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82年生まれ、キム・ジヨンのyotsubato12のレビュー・感想・評価

82年生まれ、キム・ジヨン(2019年製作の映画)
2.1
あぁ~、どうしよう。共感、出来なかった。
こんなはずではなかったんだけどな。

同じ女で同じ母親で、家族の中にいても感じる疎外感と突然襲ってくる虚しさと私で居られない苛立ちと社会に不必要だと言われているように感じてしまう何とも言えない感情。
あるあるだ。わかる。特に乳幼児期は1番感じてしまい生きることが辛かった。
けどキムジヨンに共感はできない。
だって笑わないんだもん。笑わない人生楽しいわけないじゃん。
ってか出てるくる人間誰も笑わない。だから見ててずっと憂鬱だった。

確かに育児は辛い。疎外感も感じる。だけど楽しいよ。なぜ子どもと会話しないの?どんなに小さくたって話しかけるよね?1つ1つ細かく声がけして「次これするよ~。散歩にいこうね~。天気いいね~。楽しいね~。」って話かけないの?散歩に出かけてベビーカーから降ろすことなく足で揺らす母親。
電車に乗っても子どもとの会話はなく、買い物してても会話しない。
なんかめっちゃ嫌悪感。
病気だから?鬱だから?だけどコーヒーは買うの?
キムジヨンの行動が全部
自分、自分、自分!私、私が、私だけ。
にしか見えなかった。
母親のキムジヨンはどこにもいない。
私の目にはそう映ってしまい全く共感が持てなかった。

仕事してる自分が本当の自分で子育ては望んでなかった。こんなはずじゃなかった。と思ってるのかなぁ。って見えてしまった。
最後は仕事できて良かったね。って感想しかない。
子育ては向いてなかったんだよ。だって全然子どもに話しかけないし、子どもの顔見ないんだもん。
鬱だからか?病気だからなのか?だから仕方のないことなのか?
でも仕事はしたいんだね。仕事仲間と連絡とってコーヒー飲みに行く余裕はあるんだね。会社の先輩に連絡して行動をおこせる気持ちの余裕はあるんだね。
こう書くと鬱の人の気持ちを理解してない。人それぞれ。できる人の意見を押しつけないで欲しい。って言われるんだろうな。
でもやっぱり全然共感できないだわ。
私は子育てに責任を持ちたいし子どもを第一に考えたい。自分の犠牲は当然だと思ってる。その当然の犠牲の上で自分のできる範囲でやりたいことをやる。それが私の理想の母親像だから。

私が強いからかな。嫌なものは嫌だって言えるし、楽しいことは楽しいって言える人生だからかな。義実家とも良好で図々しく会話できるし、私の今が幸せだからかな。私はできるからかな。
同じ母親だけど楽しいと感じられるからジョンの子育ての仕方に共感できなくてもしょうがないのかな。
なんかな。共感できなくてゴメン。ってなった作品だった。
おかしいなぁ~。わかるわかる~。ってなるはずだったんだけどな。。。

~追加~
何が1番共感できないのかわかった。
この作品みて『子育てって辛いんだ。義母って嫌だな。結婚無理かも。』って思ってしまうんじゃない?っていう懸念がある。
確かに辛い時もあるけどその何倍も幸せな時間や瞬間がたくさんあるしどんな人生を選択しても笑顔で楽しく毎日を過ごさなきゃ辛いし幸せにはなれない。
『母親』という選択肢はしんどいものだっていうイメージを持たれてしまうのでは?と嫌な気分になった。

そんなことはないよ!『母親』という喜びは辛い以上にたくさんあるよ!って言いたい。
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