反戦映画の名作として何度もリメイクされた『ひめゆりの塔』。しかし、沖縄戦争で動員された女学生は彼女たちだけではなかった。沖縄県立第二高等女学校4年生56名の生徒から編成された白梅学徒もその一つだ。たった18日のみ看護教育を受けた彼女たちは野戦病院に配属され、兵士の治療にあたった。当時の状況を実際に白梅学徒として活動した2名の生存者の証言と共に再現する。ドキュメンタリーパートとドラマパートで分けられており、ドキュメンタリーパートの監督は原発事故の悲劇を描いた劇映画『朝日のあたる家』の太田隆文、ドラマパートの監督は『サクラ花-桜花最後の特攻隊-』や『祈り~幻に長崎を想う刻(とき)』など戦争映画を描き続ける松村克哉。
昭和20年3月。窮地に立たされた日本軍は、勤労奉仕と称して沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の若い女性たちを戦争の最前線へ送る。日本軍のため、必死に働くひめゆり部隊。しかし、米軍の…
>>続きを読む昭和十九年、沖縄に兵隊が続々送りこまれるなか、国民学校の児童たちは集団疎開としてツシマ丸で那覇から出港した。しかし船は魚雷攻撃で沈没してしまう。そして翌年米軍がついに本土上陸する。凄絶な砲…
>>続きを読む昭和18年。沖縄ではまだ戦争の影は薄く、沖縄師範女子部の和子らは運動会を楽しんでいた。しかし、昭和19年になると戦局は悪化。やがて米軍グラマン機による空襲が那覇を連日襲い、和子ら女子学生は…
>>続きを読む日本で唯一の地上戦が行われた沖縄。その凄惨な戦闘をほとんどの日本人が知ることなく、77年の年月が経とうとしている。本土への疎開のため多くの子供達が乗った対馬丸がアメリカの潜水艦によって撃沈…
>>続きを読む20年間で8000件の苦情を区役所に届けている「妖怪ばあさん」ことオクプン。生真面目な公務員・ミンジェは、そんな彼女の対応に頭を悩ませていた。ある日オクプンが、ミンジェに英語を教えてほしい…
>>続きを読む太平洋戦争中、約19万人もの日本の将兵がビルマ戦線で命を失った。その生存者の中にはタイ・ビルマ国境付近で敗戦を迎えた後、祖国に帰らなかった6人の日本兵がいた。2005年から3年にわたる彼ら…
>>続きを読む日中戦争下、ソ連と満州の国境近くに勤労動員として送られた新京第一中学校の生徒たち。昭和20 年8 月、ソ 連軍の爆撃が降り注ぐ中、ソ満国境に取り残され、過酷を極める必死の逃避行が始まった…
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