅っこで生物係とかやっていそう」とか、“陽キャ/陰キャ”のリトマスみたいな感じになっちゃってた。
いつも目立つ私は、友達と口数は多くても本当は、傷つきやすくてあれこれギリシア哲学者みたいに考えるタイプだった。
それに…生きるか死ぬかの瀬戸際で、倉木のきらめくような歌詞や切羽詰まった透明な歌声を“生きる支え”にしてる人が、たまたま私の身近にいたのだ。
その人はうんと年上のカッコいい大人の女性だった。知らずに仲良くなった男が既婚者だと後で知り、別れようと思ったが相手の結婚生活が破綻済みだったため、同棲して幼妻みたいに男に応え続けるうち、深く愛し合ったという。狡さのある男はやがて癌になり、余命いくばくもなくなった。別居してた奥さんがその期に及んで縒り戻しを望んでせっせと夫を世話するようになったため、病院に見舞いにさえも行けなくなった“幼妻”は、男から「君だけを愛してる」と言われ続け、倉木麻衣の1stアルバムに出合い、泣きながら祈りながら倉木のSecret Of My Heartなどで張り裂けた心を奮い立たせていた。

https://youtu.be/YD8iURMwyi0?si=nfCbD7n92Zmuqzux

当時、私は(家族ぐるみの繋がりのあった彼女を)自分はほんの子供だったが子供なりに懸命に慰め励ました。私の親らは「とても気の毒だけども、そもそも不倫してたんだから(特に男は)自業自得」という冷静対応だった。
彼女は「死んじゃいたい。誰か名医を知ってる?」とまで年の離れた私に縋るようになった。癌の人はやがて亡くなった。彼女はもちろん葬式にも行けなかった。
私は、神様は愛だから、けっして人に無意味な苦しませはしないからと、子供心を総動員して彼女に慰めの手紙と(お小遣いで買った)お菓子を送ったりした。その頃までは神様を素直に信じていた私だった。

それからだんだんに彼女は立ち直り、やることがあって遠くへ行った。元々はローリングストーンズなんかに詳しい人で、倉木麻衣を捨ててブラウンシュガーを聴いて目が覚めたそうだ。そういったロックに詳しくなりたがった中学時代の私(生意気にも幼稚園頃からマライアなどには馴染んでた)に、いくつかの埋もれがちなストーンズの良曲を教えてくれたりした。
題は特に言ってくれなかったが、“不満あって脱退したミック・テイラーがほとんど一人で作ったのに、作詞作曲者クレジットしてもらえなかった悲しい曲”なんかもあるということだった。

