Kuuta

海辺の映画館―キネマの玉手箱のKuutaのレビュー・感想・評価

4.5
映画館でエンドロールが始まると、全体の構成を脳内で整理し直すのが癖で、それがとても好きな時間なのだけど、今作は全くもってそれどころではなかった。

「この空の花」のようなファクトの嵐&「花筐」のような劇映画のエネルギーに圧倒される3時間が、唐突に幕切れを迎え、脳内はすっからかん。

とにかく終わって欲しくない。強烈な寂しさに襲われた。

最初の30分で涙溢れちゃってもう大変だった。ミュージカルの色の氾濫と詰め込みまくった編集。このまま泣くしかないなと思ってたら、途中で「センチメンタルに寄るのは良くない」的なセリフが出てきて、これはもう俺と監督の対話なんだと、よく分からない気合が入った。

「嘘から出た真」を信じ、映画の神フォードを演じる大林監督。「知りたいから映画を見る」「映画は自分のもの」。最高に暖かい言葉を覚えきれないのが悔しい。やたらとメモを取る鳥鳳介=トリュフォー。過去を知ることで未来を切り開く。

サイレント、トーキー、ミュージカル、時代劇、戦争映画を、大林少年の思い出と共に、虚実ごちゃ混ぜに描いていく。映画館を含めた原初体験の再現はタランティーノ的?支配人と狂言回しの高橋幸宏が監督の分身で、映画館を支え、お客さん一人一人を出迎える受付のおばさん(白石加代子)が、プロデューサーでもある妻の恭子さんなんだろう。

(広島のヤクザ映画への言及も。ヤクザ=軍隊という指摘は、先週「仁義なき戦い」を見直していた自分にはタイムリーな話題だった)

画角も色も自由自在。例によって会話の切り返しが噛み合う気配はない。小津も出てくるが、やってる事はある意味小津と同じ。既存の文法を壊し、観客の違和感を利用して、社会の不和を描いていく。

「この空の花」でも触れていた話だが、「光と音と科学」=原爆を「光と音と科学」=映画で描く。映画は結局、戦争や殺し合いのアクションに依拠した表現だという、軍国少年だった監督の自戒的なニュアンスも感じられる。

白虎隊や中国人と日本陸軍の話など、過去の悲劇を「演じる」のが映画。広島の桜隊のエピソードが示すのは、当時だって過去の悲劇を「演じていた」人がいて、彼らは悲劇を糧に現実を変えられず、死んでいったということ。

彼らの悲劇が、今作のスクリーンで白虎隊のように再び演じられる。「映画を観る観客は血を流さない」というセリフがあるが、戦争映画が作られ続けるのは、それを観た観客が血を流さないから。かつて観客だった大林監督は、100年にも及ぶ戦争映画の連鎖を止めるために、今作を撮ったのだろう。

最後に改めて感じたのは、大林監督はデビュー作のHOUSEもそうだけど、ムルナウ的な古典怪奇映画への愛がとても強い人だということ。映画とは異形のものであり、そもそも不自然な表現である。その哲学が、ラストでストレートに出てきて、監督自身が異形になってしまう。昔から作品への登場回数の多い人だけど、最後にここまで「俺自身が映画になる事だ」を体現したものを持ってくるとは…。90点。
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