ぷくたん

エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンスのぷくたんのレビュー・感想・評価

4.5
全ての世界は意識現象であり、どこにも意味がないことがわかった。


さて、どうする?





娘:とりあえず拒否る。

母:結果的に受け入れる。






・・・いやはや凄い映画だよ。こういう映画を客観的に解釈するのは不粋の極みでしかないから、僕は僕の感想を書くとしよう。





小さい頃の僕にとって、世界は疑いなく“在る”ものであり、そこには“意味”があった。その“在る”は社会や文化というコミュニティーであり、その“意味”は所属するコミュニティーから評価を得るということだ。だからまぁ、世界には倫理とか道徳とかいう価値観もあるだろうけど、そういうのはとりあえず脇においといて、それなりに上手くやって評価を得るってのが“良く生きる”ってことだと信じ込んでた時期があった。


でもね。まぁ、良く生きれないんだよw


そもそものところで僕はアトピーがひどかったから、デフォルトでダメなのw


社会の求める良い子どものイメージのひとつに、“外で元気良く遊ぶ子”ってのがあると思うんだ。でも僕は紫外線を浴びたり汗をかくと皮膚がかゆくなっちゃうからできなかった。また、社会の求める良い子どものイメージのひとつに、“勉強の出来る子”ってのもあるかもしれないけど、残念ながら僕は中の下だw最悪ではないけどそんなに良くはないw


そこで次の戦略として、僕は個性で社会的な評価を得ようと試みた。僕の場合は音楽だ。テクノに惹かれたから機材を買って作曲にチャレンジしてみた!でも、残念ながら僕には才能が無かったみたいで、社会的な評価を得ることはできなかった。


僕は既に“在る”世界から、“意味”のある評価を得ることができなかった。


そうなると疑問なのは、そもそも世界はどうなっているのか?ってところだ。この謎を解き明かせば、僕は世界に対してマウントを取れるかもしれない!


そこで僕は心理学を学ぼうと思い、いろいろ本を読み始めた。そして、河合隼雄氏の「ユング心理学入門」に出会ってしまった。その本の序文には現象学が紹介されていて、僕は現象学関係の本を読み始めた。序文はハイデガー推しだったけど、フッサールのほうね。


現象学ってキョーレツなんだよw既に“在る”世界を、その成立の根拠までとことん追い詰めるの。それは既に“在る”世界という経験を解体していくような作業であり、まるで自ら意識の統合を失調させていくようなものでもあるんだ。パンクだねwその結果うっすらとわかってくるのは、世界は構成されたものだってこと。世界ってのは意識が作りあげた現象でしかなく、どこにも真理のような“意味”はないってことがわかってくる。娘がベーグルを発見したあの感覚だね。

世界は人が意味付与したものでしかなく、どこにも実在的な真理はない。


この反省は衝撃だったな。けっこう虚無ったw

で、ここからどうするかだ。


“世界なんて意味ねーよ。しんどいから終わらせてやるよ!”って感じで、劇中の娘さんのようにジョブになるか、それとも“どこにも意味がないんなら、それを受け入れてみてもいいんじゃない?”って感じで、劇中の母親のような態度を取るのか。。。


とりあえず、今のところ僕は母親の態度を取れているようだ。世界は無意味だからこそ頑張れてる。


この映画はこの体験を引き出してくれたからたまらなかった。とても前向きな気持ちになれた。感謝しかない。ありがとうございます。