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TAR/ターのmofaのレビュー・感想・評価

TAR/ター(2022年製作の映画)
3.2

私は難解な映画が割と好きな方だし、
短い映画よりは、長めの映画が好き。
それでも、大阪人たるもの、声を大にして、ツッコミたい。

長過ぎるわっ

こんなに長いと思わなかったし、
正直、出だし10分は、これ、何の修行ですか??っていう感じです。
始まってもいないのに、
眠気を誘う音楽をバックに、
何故か、エンドロールが流れていきます。
 眠たいけど、これもきっと、
意味があるんだわ・・・と
思い、何とかクリア。
 いざ、始まったと思ったら、
主役であるリディア・ター(ケイト・ブランシェット)のインタビュー場面が
延々と続く。
 これは、フィクションなのか??
と思ったが、
どうもそうではないらしい。

 何とか、眠気と闘いながら
視聴したワケです。
正直、ケイト・ブランシェットの
鬼気迫る演技に、
惹きつけられて、最後まで観たに過ぎない・・・という感想となります。
 ケイト・ブランシェットの牽引力が成せる技としか言いようがない。

難解というか観た人間によって、
解釈が変わってくる
余白がかなりある作品に
仕上がっていると思います。
なので、評価も分かれそうで。
私は、とても冗長で退屈な映画。
女性指揮者に設定した醍醐味が欠落した、
どこにでも
ある話かな・・・と思いました。
 ただ・・・そうでありながらも、
印象に残る場面も多くあって、
結果的に、評価に困るワケです(笑)

☆以下、ネタバレです。☆
 
【女性指揮者とした意味】
どこにでも・・・というのは、
リディアが、パートナーがいるのに、
次から次へと若い女性を食い物にし、蜜月時は、贔屓しまくり。
冷めたら、容赦なく切り捨てる。
文句言っていたら、その相手のキャリアをつぶそうとする。
 自分の才能と権力の下に好き放題。
けれど、ひとたび、その才能が行き詰まり、
自分の不誠実さが明るみになると、精神状態を崩壊させていく。
・・・という転落話は、よく題材としてはあるじゃないですか。

それに付加すべき事が、
女性であり、女性指揮者というならば、
そこに、もう少しスポットを当てて欲しかったと思うんですよね。
 リディアは女性であり、レズビアン。
物腰も口調も、男性のようなので、
悪いおっさんの話と、どうちゃうねん!と思ってしまったんです。

 女性だからこそ、男性社会における策略で・・・っていうにも、
リディアは完全にクロだしねぇ。

ならば、指揮者としての楽しみは・・・と思うけど、
指導場面は出てくるけど、
壮大なオーケストラ場面が出てくるわけでもなく、
その辺りが、残念に思いました。

同じ系列なら、「ブラックスワン」「セッション」が良かったかなぁ。

【リディア・ターという人間】
 転落して、再起するまでの流れが
意外に早くて。
アジアの国で、ゲーム音楽のコンサートで指揮を振るう事になるんですけど。
 
リディアという人間は、男性社会といわれるオーケストラの世界で、
必死になって生きてきた人間です。
自分を鎧で守り、強さを前面に押し出してきた人間なワケです。
 実家へと戻り、自分の音楽の出発点に立ったリディアは涙を流します。
 
最後の場面は、奇をてらったもので、
今時かも知れないけれど。
 指揮者を離れたリディアという素の彼女を、見せて欲しかったな・・・
って思うんですよね・・・。
 指揮者という世界に飛び込む前の、ただ音楽が好きだった、
何の装飾もされていない彼女に、戻るべきだったんじゃないかな。

そうすれば、彼女が男社会で生きていこうとしたが故の、
苦悩や孤独、喪失感が際立ったんじゃないかな・・・と
思うのです。

【ホラーという面白さはない】
一種のホラーという括りなんでしょうけど、
これが、あまり怖くない。
 文句ではなく、これは、あまりにもケイト・ブランシェットの演技が、
リアル過ぎたからじゃないかと思うんですよね。
 転落し、精神が崩壊していく様は、ホラーというよりも、
「更年期障害??」って思っちゃう感じなんですよね(笑)
 リディアは、完璧主義者で神経質、潔癖。
そういう役作りが完璧すぎて、
「そりゃ、音にも敏感にもなるし、幻覚も観るよね」という
既定路線的な演出になってしまっているのが、勿体なかったかな~。

「ブラックスワン」はより上を目指していく過程の人間、
「セッション」は素人がドラムにハマっていく過程の人間。
そういった人間が、変化していく様に恐怖を覚えていくんだけど、
リディアに至っては、ハナっから、尋常じゃないんですよね。
 そのオーラが過ぎて、恐怖が生まれなかったのかなと思うんです。
 
