人はあまりにも衝撃的なことに出会うとその様を、「色を失う」という。この映画は色を失った夫婦の物語である。
娘が行方不明になった。まだ小さな小さな女の子である。育児を一生懸命やっていたと自覚している母>>続きを読む
完璧ではないかと思わせる序破急。まさにお手本のような脚本。
そこに往年の東映撮影所を思わせるかのようなカメラワーク。
作劇と技術を褒めるだけならばいま上映している別の時代劇で十分だが、さらにこの映>>続きを読む
試写会にて鑑賞。
そこらあたりのスプラッター映画より後味が悪い。
現実に起こっていたと言うことを、頭にいれるとなおさらである。
犠牲者の惨めな生活状態残酷な処刑シーンをほぼほぼ描かずナチスの蛮行>>続きを読む
時代劇の真髄を観た。
大道具、小道具、照明、衣装
・・・、プロの仕事が次々と。特に、松竹の照明部の仕事かな。陰影がバシッと決まった絵に身悶えする。
日本映画が始まって代々受け継がれたそれらの仕事をあ>>続きを読む
丁寧な作りの青春、恋愛映画。
藤井監督らしく、印象的な絵作りがただでさえ情感豊かなストーリーに彩りを添える。
過去と未来を行き来しつつも、困惑せずに見られるのは、よくシナリオが練られているからであろう>>続きを読む
自分自身の不明を恥じるのだが、シリア、アフガニスタンからのといった難民を、ベラルーシ、ポーランドの国境で、サッカーボールごとく送り合いしていたらしい。ベラルーシはともかく、一応、西側に属しEUのメンバ>>続きを読む
元は高校演劇の戯曲なのか。だから、演劇の観客視点で、多くのシーンがロングショットで綴られる。ロングショットでの描写は役者の細かな顔の演技は封じられるので、役者は全身の演技と自ずからなるが、舞台がプール>>続きを読む
話がアホすぎて
見ているこちらの頭が破裂しそうになった。
ゴジラ-1.0の何倍もお金をかけてこんな壮大なおバカ映画を作られるアメリカ人はある意味、すごいと思う
オードリー・ヘプバーン主演。
オードリーはホリーという名前の娼婦である。映画中はっきりと示されるわけではないがそのとおりである。お金に執着した生き方をしている。なにがなによりお金というほどではないが>>続きを読む
スコアはつけない。
一度見ただけでは私には咀嚼できなかった。
つまらなかったわけではない。逆にものすごく魅せられた。
ドキュメンタリーかと思わせる、台詞回し。創作にもかかわらず、よくもまあこのような>>続きを読む
東宝のシネコン、TOHOシネマズで公開である。それも限定公開ではなく、都内では4つもの劇場にて。
硬派なドキュメンタリー映画を、多くの人が見られる機会を作ってくれたのは嬉しい。東宝に賛辞。
感想。>>続きを読む
よくあるスポ根もの。期待せずに見る。しかし結構のめり込む。事実ベースの脚本らしいが、だいぶ盛っているのだろう。素人が一年やそこらで全国大会に進出できるほど甘くないだろうと思う。
そう戯画的ではあるが>>続きを読む
酷かった。
マンガをそのまま映像化しているのであろうか。マンガのコマとコマかのごとくのアクション。コマとコマとの間の映像は見る側が繋がないといけない。マンガの場合はそれでもいいのかもしれないが、映>>続きを読む
講釈師見て来たような嘘を言う。
講談師が語ることは嘘ばかり。それでも耳を傾けさせるだけの力があるのは、語り口調の滑らかさと、語る言葉の真実味があるからである。
そもそも嘘なのだから、語る言葉もそれ>>続きを読む
映画は薩摩焼の陶芸家、当代十五代沈壽官の人生を描くとともに、父、祖父と言ったその先祖の足跡、そして初代が秀吉の朝鮮出兵に伴い日本に連れられてきて薩摩の地に根を張ることになった由来などをドキュメンタリー>>続きを読む
どこかで見たようなカット、どこかで見たような設定。
演技もカメラワークもいい。だけど、抜けた感じがしない。なぜならどれも映画としての既視感が拭えないからだ。
監督は若いと聞くが、何かにチャレンジし>>続きを読む
