試写会にて
恋愛する事が出来ない主人公というあらすじだったので、流行りのおひとりさま映画かと思ったが、蓋を開けてみると直接的な単語は出ないものの、他者に対して性的欲求(や恋愛感情)を抱かないセクシュアリティのアセクシャルである女性をとても繊細に丁寧に自然体に描いた素晴らしい作品だった。
ただ、LGBTQの作品だと構えないで見てほしい。本作はあくまでも一人の女性と他者との出会いと生活の話であり、アセクシャルではなくても恋愛が苦手な人だったり、他者となかなか分かり合える事が出来ない孤独を持つ人が共感できる普遍的な作品に仕上がっている。
主人公は恋愛する事が出来ないというセクシュアリティを自覚しながらも、家族や周りの他者にはなかなか理解をされない。
ただ、もどかしい気持ちを抱えながらも、あくまで他者はそういうものだと受容して生きている彼女を真っ直ぐに描かれているのが非常に素晴らしいと感じた。周りの他者の描き方も非常に自然である。
本作は他の性的少数者も出てくるが、その人にも真に受け入れられることはない。別の性的少数者はまた違ったセクシュアリティであるからだ。
本当の自分を他者になかなか理解されない苦しみを重たくなりすぎずにこんなにも柔らかく棘がなく清々しく描いた作品はなかなかない。
色んな人と出会い、別れ、誰かが自分の救世主にもなりうる。根底に淡い希望がある作品なのだ。
この作品を見ていて驚いた事がある。
主人公が仲良くなり友達だと思っていた男性に迫られ、自分は恋愛出来ないのだと必死に説明するシーンがあるのだが、このシーンで観客から笑いが起きたのが正直ビックリした。
後に記しているアフタートークで監督が見た人が色んな気持ちを抱くシーンが豊かなシーンであると話していたように、このシーンはあえてユーモラスに描かれている事がわかったのだが、私はこのシーンの主人公にとても共感してしまい胸が痛くて悲しくて辛くなった。アセクシャルを理解されないツラさがひしひしと伝わってきた。あのシーンで笑える人は、間違っているわけではないがきっと…幸せな人なのだと思う。
色んな性的嗜好の方が本作を見ると思うが、おそらく色んな受け止め方があると思われる。
それすらも受容するかのような本作の作り方は、とても懐が深い。
だからこそ本作を私は色んな方にオススメしたい。ぜひこんな人がいるということを知ってほしい。
三浦透子さんのナチュラルで柔らかな佇まいが、本作の主人公をリアルに落とし込んでいて素晴らしかった。初主演がこの作品とはなんと素晴らしい。ちなみに主題歌も三浦さんが歌っていて映画にとてもマッチしていた。
本作は、きっとあなたの世界を広げる作品だ。
アフタートーク
ゲスト:玉田真也監督
三浦さんはひとつひとつクリアにして物事を切り分けて行くピシッとしているタイプ
座長として気を遣っていた
前田さんは自然体。何があっても動じない。緊張感のあるシーンの前でも寝てる。
別の舞台が覚えられないと台本を持ち込んでたけど寝てた
7割くらいはワンカット長回し
かすみの生活を観察するような映画にしたいと周りの人々もじっと撮るようにした
撮影初日がキャンプから帰って父親と喋るシーンでワンカットで撮ったらそれがそのままリズムになっていった
必ずリハーサルをして意識を共有していった
アセクシャルであるということを直接的に言葉にしないと思った
なぜならないからこそ人よりも客観的に考える時間が長い
人に言ってもわかんないだろうとずっと思ってる
ただ何も説明しないと葛藤してる事が分かりづらいので、小暮とのシーンだけ必要なシーンとしてセリフで説明した
タイトルに込められた意味はわからない。アサダさんに後で聞いておきます
根本的に恋愛って必要なのか、恋愛を概要として捉えられる作品って面白い
ラストシーンだけ手持ちカメラ
画が感情的になるから
生の柔らかい部分が出るシーン
端正に撮られてたが、最後に感情が爆発している
洗濯物のシーンはもともとハプニングで、それいいねとその後採用した
タバコのシーンは三浦さんがもともと吸う人だから様になる
ドライブ・マイ・カーを意識してると思われたら恥ずかしいなと思っている
感情が複雑なシーンの方が好き
3割が笑って、3割が泣いていたり
いろんな受け止め方があるシーンの方が豊か
台本の初稿ではアセクシャルというワードがあったが、ワードが入ると固有の問題になってしまい普遍性が失われる気がしてあえて外した