なので、前述したように、
精神崩壊の過程よりも、
人間再生の場面で、グッと心を掴んで欲しかったかな・・・と
思ったワケです。

【記憶に残る場面と、その解釈】
 とにかく長いし、内容も全体的に不満もあるんですけど、
場面場面は、とても印象深かったように思います

①指導している黒人の生徒が、ある作曲家を
「女好きの白人だから好きになれない」と評します。
 リディアは、その黒人生徒に、
「ささいなこだわりは、自由を損なうものだ」と非難します。
「君のエゴと個性を昇華させるんだ。
観客や神の前に立つ時は、自分を消してね」

私はなるほどな・・・と思わず、メモととったんだけど。
この場面が、最後の転落の伏線になっているのも、
非常に面白い仕掛けだと思います。

リディアは生徒に、観客の前に立つ時は、自分を消せと。
音楽に向き合う時は、エゴと個性を昇華させろと指導するワケで。
これは、音楽人としての基本なんだと思ったんです。
でも、指導しているリディアこそが実践出来ていないんですよね。
オーケストラをコントロールしていながら、
自分自身の欲をむき出しにしていたワケで。
 そんな場面が自らの失墜を促すなんて、滑稽であり皮肉な
描き方だと思いました。

②リディアが転倒した事を、「暴漢に襲われた」と嘘をつくんですよね。
リディアがいかに、自分を強く見せたいか。
そのセルフプロデュースへの固執、プライドの高さが
表された場面だったと思います。
 彼女が歩んできた道の、困難さを感じたワケです。
なので、前述したように・・・・(以下同文・笑)

③リディアはアジアの国で、マッサージ店を紹介して貰うんですが。
ここが、どうも売春婦らしく、金魚鉢から何番か選べと言われ、
思わず、リディアは吐いてしまいます。
 これは、まさに、つい最近の自分と同じ行いだという事に嫌悪感が
湧いてきたのではないでしょうか。
 金魚鉢の並びは、まるでオーケストラのような並びで、
そこから好みの若い女性を選んできたのは、他でも無い自分自身だった。
 そして、こちらを見た5番の女性の目が、自殺したクリスタのように
見えたのか知れません。

④5番への執着と、最後のシーン
グスタフ・マーラーの交響曲第5番。
本来なら、リディアが演奏するはずだった。
けれど、最後は、モンスターハンターの5期団の演奏をするワケなんですよね。
 そして、マッサージ店で思わず指さしたのも、5番の女性でした。

この最後は、私的には不服なのですが。
このゲームのナレーションは、妙に心に残ります。

「そろそろ時間だ
君たちに別れの言葉は必要無いな
この船に乗ったら、もう戻れない
次に諸君らが降り立つのは新大陸になるだろう
もし、覚悟が失われたら引き返すがよい
誰も君を責めない」

リディアは、音楽の世界で生きていく事を決めた。
コスプレをしている観客たち。
女性も男性も、国籍も肌の色にも左右されずに、
ただ音楽を届ける。
観客や神の前に立つ時は、自分を消して、
エゴと個性を昇華させて。

「誰も君を責めない」

この言葉は、まるで天の声のようにリディアに降り注ぐ。
彼女は赦され、新たな世界へ行く事を認められてるように感じます。
結局、リディアは、音楽に愛されているのだと。 
そんな彼女の再起を感じて、応援したくなりました。

・・・・という事で。
長いわ!眠たいわ!と文句言ったワリには、
レビューが長くなってしまった。
 人ぞれぞれ、色んな解釈が出てきそうですよね。
ただね。
ホント、ケイト・ブランシェット様だからこそ!!!っていう事は、
強調しておきます。
 ケイト・ブランシェットが演じていなかったら、
最後まで観れてないかもね。
「ブルージャスミン」といい、こういう役をさせると、
もうリアリティが凄すぎる。

 私としては、
尺を短く、
始めのエンドロールは無し(こうした意図がイマイチ分からないし)
序盤の長いインタビューも不要(ケイト・ブランシェットの演技で、
その凄さは伝わる)
 指揮や作曲の苦悩を前面に押し出し、
最終的にリディア本来の人間性を描いて再生
・・・・が良かったかな~と思いました。
あと、演奏シーンもっと欲しい!!


まぁ・・・長いけど!!
ケイト・ブランシェット様の演技を堪能するだけでも、
時間の無駄にはならないと思う。
が!!!!
序盤で寝てしまう可能性大です。
ご注意あれ!


mofa

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