烏丸メヰ

ゴジラ-1.0の烏丸メヰのネタバレレビュー・内容・結末

ゴジラ-1.0(2023年製作の映画)
2.3

このレビューはネタバレを含みます

町にも心にも刻まれた戦争の傷跡にもがく日本と、襲い来る巨獣ゴジラ……ではなく、
「そんなゴジラと向き合う事で己の戦争の傷跡に向き合う一人の青年」
の物語。
初代『ゴジラ』からのカットや名詞引用などから感じられる目配せと、前述の通り“ゴジラ対個人”を強く描き、『シン・ゴジラ』と正反対の切り口を見せる。
そこに付随する人間ドラマが主体となり、ゴジラそのものはほぼ掘り下げられない。
vs怪獣に、その戦いを通して人々にパワーを誇示した「怪獣王」でもなければ、現実社会の災害と原発のメタファーと思しき「呉爾羅(シン・~)」とも異なり、ただただ圧倒的な未知の巨大生物として描ききられたゴジラは初代と同じく恐怖と絶望を撒き散らす。

荒々しくも人間に近い動き、予兆や予備動作など生物的な見せ方は、新たなゴジラとして純粋にカッコいい。今回のゴジラ、めちゃくちゃ物を飛び散らかすよな!


反面、個人的にだが“ストーリーが見せようとするもの”に全く没入できなかったのが残念。
典型的邦画のヒューマンドラマの雰囲気や見せ方が苦手な私にはかなりノイズだし鼻について全く感情が動かなかった。
特にさ、手しか怪我してない奴が、しつこく懇願しようって時に足を止めるか?追いすがって頭下げるだろ。

これらは特撮がハッタリとしてリアリティを犠牲にする「ケレン味」とは全く違った。
この辺、他の怪獣ものやパニックもののようにモンスター主軸の見せ方であれば
「ま、映画だからな(芝居がかった立ち居振舞いも演出としてあるよな)」
と気にすらしないのだが、人間ドラマを“ここがこの映画のトロの部分ですよ!”と出してくるから、余計に
「ゴジラ深掘りせず敢えて人間感情とカタルシスに比重割いてるのに人間の描き方それなの?」
と気になってしまう。

いわゆる“泣ける映画”を娯楽として美しさを受け取り浸れる、リアリティよりカタルシスに惹かれ浸れる人であれば、主人公の物語として大いに感動できるパワーがある作品なんだな、といった印象。
泣いている人がちらほらいた気配があったので、演技の温度感や戦争への思想の一致等で素直に没入できれば感動作なのは確信した。


ご都合主義と少ない説明の中で、ちらりと見せられた“彼女のあの首”そしてラストカット(劇中のゴジラを見るに、彼女は運よく軽傷で無事だったのではなく、肉体の損傷を「再生」している可能性が高い)。

現実では日の目を見ず葬られた、戦争の忘れ形見的な兵器(震電)を夢の対決させるあたりで「ゴジラなんて虚構なんだ大人になれよ!」が来るのかとか、生存再会シーンで「命の大切さを知ったね、よくできました」的な方に持っていかれる心配をしていたので、令和にもまた“G細胞”の物語が作られていくのかという予感を抱かせる期待と恐怖には、シンプルに拍手。

色々書いたけど『ファイナルウォーズ』の頃のゴジラには絶対にここまで大真面目に賛否をまともに書く事すら無かっただろう。
『シン・ゴジラ』は、日本のゴジラ作品を子供向けの怪獣バトルものから、初代『ゴジラ』同様、一本の映画作品(子供だましが通ればいいじゃんムキになるなよ、的作品から、大人も観ごたえのあるエンタメ)という立ち位置に戻した。
真面目な賛否もライトな感想も本作に飛び交っているのを見て、本当にそう感じている。
烏丸メヰ

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