たわーりんぐいんふぇるの

フィモリ 名唱イムレの沈清歌のたわーりんぐいんふぇるののレビュー・感想・評価

3.0
朝鮮に伝わる伝統的民俗芸能パンソリの唄い手、当代きっての名唱として知られる光州市無形文化財、イ・イムレの半生を描いた人間ドラマ。
彼女の息子で、本人も鼓手(コス)であるイ・テベクが、イムレの夫となったイ・ビョンギ、つまり自身の父親役を演じています。
製作年は1994で画質・演出もそれなりです。

邦題だけだとややこしくイミフになるので、バラして説明します。
・原題は「フィモリ」です。
朝鮮民俗には長短(チャンダン)と言うものがあり、これは一定の速度のリズム形式で、「フィモリ」はチャンダンの中で最も速く、激しい、荒れ狂うチャンダンで、拍子は 4/4です。
パンソリでは、とても緊迫した場面や、心躍る愉快な気分を表す時に使われます。
字幕では「チャンダン」が「調子」となってて、大切な背景が抜け落ちてる。
ラスト近く、吹雪の海辺で親子で語るシーンが、唯一フィモリを感じさせるシーンとなります。

・パンソリとは、17世紀頃に朝鮮王朝で誕生した、語り手(ソリクン)と太鼓打ち(コス)の2人だけで綴られる伝統芸能で、口頭伝承で受け継がれた民俗芸能です。
2003年にユネスコ無形文化遺産に登録されました。

パンソリの語りの空間には、「語り手」「太鼓打ち」「聴衆」がいて、パンソリの「パン」は多くの人が集まっている場、空間を意味します。
そうしたパンで「ソリ」が語られることから「パンソリ」と呼ばれています。
ここで言う「ソリ」は、「ノレ(歌、唄)」の様に、人間が発する声に限定するものとは違い、自然界のあらゆる音・声を含みます。
したがって、鳥の鳴き声であったり、風の音、水の流れというものも「ソリ」で表現することが語り手には求められます。

似たものに打令(タリョン)がありますが、タリョンはパンソリのジャンルの一つで、現在に伝わるパンソリの演目のうち半分の6つがタリョンになります。
作品中、終始ソリと言ってますが、意味が音であったり声あったりします。

・イムレはパンソリの唄い手で、この映画の主人公。

・沈清歌(シムチョンガ)とは、パンソリの演目のひとつで、目が不自由な父親の下で育った親孝行の娘、沈清のストーリーを語るものです。
盲目の父親を助けるため,人身御供となって海に身を投げた沈清は,天帝のはからいで竜王のところに至るが,やがて地上にもどされ天子の妃となった後,父親にめぐりあいその目が開くという話で、ラストに語ります。


ここから感想です。
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珍島の民俗音楽院にやってきた朝鮮民謡の教師イ・ビョンギは、親の反対を受けながらも塀越しにパンソリを学んでいたイムレに歌の才能を見出し、彼女を猛特訓する、んだが...。

太鼓のフィモリで始るオープニングクレジット、のっけから期待させる。
横隔膜を鍛える、巨人の星のようなスパルタレッスン。
終始何かしらのメロディーが流れるので、音楽好きにはたまらない、聞いてるだけで楽しい。しかし歌詞は意外と重い、悲しい話。
方言もあるのか、たまにパンソリの歌詞が聞き取れない。済州島の方言を聞いてるみたいで字幕が頼りなんだが、信用できない。

地元コンクールで優勝するも、師匠イ・ビョンギは「まだまだだ、声(ソリ)ができていない、”恨”がない、”恨”がないパンソリに何の価値がある」「チャンダン(相棒)を探さないと」。
上手いけど物足りない、それがフィモリなのか。このあたりも字幕がおかしい。
昔の相棒を訪ね「フィモリを一節だけ頼む」と言いますが断られます。太鼓打ち(コス)がフィモリのリズムを取れないんだろうね。

恨(ハン)は日本メディアによって間違った伝え方をされ、単純に「恨み」と理解してる人が多い。
恨とは、抑圧された感情の蓄積、生きる力への意志、文化的なアイデンティティ。
多様性という観点では個人間の葛藤、社会的な不正義、歴史的な傷跡など。
これらと向き合うことが「恨の文化」と言われていて、韓国社会においては、生きる力や文化的なアイデンティティの源泉としても捉えられています。

前半は良かったんですが、中盤あたりからモタモタします。
イムレは嫁がす口実でソウルへ行かされますが、戻ってきます。
そしてパンソリの修練が再開します。
師弟が恋仲になっていく、悲しい物語。教え子に手を付けるってやつです。

娘をキズ物にされたとイカれる父親、師匠は珍島に居れなくなる。
そして2人で逃げ、夫婦のような生活。
病んだ師匠のためにパンソリで生計をたてるイムレ、そこに新たな火種が。
息子が母のパンソリは「チャンダン(フィモリ)が問題だった、”恨”にソリ(声)がのらない」「チャンダンが”恨”を表現すると」。
やっと師匠の背景と、同時に先が見えてきて、これで足らなかったピースが「恨」と「フィモリ」ということで、手に入れるのかと思ってたら、物語はあらぬ方向へ。
子供が成長してからの展開がモタモタで残念、違う作品になった感じもする。
ラストのイ・イムレの沈清歌は有名なシーンでもあるんだろうけど、イマイチ心に響かなかった。
前半が良かった分、残念です。