さて、引き続き明るく楽しい中学〜高校生活を送ろうとした私だが、いくつもの辛いことに足を掬われた。気がついたらイライラばかり多い陰キャに転落し始めていた。
最大の惨事は、クラスメートの男子に恋したことだった。生まれて初めて、どうしようもないぐらい人を好きになってしまった。
そんな頃に、あの年上のお姉さんから薦められたストーンズ曲にたまたま聴き惚れだした。“命短し恋せよ乙女 朱き唇褪せぬまに 熱き血潮の冷えぬまに”という曲だった。宇宙を駆ける花吹雪のような流麗なテイラーのギターソロが延々とラストに続く。これがあの人の言ってた曲だ!とわかって、毎日聴いた。それとともに、クラスメートのA君に私は毎日近づいて、意地悪そうな勝気な自分を必死に隠して可愛らしく爽やかに話しかけた。気立てのいい楽しい子だと思われたくて頑張った。“命短し恋せよ乙女”は私には幸福で前向きな希望の鼓舞の歌だった。
ところが、A君には最愛の恋人がいることがわかった。私は暗闇に。かつて倉木麻衣好きのお姉さんに背伸びして「私は味方だよ」と言ってあげてた私が、今度は三角の当事者になった。
A君の素敵さ(と私への好意)はますます滲んできた。いがみ合いの絶えないクラスにて、美しい彼はすべての男女にいつも明るく爽やかに優しく接していた。喧嘩があれば仲裁し、教室でも廊下でも独り言のように歌を歌うし、身障者相手のボランティアを続けていて、町でクラスの男子らと待ち合わせてるちょっとした空き時間に献血カーを見つければサッと血をあげに行く。その頃とっくに神様への信仰を失ってた俗物の私は、A君が眩しくて、でももっともっと仲良くなりたくて、できれば恋人から彼を奪いたくて、週に一度の美術授業の制作中に必ず一度一人で彼の絵を見に行き、彼も彼で一人で一度私の絵を見に来る、という慎ましい交流を保った。
家に帰ると私はストーンズの“恋せよ乙女”を聴いては泣いた。幸福の曲だったものが我慢と不幸とやるせなさの曲に変わってしまっていた。元々そんな唾棄するような曲調だったみたいだ。
私はやっぱり、A君のカノを泣かせてまでA君へと突っ走る気にはなれなかった。縋るものがなく、ノイローゼになってきた。
あの倉木麻衣好きのストーンズ紹介のお姉さんと久々に手紙のやりとりをした。私が修学旅行や家族友達と一緒の写真を送ると「お元気そうでハッピーそうで安心しました」という返事が来た。
私は死を意識するようになり、学校で私が素行不良化したせいで減りに減っていった友達のうちの貴重な一人が「マリが死んだら私も死ぬ」と言ってくれて、何とか踏みとどまったけれど、もはやA君とは美術の交流も終わり、同じクラスにいながら10億光年のところにいるみたく赤の他人で、私はA君の目からみてもたぶん育ちの悪すぎるビッチだったのだろう。
適応障害。優等生スタートだった私の高校生活は、大勢を驚かせる不登校ヤンキー兼無神論哲学者のそれだった。
そんな頃、クリスチャンの両親へのアレルギー高じた私は、ある週末に家出して電車に揺られ、祖父母の家に。服装が派手になっている私にぎょっとしたかどうかわからないが、祖父母は優しく迎えてくれた。
不幸な私は、祖母と布団を並べて一晩中、それまでの自分の人生を語った。A君がどれだけ素敵な天使であるかを特に入念に語った。祖母を午前三時まで寝させなかった。全部聴いてくれた祖母に、翌日、持ってきていたストーンズの“命短し”を聴かせた。
祖母は、もちろんそんなジャンルを聴く人じゃないのに「今まで聴いたすべての音楽の中で一番良い」と言ってくれた。
その楽曲の音と声はすべて、それまで私の流してきた涙で出来ていた。曲が丸ごと、命であり、祈りだった。

https://youtu.be/YsH2In5r2sM?si=UuV4ik9UvLFXIiaF

家出から戻って私はまた半端なヤンキーの雌一匹狼としてつまんなすぎる日常を送った。高校のほとんどの生徒が私の敵だった。善の世界にいるA君の半径12㍍内に入る資格を持たないと思って私は地獄の孤独にいて誰とも喋らず、その代わり、いつもA君を思い、A君がずっと幸せだといいなと願い、A君の幸せのためなら私は死んでもいいと思った。A君のために死にたいと思った。
受験期が来たので、三月に死のうと決めた。

