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ドン・ジュアンのukigumo09のレビュー・感想・評価

ドン・ジュアン(2022年製作の映画)
3.7
2022年のセルジュ・ボゾン監督作品。彼は1998年に『友情』という作品で長編監督デビューする前は映画評論家として活動していた。特にアメリカの古典作品への造詣が深く、オール・ウォルシュ、オットー・プレミンジャー、ハワード・ホークス、ジャック・ターナー、サミュエル・フラー、ニコラス・レイなどを偉大な監督たちを愛しており、観客との関係、映画のジャンルへの向き合い方などに関して影響を受けたと語っている。フランス映画ではヌーヴェルヴァーグ以降の作家であるピエール・ズッカ、ジャン=クロード・ビエット、ポール・ヴェッキアリという映画作家たちをパリに来て発見し、同じ志を持つ者として共闘し、彼らの監督作品にはボゾンはしばしば役者として出演している。
本作はCNC(フランス国立映画センター)のジャンル映画再興プロジェクトでミュージカル映画の企画を募集していた中で、50万ユーロの助成金を受け取ることができた3本(他の2本はラリユー兄弟の『トラララ』とノエミ・ルヴォウスキーの『La Grande Magie』)の中の1本だ。ボゾン作品としては初期の『モッズ(2003)』や『フランス(2007)』ですでにミュージカル風場面があり、集団的で陽気なものであったのに対し、本作のミュージカルシーンは恋愛の苦悩を吐露する独り言のように使われている。

タイトルのドン・ジュアンとはスペインの伝説上の人物ドン・ファンのことで、様々な文学作品で描かれており、フランスではモリエールの戯曲『ドン・ジュアン』が有名だ。本作はモリエールの『ドン・ジュアン』やモーツァルトのオペラ『ドン・ジョヴァンニ』を参考にしているが、舞台を現代にしており、本来数多くの女性を手玉に取る男が描かれる物語を逆転させ、一人の女性に翻弄される男の物語にしている。この男女の逆転は昨今のMeToo運動の影響に見えるが、必ずしもそうとは限らない。ボゾン作品においてはすでに戦争映画『フランス』で夫に会うために妻が男性の格好をして旅に出るという逆転がある。また刑事もの作品『ティップ・トップ ふたりは最高(2013)』では映画史では圧倒的に男性キャラクターの多いジャンルで女性コンビを主演にしている。『マダム・ハイド』はスティーヴンソンの小説『ジキル博士とハイド氏』を元ネタにしており、これも男女を逆転させていて、男女の逆転が彼の作家性にもなっているのだ。
本作の主人公ローラン(タハール・ラヒム)は結婚式当日、結婚相手ジュリー(ヴィルジニー・エフィラ)を待っていたが彼女は一向に現れなかった。ショックを受けた彼はその後出会う女性にジュリーの面影を見るようになる。正確には面影どころではなく、髪型、髪色、服装が異なるそれぞれの女性たちが途中からジュリーを演じるヴィルジニー・エフィラになってしまうのだ。一人の女性に狂ってしまう様はヒッチコックの『めまい(1958)』の一形態のようだ。
ローランはノルマンディの美しい町で『ドン・ジュアン』の舞台の主演をすることになっていたが、稽古の際失敗を繰り返していた若く経験の浅い相手役の女優が土壇場で逃げてしまう。そして代役として本物のジュリーがやってくるのだった。

本作のミュージカルシーンは吹き替えなしの同時録音で行われている。役者として多くの作品に出演するタハール・ラヒムも歌は本職ではなく、不安そうな様子が物語と絶妙にリンクしている。物憂げに歌い、女性から拒絶されたり平手打ちを貰ったりするドン・ジュアン像は実にセルジュ・ボゾン的であり、現代的である。
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