このレビューはネタバレを含みます
物語は佳道、夏月、啓喜、八重子、それぞれの視点で進む。佳道の水中の澱んだこもった音や、夏月の水のしたたる澄んだ水音と不安定な内面のギャップの調べは人物を描く導入としてとても象徴的で、夏月はまるでミレーの『オフィーリア』みたいだった。
水で性的な悦びを感じる、異常者・藤原悟の新聞記事。他人事ではない、はぐれものとされる人たちの物語。
言葉という表現、言葉や性別を超えるダンスという象徴は理解できて、その上で「ダイバーシティ」はある種の強者のパフォーマンスで、社会に生きる側の都合であって、人間を愛せないひとは包括されているのかという問いが印象的。この世に溢れる情報は、みんな明日生きていたい人のためのもので、そうでない人は阻害されているという佳道の言葉は切実なものだろう。
雰囲気で結婚していると見えると言われたことは夏月にとってはすごくうれしいことなんだろうな。社会の中、地球の真ん中にいるような気分。性欲は後ろめたいものではない。擬似セックスのシーンでは彼らにとって世間側が異常なものとして僕らにとっては真新しく感じられて境界線が緩やかに溶け合うようだった。
「地球に留学してるような感覚なんよね」
「この世界を生きるために手を組みませんか?」
「その人、一人でいないとええね」
「この世のバグ」
「自分がどういう人間か説明できなくて息ができなくなったことありますか?」