けいすぃー

悪は存在しないのけいすぃーのネタバレレビュー・内容・結末

悪は存在しない(2023年製作の映画)
4.6

このレビューはネタバレを含みます

最初この作品の発表を見たとき、さすがにそのタイトルはやり過ぎではないかと案じたのは僕だけではないと思う。
だが、終劇で画面に「悪は存在しない」と映されたとき、その真髄に触れた気がした。
名作だ。
この答えを出さない読後感を与えてくれるのが濱口作品だし、良い映画だと思う。

物語は空を見上げながら進む一人称視点で始まり、それが耐えられないくらい長い。
ようやく人が映ったと思えば、長回しで薪割りをする様子や水を汲む様子を淡々と見せられる。
その時点で観客は強制的に主人公たくみや村の人間の時間軸に連れ込まれていたのだ。
のちに芸能事務所の男がたくみの薪割りのキリのいいところまで待たされるが、どこがキリのいいところか分からない時間を、やはり我々観客も一緒に待たされていた。
この時間の使い方が非常に面白かった。
これまでの濱口作品にも長回しの印象的なシーンは使われてきたが、そこに至るまでの緻密な組み立てをあえてしていない本作の長回しは異質なものだった。

息を呑むような美しい景色と裏腹な不穏な音楽、平衡感覚を失うような異様なショットたち。後から思い返せば村の中で心の落ち着くシーンなど一切なかったのかもしれない。

本作で1番の注目は、クライマックスでたくみが男を殺すシーンだ。
これは先にたくみが車で話していた鹿の話と重なるだろう。鹿は絶対に人を襲わない。襲うとしたら手負いの鹿か、その親だ。
倒れている花を見つけたたくみは、普通だったら絶対に取らないような行動を取ってしまった。
しかし、なぜ殺したのかという疑問と衝撃が収まらないまま映画は幕を閉じてしまう。

鹿が人を襲うのは鹿が「悪」だからではなく、それが彼らの生存本能であり、自然の摂理だからだ。
たくみが男を殺したのも「悪」なのではない、という本作の主題はとても懐が深く、救いのあるものなのかも知れない。

この登場人物や立場を入れ替えれば、決して他人事でないことは明白だ。
「悪」はものすごく主観的な判断で、その裏にはその人なりの正義や葛藤が存在している。これはまさに村の人間たちと、グランピング施設を作る芸能事務所のマネージャーたちの構図が表している。
劇中では「悪」のように描かれていた芸能事務所の社長やコンサル会社の男にも同様の目を向けなければならないだろう。

他にも書きたいことは山ほどあるが、印象に残ったセリフなどを列挙して終えるとしたい。
「すべてはバランスだ。やり過ぎたらバランスが崩れる」
「水は高いところから低いところに流れる。下の人のことを考えるのが、上に住む人間の役割」
「そうしたら鹿たちはどこへいく」
劇中、花はたくみのことをお父さんとは一度も言わず、たくみも花を一度も娘と言及していなかった。その不安定で不確かな関係性が物語に奥行きを作っていた。
けいすぃー

けいすぃー