いろいろあって、四月以降も私は生きた。浪人生になった。
B君という一年の時のクラスメートがいろいろ優しくしてくれたので、少し慰めに感じて、ストーンズ愛聴者同士だったし、まあ、たまに電話で喋るとかした。B君は私を女の子として好きなんだろうなと薄々わかったけど、私は何とも思わなかった。
私は、この広い世界においてA君以外は男だと思っていなかった。卒業して完全に無縁になったけど、ずっとずっとA君を思い続けた。私には、A君は世界で一番心の綺麗な人間だった。そんな彼に釣り合う人間性を持たない私は、いつ死んでもいい汚れた馬鹿者だった。
勉強は何とか頑張った。
そして夏に、高校の同窓会が開かれた。迷ったけど、私は参加してみた。
久しぶりのA君は、素朴な天使だった高校時代からは大きく垢抜けて、モテ男みたいになっていた。私は久々にというより初めて彼を真正面に置いて長時間楽しく夢中で談笑した。夢みたいだった。
でも、終わりに気になることがあった。私のいないところで、A君が私のことを「アブノーマルな子だ」と品評してたというのだ。人づてだったし、A君は先に帰ったので、私はべそかきながら旧友たちの話に耳をそばだてるるしかなかった。世界で一番心の綺麗な人がそんなひどい発言をするだろうか。私は心に荒波が立ってどうかなりそうだったが、なぜかA君が忘れ物をしていって、それを私が後日彼に届けることになった。ストーカー気味に私は彼の住むマンションを知っていた。
受験勉強どころじゃない私は、翌日、彼の町をアポなしで訪ねた。もちろん精一杯お洒落した。運良く彼は在宅してて、私がお届け物するととても感謝してた。お礼に食べ物をくれた。なぜか人形までくれた。私は、胸に溜め込むのが耐えられなかったので、思いきって「私のこと、アブノーマルって言ったの、本当?」と訊いた。彼はびっくりして「そんなこと言ってないよ」と。彼は私を「エキセントリックな人」と言ったのだという。褒めたつもりだったと。そのへんカタカナ語がまだみんな19歳ぐらいだから使いこなせてないのだった。
私は安心?して、「今からどこかでお茶しませんか」と持ちかけた。出かける用事のあった彼は、翌日ならいいということだった。
いったん退却した私は、本格的に悩んだ。彼のことは元より完全に諦めていた。
翌日、派手にならないよう気をつけてキメた私は、素敵な彼と二人きりでカフェ。夢のようだった。でも、違和感があった。高校在学中とはやっぱり違う雰囲気の彼。普通っぽいし。でも、素敵だ。
私は「彼女とは、まだつきあってるの?」と同窓会で確かめたはずなのに蒸し返した。本気度を疑ってみたのだ。彼は、結婚するつもりで真剣にカノを大切にし続けているのだという。私の入り込む余地はない。
私は、だんだん苦しくなってきて、馬鹿なことを言い出した。「彼女とはそのままつきあっていいから、私とも一ヶ月だけつきあって」
「は? …ダメだよ」
「形だけでいいの。それきりいなくなって、一生迷惑かけないから」
「ダメだよ」
「…じゃあ、二週間でいいから、恋人みたいになって」
彼は断固として拒否した。自分をすっかり見失っていた私は、「一晩だけでいいから。それでもう諦めるから」と最大限の譲歩をした。そしたら、A君は、硬い冷たい声になった。
「彼女に示しがつかないから、たとえ一時間だけだって、君の恋人にはなれない。…どうしても俺に抱いてほしいなら、お金払うよ」
私は、唖然としてしまった。べつに、セックスがしたいとかそんなことじゃなかったのに。ただ、特別に優しくしてもらって一緒に映画館や動物園とかに行って楽しく食事とかしたかっただけなのに。。
私は、涙を呑み込んだ。もう目をあまり合わせられなくなった。こんなことを言ったり考えたりする人だったの?と。。。
いや、優しい正しい人だから、わざと意地悪いことを言って私を諦めさせようという気遣いなんだ、と思い直したら、涙がひいた。
でも、辛くて切なくて、思わず言った。
「私なんて、いっそ死んじゃえばいいね。楽になれる」
そしたら彼はすかさず、「そんなことされたら、俺がずっと苦しむじゃん」
え……と再び絶句した私。確かに私は、甘えまくる言葉を吐いた。でも、せめて「そんなこと言わないで。明るく生きて。君ならできる」ぐらい言ってほしかった。だって、目の前のA君は、それまで私が“世界一心の綺麗な人”“彼のためなら私死んでもいい”とまで思い詰めた相手だったのだ。
私は泣いて何か言って別れた。彼は悲しそうというよりひたすら困惑して疲れてる感じだった。「好意をずっと持ってくれて、ありがとう」以外には何も優しい言葉・甘い言葉を掛けてくれなかった。