一冊の本を読むより、一本の映画でとある思想に魅せられることもあるのだということをこの映画で知った。
無政府主義が国籍、民族を超えて、人と人どおし、連帯を求めるものなんだと。
その無政府主義に殉じて>>続きを読む
得体のしれないものに追いかけられる。古くはスピルバーグの「激突」、ジャック・ニコルソンのアルカイックスマイルをアイコン化した「シャイニング」、そして「フォーゴ」最近では「最後まで行く」などこの設定は傑>>続きを読む
これぞA24という作品。
ドラマを描き、その反作用で、見ているこちらがわの生き様を照らしてくれる。
尊大な父親の下、父親と同じ道を歩んだプロレス4兄弟の伝記になる。その事自体、特殊な出来事だけども、>>続きを読む
スクリューボールとの触れ込みだったが、私が見た映画館で笑いがこぼれている様相はなかった。
まあ少しだけ元気にはしてくれる。
同じブルックリンでのドラマ「パストライブス」みたあとでは。
あと、邦題>>続きを読む
毒親 ポレポレ東中野にて
韓流ミステリーのカテゴライズとして紹介され私もそのように劇場に足を運んでいたが。しかし気がつくとミステリーのジャンルを超えて、見事な社会派映画に向き合っていることになった。>>続きを読む
パスト ライブス/再会
ソウルで初恋をした韓国人の男のことと女の子が、男と女となってニューヨークで20年ぶりに再会する。
このストーリーの映画がアカデミー賞作品賞を始めとする西洋のあちこちの映画賞>>続きを読む
マーラーかなにかの交響曲を聞かされた感じです。触りは誰でも魅了される。
でも核心を掴ませない。それだけにまた見たくなるそんな感じです。見た人の議論も表層的なものを許さない覚悟をノーランから伺える気が>>続きを読む
いい映画の条件を並べる。
自由が映画のテーマであること。
映画の中に使われる音楽が心地良いこと。
説明臭くないこと。
それでいて登場人物の心情についての理解を無理なくできること。
多くの乗り物が登場>>続きを読む
「パラサイト」と比べる向きもあるようだが、それは「パラサイト」に失礼だ。本作においての「貧困」あるいは「認知症」などの事象はテーマではなく、映画をスリリングに見せるための、材料に過ぎない。映画を通して>>続きを読む
パートワンを見ることなくチャレンジするという無謀をやらかしてしまった。まあこんなことでは評論しては行けないのだろう。資格がないのだろう。
それでもあえていう。この民主主義の世の中に、血統とか、予言とか>>続きを読む
前作から一転、変わって明朗な作風。舞台が70年代から80年代に移ったからか。
監督の井上淳一は、福田村事件でやらかした、部落問題、ハンセン氏病をただただ消費するという間違いを本作で在日問題でまたやらか>>続きを読む
時々びっくりするような美しい映像に恵まれる。例えば冒頭。主人公のリリー・フランキーがタコが入れられた水槽を眺める。水槽越しに、包丁を握る魚屋の姿。スクリーンを余すことなく使い表現する。
ただ私には主人>>続きを読む
ドラえもんの映画といえば、敵とドラえもん・のび太ほか三人が、最後、空気砲、ひらりマントなどの武器で戦う。それが映画版。
この映画では、私が抱いていたその定石を見事に打ち破ってくれた。
武器が登場し>>続きを読む
今まで金子修介監督の映画をいくつ見ただろう。何度も、女の子の可愛さを描ききる金子修介の才能にやられた思いをした。苗を丁寧に取り出して鉢植えにするかのごとく、彼は女の子が女になるその手前の瞬間を、映画の>>続きを読む
空いた時間で何を見ようかとの消極的選択、そしてジャンルで言えば少女の友情ものと聞いて、全く期待せずスクリーンの方を向いていたのだが、これは掘り出し物だった。
主たる登場人物は二人の少女であり、そして>>続きを読む
いい映画だと思う。また、DVやLGBTの問題にも踏み込み、意欲作だと思う。しかしながら物語を深めていく人と人とが陥る図式がいかんせん古い。原作にどこまで引っ張られているのか、私は、原作を読んでいないの>>続きを読む