帰宅して私は人間への興味を失った。世界中のすべての人間がエゴ(保身・自我)だけで生きてることを知ってしまったのだ。18歳にして世界の実相に晒されてしまった。
もしも自分が屈強な男だったら、たぶん通り魔大量殺人とか犯してたと思う。でも、弱くて何もできなかったから、迷わず自殺を決めた。
夏のうちに自殺しようと準備に入った。受験勉強なんてストップ。
そんな頃、たまたま祖母からの電話を私が受けた。「マリ元気にしてる?」といつもどおり祖母は優しかった。
私は、前の年に夜中じゅう語りまくった魅力のA君に、ふられちゃったことを、少し言った。祖母はショックを受けて、懸命に私を慰めにかかった。私は、自殺する予定を勘づかれたくなかったから、さらさらとした感じに受け答えした。
祖母から速達が来て、祖母自身が昔失恋して自殺したくなったことがそこに書かれていた。死にたいなんて祖母に言ってないのに、祖母は必死に自身が立ち直って今の祖父と結婚してそれで母を産んだことを、初めて語ってくれた。
母も、独身時代にいろんなこと(失恋じゃないけど)に傷ついて「人間はみんな汚れてる。そういう私も汚れてる」と結論して自殺寸前まで行った。自殺せずに父と出会った。
親子三代、それぞれ死の思いから生還して命繋いで今があるのだと祖母は私に伝えたかったのだ。
でも、余計に私は、死んでやる!!と破れかぶれになった。私は、男にふられたことが悲しいのじゃない。天使だと思っていた人が天使じゃなかったから、もう生きていたくないのだった。この世は生きるに値しない醜い世界。母は、キリスト教に救われた。でも、私には神様なんてタッチしてこないから。
ていうか、どうして神様はこんなくだらない世界を作ったのか。馬鹿馬鹿しすぎてお話にならない。。。
そんな気持ちで私は、秋までに絶対にこの世に別れを告げるつもりでさらに準備をした。手始めに、忌まわしき高校の卒アルをばんばん叩いた。そもそもあんなくだらない高校が悪いんだと。金輪際あんな同窓生たちに会いたくない。私なんて、いなかったことにしたい。
と、私は卒アルを捨てようとして、それよりもと、アルバム中の自分を全部切り取った。切り取った自分をまず破って丸めて捨てた。
そういうタイミングで、B君からしばらくぶりに電話があった。B君が私を好きなことはますますわかっていた。彼は精神不安定な私に少し前に「もし死にたくなったら、必ず言ってよ。最後の最後まで止めるけど、それでもどうしても死にたいってなったら、一緒に死んでやるから。その代わりとにかくとことん止める」と宣言してくれていた。そんなのを、どうせ言葉に酔ってるとしか私は思ってなかったし、A君の化けの皮が剥がれてからはもう、この世に愛とかそんなの一切認めない私だから、いくら好きでも一緒に死ぬわけないじゃんと鼻で嗤っていた。
私は、わりと正直にA君のことをB君に言った。ほとんど接点のない人だったようだから、B君はそれについては最初黙っていた。でも、カッコつけたいみたいで、「そんなヤツは、君が神格化してただけで、ただの男だったんだよ。気づくのに時間がかかっただけだよ」とか客観視してくれた。相手していられない。つっけんどんな態度をとる私だが、むしゃくしゃついでにB君に無理難題を押し付けようとして、「近々会ってもいいけど、卒業アルバム持ってきて」と指令した。
待ち合わせた不安そうな彼に、私は冷ややかだった。甘える気持ちもあった。
「前に、私と一緒に死んでくれるって言ったよね? ○ちゃんも言ってくれたことあるけど。気持ち、変わらない?」
「……うん」
「たかが私のために、死ねるのね?」
「もちろん引き留めるよ。その後だよ」
「じゃあさ、一緒に死ななくていいから、……卒業アルバムに写ってる私を、すべて切り抜いて捨ててよ。できる?」
彼は、びっくりしてぎょっとして言葉を失っていた。
「私のこと、好きなら、私の写真全部捨てて。私、あの学校にいたっていう記憶を消したいから。他の生徒たち一人ひとりに強いることはできないから、せめて私の味方だっていうあんたには、私が在籍してた過去を消すの協力してもらいたいんだよね」
「……いいよ」
私は持ってきた鋏を手渡した。公園で、私が監視してる前で、彼は大事なアルバムから私の写ってる写真を次々切り刳り、しかも切り刻み、私の掌に入れた。クラス写真、部の写真、文化祭写真。。。
私に見守られてB君は過去の私への処刑をやり抜いてくれた。
私が「ありがとう」と言ったら、二秒ぐらいして彼が、鼻を啜り始めた。
しばらく彼を放置してた私だったが、どうにも可哀そうになってきた。
それから、急速に愛おしさが募ってきた。まったく自分でも意外だった。
気がついたら、誰もいないその公園で、私は彼を抱きしめていた。
よく見ると(いや、前からわかってたけど)彼はカッコいいのだった。
私は、本当に本当にB君が好きになってしまい、そのままキスした。私も泣いていた。
ただし、今度はA君を切り取って切り刻む処刑第二を私主導で行うことも怠らなかった。
さっぱりして私と彼はその日のうちに恋人宣言し合った。

その後、私からの今度は低姿勢のお願いで、ストーンズの“恋せよ乙女”を彼にアコースティックギターで弾いてもらった。いったいどれほど練習してくれたのかはわからない。
すべては乗り越えられた。
以上が、私の“初恋”だ。

B君とは、ほんの数年間だけど熱く人生を重ねて、それから互いから卒業していった。自殺したいなと思ったことはその後大学を出て社会人になってからもあるにはあるが、最近はもちろんない。
ちなみに、倉木麻衣のSecret Of My Heartを流しながら車を運転中、追突されたこととスリップしたことが一度ずつある。
命を懸けたり命を脅かされたり命を粗末にしたりしながら、魂一杯に音楽とかに触れるのが、癖みたいになってる。魂に来るものだけが好き。